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散歩と読書の共通点

久しぶりに散歩から始める一日。

考えなく歩くと、川沿いを覗き込むようにしていることが多い。植わっている木や群れている水鳥、道沿いの家々など、観察するところが多いからだろうか。

通りの観察は楽しい。

失礼な癖だが、家の外観から、勝手に生活の様子を想像しながら歩いてしまう。ここに人が生きているんだという愛おしさがある。よく手入れされた庭もあれば、あるがまま伸びゆく雑草に囲まれた庭もある。どちらも、家主の生活の一部を語っているんだと思うと、なんだかたまらなくなる時がある。

庭に無頓着なお家は、そのぶん、何に力を注いでいるのだろうな、とか。表面だけ見ても何も分からないからこそ、勝手に予想を立てるのが面白いのかもしれない。

家々を眺める時は、本屋さんで本の前書きを立ち読みするときのような、さらっとしたワクワク感がある。「まだ何も分からないけれど、きっと読むのが楽しいだろうな」みたいな。

本を選ぶとき、文章が好きな感じかそうでないか、という観点もあれば、物語の設定や展開に高揚感を掻き立てるかどうか、という見方もある。「文章は普段読まない感じのトーンだけど、続きが気になってしょうがない」なんてことも有り得る。

通りにも「好きな感じかどうか」と「歩いてて見回してしまうほど興味が惹かれるかどうか」みたいな、似たような見方をしているなと思う。

もうちょっと散歩と読書を重ねてみる。

散歩でいうと、私は乱読派だ。昨日歩いたのとは別のコースとか、この前通った道の一本手前とか。つまみ食いのように、なんだか気になる道へ首を突っ込む。歩いた一帯の全体像を掴んでいるわけではない。

でも、ふとしたときに「この道はここにつながっているのか」と気付く時がある。乱読の醍醐味だと思う。

そういえば、グーグルマップのアプリにアップデートがあって、ピンに絵文字を付けられるようになった。気づいた時にちまちまとリストを分けたり絵文字をつけたりするのが、自分だけの地図を作っているみたいでホクホクした気分になるので、おすすめです。

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