【PTA回想録(12)】PTA会長として考えたことを整理して校外活動に臨む

(前回 【PTA回想録(11)】「必要なこと」を見つけて形にする―通学路雪かきの協力呼びかけ― より続く...)

PTA会長1年目は,前回までにご紹介したように,活動方針をリニューアルし,放課後の過ごし方アンケートを実施し,大雪時の通学路除雪の呼びかけまでやってみました.基本的には,最悪,自分一人でできる程度の作業量で会全体を補強し,特に「会の社会的使命を果たす」部分に特化して取り組んでいたように思います.抜本的なことをやってやれないこともなかったのですが,PTAは数年が経過した後に自分が去る日がやってくるので,会の活動の骨格部分をうまく維持しながら,最小限の補強で次の人に渡すことで,後の人の負担を減らそう,と思っていました.

何とか会長1年目を乗り切り,2年目に突入するところで,運悪く(?),区のPTA連合会の副会長が回ってくることがわかりました.なんと,副会長は市のPTA連合会の理事も兼ねるとのことでした.会議は増えますが,どんな人がどんなことをやっているのかな?という好奇心もあって,ひとまず会合に行ってみることにしました.

まず最初に足を運んだのが,区のPTA連合会の理事会でした.年間の活動計画や予決算のような「お決まり」の話をしたのち,会長を務める中学校のPTA会長さんが「せっかくの機会なので,何かありますか?」と発言されました.そこで私は,こんなことを発言してみたのです.

「コロナ禍も長期化してきて,学校や先生方もご苦労されていると思います.もうじき区P連の総会があって,各学校のPTA会長さんがお集まりなので,各学校でPTAから学校へ,感謝と労いのメッセージを出すことを呼びかけてはどうでしょうか.私は昨年お手紙を書いて校長先生にお渡ししましたが,先生方に好意的に受け止めていただけましたよ.」

その後,その場ではいくつか発言がありましたが,もろ手を挙げて賛成,というよりは,困惑している様子だったように記憶しています.今考えてみれば,PTA会長さんと言っても,普段からたくさん文章を書いている方ばかりでもなく,いきなり言われて困惑しても当然でしょう.一方で,良いことをやっていると信じている私は,「きっと賛同してくれる」という甘い観測もあったので,軽い失望感からあれこれ余計なことを言ってしまいました.もう「後の祭り」です.会合がおわり,各校から来ていた先生方にその場でお礼を言われ,宥められたことを思い出します.区P連の総会は所用で欠席しましたが,会長さんから呼びかけがあったように後日聞きました.

その後,区の代表として,市のPTA連合会の会合に出席することになりました.市P連では理事という立場だったので,年数回の理事会と行事への出席が求められます.出席してみてわかったのは,市のPTA組織でなすべきことは多岐にわたるものの,その活動を担う人たちは各校のPTA会長を兼ねていて,市や区のPTA連合会のことだけにリソースを割けない,という現実でした.現状,PTAに対する社会からの批判もあって,各学校のPTAでは会の運営に困難さを感じることが多くなってしまい,市の連合会ではそちらの課題を克服できるような情報提供や,各校PTA間の意見交換の場の創出のほうに先に手を付けざるを得ない,ように見えました.私個人は「(各校PTAを取りまとめる)この組織の本来の役割に目を向けていかないと,この先が危うくなる」と感じ,ちょっと前のめりになってしまっていました.こちらも警戒心しか持たれず,今となっては反省する点の一つです.

市のPTA連合会では,各学校のPTAを取り巻く課題を考え,活動を企画・実施する部会に参加することになり,参加者とあれこれ意見交換することになりました.そこでの話し合いでも,どうしても会の運営を円滑に進めるための方策に関する話が中心となります.話を聞いていて,PTA会長さんとはいえ,同じ保護者であるにも関わらず,会員である保護者の不満や批判を小さくするために苦労していることに,不条理さと同情を感じ始めていました.そこで私は,少しでもヒントになれば,と思い,自分の頭の中を整理した成果をまとめて,次の集まりの時に皆さんに提示することにしたのです.

小学校のPTA会長として今考えていること

【保護者がやるべきこと】
 先生方に教育のプロフェッショナルとしての仕事をしてもらうために,保護者がやるべきことを自分たちで主体的に対処・処理し,問題があれば協力して解決すること.また,子どもの学校教育に関する利益の代弁者としての責任を果たすこと.これらのことを一保護者が成し遂げるのは非常に難易度が高い.保護者の集合体として役割を果たすことが合理的であり,児童生徒全体の利益が最大化すると思われる.PTA活動は楽しく快適性を求められればよいが,参加する大人は遊んで生きているわけではないので,そう簡単なことではない.快適でなくても,楽しくなくても,多くの保護者は必要だと思えることならば受け入れてくれる.また,PTAは仕事ではないので,何かを成し遂げねばならないことなどない.活動を通して形成される「さらっとした人間関係」こそが一番の成果である.活動の完成度を求めても意味がないし,PTAは保護者の自己表現の場ではない.

【現状,会を運営する上で考えていること】
(1)  学校運営協議会(コミュニティ・スクール,CS)に関すること

 PTAは学校関係団体の一つ.PTAは子どもの利益を代弁する保護者が中心に構成される団体であるが,その社会的責任を果たしているのだろうか? 学校の運営方針の承認や教育活動の点検評価の役割を担っていることはある程度理解できているが,学校が教員・児童・生徒と取り組みたいことを理解し「責任ある大人」として意見表明したり,教員配置や予算,学校施設整備等に関して行政に働きかける合議体としての機能が求められているが,対応できているのだろうか?
 また,PTAがCSに学校関係団体の一つとして参加することは,学校にとって保護者の集団を重要視はするが,一対一で向き合う構造ではないことを意味する.このとき,PTAは保護者(や教職員)の意見を吸い上げ,子どもの利益を代弁できる機能を備えているのだろうか?

