前世記憶は脳による作り変えなのかどうか、続き。自分の場合

〔筆者ブログからの転載です。常体記事。元記事https://ksnovel-labo.com/blog-entry-1185.html

前記事、『退行催眠での「前世記憶」が、記憶の作り変えかどうか? 考えてみた 』では長たらしくて小難しい話を書いて申し訳ない。
「前世退行催眠は、100%記憶の作り変え! だって人間は自由自在に記憶を作り変えられるんだもん!」
などと主張するサイトを見かけ、その矛盾点が気になって仕方がなく、つい長々と書いてしまった。
多くの人にとってはどうでもいい、無駄な記事だったなと反省。きっと伝わっていないだろう。

もう少し分かりやすくするためと、せっかく良い機会だからこのテーマを借りて自分の記憶についてもう一度考えてみようと思う。

(これは『前世を裏付けるまでの経緯2 記録と向き合う。「現実調査」の過程』以下で具体的に細かく書いている話。パスワード記事※のためここでは一般的な話としてまとめておく)

※パスワード記事とは、小説を読んでくださった方のみ限定公開の記事です。記事の読み方:


ファンタジーでなければ覆せなかった


私は自分が退行催眠で得た「前世記憶らしきイメージ」のことを、「現実であるはずがない」という前提にて長いこと否定し続けた者。

"記憶の作り変え"、つまり脳による創作ではないか? などという基本的なことはまず第一に考えた

だが結局、物理次元の時系列では否定することが全く不可能だという結論に至った。

私の記憶(最初のもの)が脳の作り変えではないことは、以下の二点で証明されてしまった。※

1.退行催眠でイメージを見た直後にそのイメージをノートにメモしている = メモがあるので、後から脳内の記憶を勝手に作り変えることができなかった (19/8追記 「作り変えなし」であるのは「現実調査」にて書いた、本質的な人生経緯と時代背景について。後に知識を得てから建物など人工物の画像は現実化している)

2.メモの通りの記録を、後で発見している。また世間に流布されている誤った情報を私は一つもイメージしておらず、代わりにほとんど知られていない(当時の私が知る事が不可能だった)現実情報を知っていた = 先に知っていた情報から脳内でフィクションを創作することは不可能

※「証明」とは自分自身に対して、の意味。
他人は「お前の話は100%嘘だ」と決めつけるだけで否定できてしまう。つまり他人だったら何とでも言えるし何でも好き勝手な想像ができる。なので私は、否定論者に対して証明できるとは思っていない。信じない人は最初から信じないと決めつけているだけ、彼らは常に結論ありきの考えないロボットだ。
(だから皆様も、前世の現実照会などというものはただ自分自身のためだけに行ってください。他人に証明することは最初から諦めたほうが良いです。そもそも、信じたくない人に信じさせる必要もありません)

上の結論のために結局、イメージが「前世記憶」であることを自分ではほぼ認めざるを得なくなった。
「前世」であることを否定するには、「前世」を上回るファンタジーやSFの理屈……

 1.文書に書かれたことは空中を飛び交っていて、本を読むなどの物理的理由なく、人間の脳へ転写される
 2.霊魂が浮遊して人間にとり憑き、未知の記憶を植え付ける
 3.私には未知の情報を知る超能力があり、まだ読んでいない本などの情報を記憶することができる
 4.私は過去へ飛べるタイムマシンに乗る能力がある
 5.私には他人の「アカシックレコード」へアクセスする能力と権利がある

https://ksnovel-labo.com/blog-entry-1185.html

等々でしか説明できない。
「前世」もどうかと思ったが、上の飛躍したファンタジーはもっとどうかと思った。
それは澤口教授が主張する
前世記憶はゾンビが子作りした結果説(笑)」
に等しい、フィクションでもアグレッシブなほうの空想。
だとすれば肉体に近い、準物理現象のように思われる「未発見の移動する媒体が前世記憶を持ち越す」と考えたほうがまだマシと言えるだろうと思う。

それでもファンタジーを除外しなかった


とは言え、私は飛躍したファンタジーについても最初から切り捨てていたわけではなく、一応は考察している。ほとんど藁にもすがる想いで。

たとえば「他人の霊に憑依されたのでは」ということも、潜在記憶の次に考えた。
また「他人のアカシックレコードにアクセスしてしまったのでは?」というファンタジーさえも可能性として考えた。
だがこれらの空想は、私自身の現実――幼少期の状況や性格や能力、等々――と当該記録との共通項によって説明できなくなった。どうして共通しているのかが説明できない。偶然だとすれば重なり過ぎている。それなのに「単なる偶然だ」と考え続けるほうが、「偶然」という一つ覚えの言葉しか使えないバカっぽい。

こうして、全ての考えで否定できなくなり受け入れるしかなくなったわけだ。
何より、最初から自分自身だというアイデンティティの一致があることが、「他人のアカシックレコード」や「憑依」などではない証だったのだが。
他のファンタジー的な考えが全て否定されて、ようやく今の確信に至った。

それでもまだ未だに、「前世って何だろう」「輪廻転生とは果たして魂による肉体移動なのか?」と疑問を抱いている。
しつこい! ウザいからいい加減に考えるのやめろ! と言われるだろうか。
でも不思議なのは確かだろう。未だにその、移動するアイデンティティが何であるのか解明されていないのだから。

輪廻転生というものの、準物理的なメカニズムは未だに分からない。その解明は未来へ譲りたい。
今のところ記憶で担保されるアイデンティティこそ人格の本体だと定義するなら、アイデンティティの移動が確信できた時点で、昔ながらの意味での「転生現象」だと呼ぶのが正しいかもしれない。

だからと言って過去のままの人格として、過去の状況を責められたりするのは違うと思う。
何故なら今の自分が一人で過去のアイデンティティを負っているとは限らない。魂は分割されることもあるという。合成も有り得るかもしれない/アイデンティティを受け継いでいても、混ざり気のない完全なる過去の人格とは言えないということ。それなのに過去の罪を今世で負うべきかどうか。私に限っては、一部責めを引き受けている気でいるけれども現実で償いは不可能。

ただし少なくとも、上の細かな裏付けによって、私の記憶が「作り変え」ではないことは自分に対して証明されている。
――私が嘘をついていないことは、私一人だけには確実に分かっている故。

他人はどう思うか知らない、と言うより知ったことではない。(→撤回、応援してくださる方にはありがたく思う。深く感謝しています)
ただ私にとって自分の記憶は真実である、とだけ言える。

※続きの話『自分の前世記憶はどのあたりが願望なのか』は小説を読んでくださった方への限定公開となっています


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