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1-13 アラム人とフェニキア人、新ヒッタイト(前797年~前705年)

  • 前797年頃:イスラエル王ヨアシュが即位。ダマスクスの弱体をみて、失地の大部分を奪回。一方で、シリア遠征を実施したアッシリア王アダド・ニラリ3世に対しては、ティルスやシドンと同様に貢納している

上図:シリア・パレスチナ要図

出典:『古代オリエント全史』

上図:新(後期)ヒッタイト諸国

出典:『ヒッタイト帝国』

上図:新ヒッタイト諸国とアラム人の諸国家。アラム人の領域は橙色で表現されている

出典:Jolle, CC BY 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で

上図:フェニキア人の領域(緑)

出典:Kordas, based on Alvaro's work, CC BY 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0>, ウィキメディア・コモンズ経由で
  • 前796年頃:アマツヤがユダ王に即位。彼は、イスラエル王国と要衝ベト・シェメシュで激突するも、イスラエル王ヨアシュに敗れ捕らえられる(後に解放された)。ヨアシュはそのままイェルサレムに進軍し占領。城壁の一部を破壊して、財宝を掠奪した。また、この時までにイスラエル王国は勢力を回復させており、ダマスクスから、ヨアハズ王の治世に失った領土を回復している

  • 前783年:アッシリア王アダド・ニラリ3世が死去。国内は分裂し、疫病の流行もあって、アッシリアの国力は衰退

  • 前782年頃:イエフ王朝のヤロブアム2世が即位。彼の治世がイスラエル王国の最盛期で、彼はシリアのハマトから死海までを領有

  • 前782年:アッシリア王シャルマネセル4世が即位。彼はアラム人と戦った

  • 前773年:シャルマネセル4世がダマスクスを攻撃するも戦死。結果、シリアの大半をアッシリアは喪失。以後、後継者争いも発生

  • 前770年:アッシリア王アッシュル・ダン3世がウラルトゥ王国の勢力が強まっていた北シリアに遠征を実施

  • 前760年:ウラルトゥ王サルドゥリ2世が即位。彼の治世がウラルトゥ王国の最盛期であった

  • 前760年頃:ヤロブアム2世がダマスクスを破り、占領に成功

  • 前753年頃:アッシリア王アッシュル・ニラリ5世が北シリアに遠征し、アルパド王マティイエルを臣従させる

  • 前750年頃:ウラルトゥ王国が北シリアに進出

  • 前750年頃:アナトリアのフリュギア人がフリュギア王国を築く

  • 前747年頃:ヤロブアム2世が死去。以後、イスラエル王国は衰退。後継のゼカルヤも同年に殺害され、イエフ王朝は断絶

  • 前744年:アッシリア王ティグラト・ピレセル3世が即位。彼の治世から新アッシリア帝国は勢力を取り戻す(帝国期の幕開けとも)

  • 前743年:ティグラト・ピレセル3世が北方のウラルトゥを征圧。ウラルトゥに内通したシリアの諸都市、ザグロス山脈方面にいたイラン系のメディア人を破り、強制移住政策を実施した後に、新たな行政州を設置することで併合している(防備のために周辺地域に移住させられ、兵力として用いられた者もいた)。西方ではシリア、パレスチナ地方での覇権も回復し、シリア北部に侵入。遠征によって、アルパド、メリド、クンムフ、グルグムなどで構成されたウラルトゥ連合軍を破る。また、ハマト、ダマスクス、ビブロス、ティルス、イスラエル王国から貢納を受けた。後にシリアでウンキとハマトが反乱を起こすと、両国を攻撃して諸都市を略奪。住民らをイランなどに強制移住させた。こうした政策により、シリアは征服された。この後も、ティグラト・ピレセルは、ほぼ毎年軍事遠征を実施し、大規模な強制移住政策を行っている

上図:黄色の部分がウラルトゥ王国の最大版図(前743年頃)

出典:© Sémhur / Wikimedia Commons
  • 前742年:アッシリア軍がハマトを占領。これに対し、イスラエル王メナヘムはアッシリアに降伏し、貢納する

