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毎日の裏側

お正月をこんなにゆっくり過ごせるのは何年ぶりだろうか。
カレンダー通りに休める職場に移って半年。こんなに世界が変わるのかと、少し怖くなってしまう。

昨年まで物流部門に所属していた。食品メーカーの物流。そうなると、商品は曜日や旗日に関わらず、流通を続けている。
なので、お正月にも必要最低限の人員が、管理の名の元に配置される。ガラガラのオフィスの一角で、数名の社員が上の空で張り付いている。1日1万円の特別手当てが、数少ない慰めだった。ただ、お金よりも時間を大切にしたい身としては、そんなものはいらなかった。早く、この場所から抜け出したい…

どんなときも、ガスでお雑煮を温められるし、テレビやパソコンからは愉快な番組が流れるし、電車に乗ってお出掛けにも行ける。インフラを支える人たちには頭が上がらない。数年続けて、プッツンと切れてしまった僕はなおさら思う。
その一方で、大晦日や元旦に無理に商売をしなくてもいいのでは? という声が強くなってきている。それに関しては、僕も無理にする必要は無いという意見に賛成だ。経済活動は大切だ。でも、少しくらい、それを緩める日があっても良い。実体験に基づく心情である。

「働き方」改革なるワードが席巻しているが、僕は働き方以上に「休み方」が大事なのではないかと考えている。
お正月やお盆に出勤していた僕は、その代休をよく辺鄙な日に充てていた。平日、皆が働いている、普通の日。そこを休みにすると、不思議な感覚が芽生えてくる。皆が何かに縛られている最中、僕だけ自由を謳歌している。スポーツが好きな僕は、普段は行けないようなアマチュア野球の試合だったり、昼間の地方競馬に足を運ぶ。ガラガラのスタンドで、じっくりとゲームに向き合う。それもまた、違う意味での「格別さ」があった。

なので、曜日=休日の関係性を少しだけ壊してみるのはどうだろうか。自分が過ごしている毎日とは、裏側の関係にある時間を過ごさせるのだ。ブルーカラーやサービス業の人たちには土日祝の休みを、ホワイトカラーの人には平日の休みを付与するのである。他にも、お盆休みを地域ごとにずらしてみたり、インフラ業やサービス業の従事者には、正月の代休を必ず取得させるルールをつくるなど…。
異なる視点が与えられることで、人は優しくなったり、今までの過ちに気がつくことがある。その社会実験の手法として、こういうことをしてみても良いのではないだろうか。少なくとも僕は、毎日の裏側を過ごしていたときを、また味わいたくなる瞬間がある

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)