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犬と猫(決着)

最近よく考えていたことがある。
それは、少し前からTwitterでもたびたび話題に出している、同じゼミに所属している異性のことだ。
「考えている」というのは、その子のことが好きだとか、気になっているから考えているというわけではない。
むしろその逆で、本当に自分はその子のことを気になっているのか、を考えている。
もっと言うと、言葉では表現するのが難しいような、よくわからない引っかかりがずっとあって、その正体について考えている。
今回は、その答えが少し分かったような気がするので、近況報告のような形で文章に残そうと思う。

結論から先に言ってしまうと、自分の中で思慮を巡らせてようやく出した答えは、「気になってない」、「好きではない」だ。
これは、本当の自分の気持ちに嘘をつくでも、ましてや強がりでもない。そう信じている。
ここからそう思った理由について書いていくわけだが、僕は、自分にはないものを持っている人に惹かれるらしい。
綺麗に表現すると、自分の知らない世界を知っている人が、その世界で幸せそうにしているのを見ることで、自分も幸せを分けてもらえるのだろう。その世界に、僕の入る余地があるか否かは関係なく。

話を本筋に戻そう。
ゼミの異性の子は、僕が持っていないものをたくさん持っている子だと思っている。
僕の知らない世界をたくさん知っている。
ならばなぜ「気になっていない」と言う結論に至ったのか?
先ほどの話とは矛盾が生まれる。先ほどの話に当てはめれば、“惹かれるのでは?”と思うだろう。僕もそう思っていた。
僕は考えた。
引っかかっていたのはまさに“そこ”だった。
彼女は、僕とは違う世界を見すぎていると感じてしまった。

極端に言ってしまうと、僕と彼女は、犬と猫だ。
同じ世界に生きているけれど、生命軸、ひいては人生軸が違うからか、その存在にどこか一線を引いてしまう。
それでどうしても、「気になっている」、「好き」とは思えなくなってしまった。
自分と彼女との間に一線を引いてしまっている。
パラレルワールドに生きているような感覚。手を伸ばそうにも届かないし、そもそも伸ばしたいと思うかどうかすら怪しい。

どうやら僕は、自分が持っていないものを持っている人に惹かれつつも、「違う世界を生きているなぁ」とまで感じてしまう人には惹かれないみたいだ。
今回のことは、知らなかった自分を知れるいい機会になったと思っている。
犬と猫という表現が適切かどうかはわからないが、そういった明らかな“違い”みたいなものが引っかかりになることは、皆さんはあるだろうか。

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