  • 前740年:アッシリアがアルパドを占領

  • 前740年頃:ダマスクス王レツィンが即位。彼は東ヨルダンのバシャン、ゴラン、北ギレアドを回復

  • 前739年:ティルス王ヒラム2世が即位。彼の代官はキプロスの都市キティオンを統治していたという

  • 前739年頃:ユダ王ヨタムが即位。彼の治世にシリア・エフライム(ダマスクス・イスラエル)連合軍がユダを攻撃

  • 前738年:ティグラト・ピレセル3世がシリア・パレスチナに遠征し、シリア北部の連合軍を撃退。シリアとアナトリア東部に貢納を強制した。この年までに、クエ、タバル、トゥワナ、サムアル、メリド、クンムフ、グルグム、カルケミシュ、ハマト、ダマスクス、カシュカ、イスラエルなどのシリア・パレスチナ周辺の諸王がアッシリアに朝貢。ビブロスを除く北部フェニキアの沿岸都市はアッシリアの属州となった。また、新ヒッタイト諸国のウンキも併合された

  • 前738年頃:この年以降に、フェニキアのシドン、ティルスを「ヤワナ」が襲撃。ヤワナとは小アジア沿岸かキプロスに定着したギリシア人であったか(キプロスに住むギリシア人はアッシリアの宗主権を認めていた)

  • 前733年頃:アッシリアがガザを占領。これに対し、ダマスカス王レツィンとペカが他の諸国とともに反アッシリア同盟を結成。しかし、ユダ王国の王アハズはこの同盟に参加せずに親アッシリア政策をとった。そのため、同盟諸国はイェルサレムを包囲(シリア・エフライム戦争)。ティグラト・ピレセルはイェルサレム神殿の宝物と引き換えにアハズを救援。反アッシリア同盟軍を破り、イェルサレム攻囲から解放。イスラエルを劫掠した。また、ティグラト・ピレセルはガリラヤ地方やトランスヨルダンの征服を進めた。以後、ユダ王国はアッシリアに臣従

  • 前732年:アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がダマスクス王国を滅ぼす。ラヒアヌ王は殺害され、ガリラヤなどイスラエルの北部もアッシリアが制圧。イスラエルはサマリア周辺のみの領土となる。更にセム系諸民族も破り、全シリアを掌握することに成功した

  • 前732年頃:イスラエル王国の民衆がホシェアを立てて、ペカを殺害。ホシェアを王とする

  • 前731年:イスラエル王ホシェアがアッシリアに朝貢

  • 前730年頃:フェニキア人によるカルタゴへの入植が本格化

  • 前727年頃:エジプトのサイスにてエジプト第24王朝を創始。これに対し、ヌビアの第25王朝のピイ王がエジプトに侵攻を開始し、メンフィスを攻略。結果、一時的にピイ王がエジプト統一に成功

  • 前724年頃:ホシェア王がエジプトと結び、アッシリアへの貢納を拒否。これに対し、アッシリア王シャルマネセル5世はホシェアを捕らえ、イスラエル王国の首都サマリアを包囲

  • 前722年頃シャルマネセル5世(次王のサルゴン2世とも)がサマリアを攻略し、イスラエル王国が滅亡。多くの住民が強制移住させられた。また、ユダ王国と他の小国がアッシリアの属国に

  • 前721年:アッシリア王サルゴン2世が即位。当時はエジプトとエラムがウラルトゥと結び、アッシリアに征服された国々に反乱をそそのかしていた。また代替わりの影響として、ハマト王ヤウビディが指揮する反乱が勃発。ハマトの北にあるアルパド、南のダマスクス、サマリアなどがこの反乱を支援