(2)  教員の負担軽減に関すること
 親の負担ばかりに目を向けてはいないか? 学校での子どもの教育は「先生」が担当する.わが子によりよい教育(公教育)を受けさせたいと思えば,先生にプロフェッショナルの仕事をしてもらうのが一番である.先生方が力を発揮できる環境を整備することに対し,「負担軽減」という形で私たち保護者が貢献できることはないのだろうか? 私たちの暮らす地方都市では,公教育の質は地域社会の持続性を大きく左右しかねないし,子育て世代の定着・永住に対しても大きく影響する.少なくとも,教育の質が低いところを好んで子育てをしようとは思わない.教員の負担軽減は,先生に楽をさせるのではない.先生に質の高い仕事(教育活動)をしてもらうためである.ただし,教員の負担軽減が保護者の労働奉仕に直結するものでもない.

(3)  特別支援教育,および障がい者や外国にルーツを持つ人たちへの理解や配慮に関すること
 先生たちによる「未来の社会をつくる」ための教育活動と認識している.合理的配慮が求められる中で,保護者の知識や理解はどうなんだろうか? 学校や教育委員会の取り組みを側方支援するようなことはできないのだろうか? 現状,全世界的な潮流として,多様な個人の尊重を基礎として社会をつくりあげること,が重視されている.ハコにあわせて身を縮めて生きる,のではなく,それぞれの体の大きさに合わせてハコを作りその中で生きていく,時代を迎えつつある.

(4)  子どもの遊びや遊び場に関すること
 コロナ禍が長期化する中,こどもたちが屋内外で安心して遊べる遊び場は十分確保されているのだろうか? 天候に左右されず広い空間,屋外でのびのび遊べる場所は十分に提供されているのだろうか? 子どもの体力増進は,営利企業の習い事だけが担っているわけではない.

(5)  子どもの権利に関すること
 
Sexual minorityやジェンダーの問題など,既存の価値観が急激に変化し多様性の尊重が求められる中,学校や家庭で考えねばならないことはないのだろうか? PTAとしてできることはないのだろうか? 子どもたちの将来の就労や家庭生活を考えると,非常に重要な気がするし,現状のPTAが抱える課題の多くは,男女平等やジェンダーの問題に行き着く気がする.

(6)  低学年児童の保護者への働きかけに関すること
 
特に,初めてお子さんを入学させる保護者に対して,会の活動の成果を役立ててもらうことで,保護者が安心して小学校に通わせられるような活動ができないか.この点は,特に第一子を入学させる保護者に対し,会への理解を深めてもらう,という意味で,会の運営の安定性の観点から,非常に重要と思われる.

(7)  長期欠席や不登校のお子さんを抱える保護者への配慮に関すること
 
非常に繊細な話で,対応が難しいことではあるが,長期欠席や不登校のお子さんを抱える保護者に対して,困難な状況で孤立させないために,適切かつ十分な配慮のもと,PTAとして力になれることはないのだろうか?

(8)  保護者として子どもと向き合った経験を学校の知的財産として残していくこと
 今を生きる私たちが,子どもと向き合って考えたり経験したことを学校や地域の共通の「知的財産」として,PTAの中に蓄積していくことに意義を見出し,会の存在意義とすることはできないのだろうか? 大人がやることは,別に「何か特別なことをやる」だけではないはず.考えたり議論したりしたことも立派な成果である.

(9) 子どもや大人が自信を持てるような行事や活動に関すること
 学校でも家庭でもない組織の特性を生かして,子どもたちが自信を持ち自己肯定感を高めてくれるような行事や活動を企画・実施できないだろうか.学業やスポーツ以外にも,子どもたちが活躍したり,役割を果たしたりしている場面はあるはず.そのような子どもたちの姿を親でも先生でもない大人が称えることで,自信をもってくれないだろうか.また,自信が必要なのは,保護者や教職員も同様である.「小さな勇気づけ」を通して,大人にも自信をもってもらえるようなことができないのだろうか.

「小学校のPTA会長として今考えていること」メモ(地名等の記載箇所を一部改変しています.)

このメモは,現状のPTAで課題と感じることや,将来を見据えて考えた方が良いことをまとめたものです.これを示したことが,善意でPTA会長を務めている皆さんのためになったかどうかは,正直言って今でもよくわかりません.リストアップしたものの中には,例えば(7)のように,非常に難易度が高く,そう簡単に実現できないと思われることも含まれています.一方で,上述の論点以外にも,交通安全や防犯、子どもたちの健康のように,時代の変化によらず重要な課題もたくさんあるでしょう.ただ,自分にとっては,これらをすべて網羅する活動が成し遂げられるかどうかは脇に置いて,このメモができたことで自分自身で考えていることが単なる思い付きではなくなり,このメモを使ってともに活動に時間を割いてくれる方に「私が考えていること」を伝えることができるようになりました.その意味で有用なものとなったと感じています.

(次回 【PTA回想録(13)】子どもたちを応援する活動を創る―「わたしの好きなこと・興味のあること展」の思い出(その1・企画編)― に続く...)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?