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「消えたさ」と戦うために好きなことをする

ずっと漠然と「消えたい」と思っている。これは深刻な話ではなくて、「ぜ〜んぶ投げ出してどっか行きたい」、みたいなニュアンスで。

わたしの持つ「消えたさ」は「リセット願望」に近いかもれない。そして実際のところ、願望ではとどまらず、わたしはさまざまなことをリセットしまくってきた。

住む場所を変え、職場を辞め、果てはSNSを全て消した。もちろん、LINEも。

リセットしたのは環境だけではなく、物にも当てはまる。断捨離に目覚めて家具を捨て、思い出を捨て、家すらも解約した。私の持ち物は、いちばん少ないときで洋服を含めても段ボール5つ分にまで減った。

いろんな「消える」を試して思ったのは、消えるって、望んでやったことでもわりと痛みを伴うということだ。(考えなしに動く自分にしか当てはまらないことかもしれないけれど。)

物質的な喪失感もあるし、連絡先に関しては、周りにいらぬ負担や心配をかけてしまった。

「捨てた後悔なんてない」と片付け本は言うが、わたしはしっかり捨てたことを後悔するタイプだと後から分かった。とくに趣味や思い出の部類は、数年おきに必要になる周期がくる。

当時の自分に指摘したい。「ミニマリストの人は常識を捨ててものを整理しろと教えてくれるが、それもまたミニマリスト界の常識に過ぎず、最後は自分で判断するべきだ」と。

すべて、やらなきゃわからなかった。だからやってみてよかったとは思うけど。「無茶したな」と思うことはいっぱいある。

感情のまま、安易に「消える」をしてしまうとしんどい。

「消えたさ」って、要するに、
投げ出したいほど嫌なこととか、よく思っていない習慣が自分の日常の中にあって、「でも、わたしはいつだってこの生活を捨てられる」ということを確認したい。
ということだと思う。

よく思ってないことを、投げ出せる勇気はあるか。
嫌だと思ってることに嫌とは言えないけど、逃げ出す心意気は残っているか。
自分で人生の舵を取る意識を持っているのか。

そういったことを確かめるために、「消える」行動を取るのかもしれない。

ある日突然消える、ではなく
好きなことをやる瞬発力を持っておく

であれば、今やっていることを突然捨てるのではなくて、突発的に楽しみを挟んだり、少し習慣が変わるようなものを取り入れてみたり、といったワガママを小出しにしていくのがいいだろう、と最近は考えている。

休みの日に、歯医者の帰りに熱海まで行ってみたり、フルリモートの会社員をしながら旅をしてみたり、社会人大学生を始めてみたり。

私が好きなことをし続けるのは、ある日SNSを消したり、持ち物すべてをゴミ袋に入れたり、スマホを海に投げ捨てたりしないための、予防策なのだ。

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