  • 前720年:ハマト率いる反アッシリア連合軍がサルゴン2世に敗北。サルゴンはハマトを襲撃し、城塞を破壊。ハマト王国は滅亡し、ヤウビディは処刑された。多くの住民がアッシリアに強制移住させられ、代わりに他の地方の住民がシリア・パレスチナに移住させられた。ユダ王国やシリア・パレスチナの小国はアッシリアに服属。一方、フリュギア(ムシュキ)王ミダス(ミタ)はゴルディオンを都に定め、隣国タバルの王キアッキをアッシリアから離反させようとした。しかし、サルゴンはキアッキを王位から引きずり降ろし、より忠実な支配者をタバル王とする。これに対し、ミダスはカルケミシュのピシリとともに干渉を続ける。なお、大王を名乗ったタルフンタッシャ王ハルタプがミダスを破ったとする説もある

  • 前718年:アッシリアのサルゴン2世がアナトリア進出を図り、タバルを征服

  • 前717年:アッシリアのアナトリア進出に対し、フリュギア王ミダスが反アッシリア同盟に入り、新ヒッタイトの諸王と結んでアッシリアと対立

  • 前717年:アッシリア王サルゴン2世が、フリュギア王ミダスと通じて謀叛を企てたとして、カルケミシュ・フリュギア連合軍を撃破し、カルケミシュを征服。アッシリアの属州とし、住民と王族は捕囚された。この後、タバル王アンバリスがミダスとウラルトゥのルサ1世に使者を送ったために、サルゴンはアンバリスを王位から退ける。なお、後にミダスはアッシリアがクワ王アワリクを征伐するのに協力している(当時アワリクは亡命中であった)

  • 前715年:アッシリアがタバルを再度征服。ミダスがタバルの反乱を後押ししていたか

  • 前715年:サルゴン2世がアラビア人をサマリアに定住させる。サルゴンはアラビア地方にも遠征していた

  • 前715年:スキタイ人に逐われたインド=ヨーロッパ語族のキンメリア人が黒海南岸に現れ、ルサ1世統治下のウラルトゥ王国を攻撃し、黒海南岸に定住。このキンメリア人を追って、騎馬民族のスキタイ人がカフカス山脈を越えて西アジアに侵入。なお、キンメリア人はシリア北部にまで進出している

  • 前715年頃:ピイ王を継いだ弟のシャバカ王がエジプト第24王朝のボッコリス王を滅ぼし、エジプトを再統一

  • 前714年:アッシリア王サルゴン2世がウラルトゥ王国を征服するも、ウラルトゥ王ルサ1世はじきにアッシリアに征服された領土を回復

  • 前714年:ウラルトゥ王国がキンメリア人に屈服

  • 前713年:サルゴン2世がタバルを併合

  • 前713年頃:ユダ王ヒゼキヤがエジプトの支援を受けて、トランスヨルダンのエドム人やモアブ人、都市アシュドドとともにアッシリアに反旗を翻す

  • 前712年:アッシリアがメリドを征服

  • 前711年:アッシリアがグルグムを征服

  • 前711年:サルゴン2世がアッシリアの支配に反発したアシュドドを攻略

  • 前711年頃:ユダ王国らのアッシリアへの反乱が鎮圧される。アッシリアがユダに侵攻したか

  • 前709年頃:アッシリアと抗争していたフリュギア王ミダスが、キンメリア人の侵入を受けてアッシリアと和睦

  • 前709年:アッシリアがキプロス島を支配。サルゴンはキプロス島にまで遠征し、7人の王から直接貢物を受け取ったという

  • 前708年:アッシリアがクンムフを征服。これまでのアッシリアによる新ヒッタイト諸国への侵略により、新ヒッタイト諸国は滅亡

  • 前705年:サルゴン2世がミダスの誘いでタバルに軍事介入し、アナトリアに遠征。キンメリア人と対峙するも、山岳地帯で敵の罠にかかって戦死。アナトリアの諸都市は、ウラルトゥ王国の援助を得てアッシリアに反逆していた。サルゴンの死後、各地の属州で叛乱が勃発。ユダ王ヒゼキヤもアッシリアからの独立を宣言。以後、アッシリアはタバル、メリド、クエなどの支配を断念

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