【学童野球を愉しむ日々(1)】野球ストーリーは突然に

みなさん,こんにちは.
時の流れははやく,21世紀ももうすぐ第一クォーターが終わりそうです.私は,仕事が人並みにしんどい中,子どもの学校やスポーツにも時間を割かねばならない「お年頃」になりました.野球をやっているわが子も学童野球を卒団して一区切り,を迎えたところで,わが子と父の学童野球の思い出を忘れないように,文章にまとめておこうかと思い立ったわけです.推敲も不完全で,お読みいただいた皆さんに苦痛を与えることも予想されるので,最初にお詫びしておきたいと思います.

昭和の田舎で生まれた私は,皆さんの幼少期と同様,物心ついたころから夜はナイター中継が流れる家庭に育ちました.小学生のころは学校の宿題もなく,田舎なので学習塾に通う子もほとんどおらず,習い事といったら,珠算か書道くらい.ちなみに私は,道を挟んだお向かいさんが書道教室を開いていたこともあり,小学校1年生から土曜の午後は書道教室に通っていました.平日の放課後は連日近所の同級生と遊んでいましたが,天気が良ければ夏は野球をしていました.今考えてみれば,よくもまあ,毎日毎日同じメンバーで,野球ばっかりやっていたものです.私の通っていた小学校では,4年生から学校の野球スポーツ少年団に入団できたので,4年生になって,近所の子と一緒に少年団で学童野球をやりはじめました.それから中学,高校と,ずっと野球をやっていました.正直言って,私,野球はそんなに上手くはありません.高校では,いろいろと考えた挙句に,「やっぱり野球やりたいなあ」と思い,硬式野球を3年間やりました.夏も冬も毎日練習して,試合にも出て,勉強との両立にはそれなりに苦労しましたが,野球で体力がついて,その後の大学・大学院での学生生活でものすごく役にたちました.やはり,体力がなければ,集中力も頑張りも持続しないものです.

私の野球人生は10歳から18歳までの9年間で終焉を迎え,その後の30年,「自分がプレーする野球」とは全く無縁の人生でした.その30年で,息子が生まれ成長する中で,「何かスポーツをやらせたいなあ」と思い,小1のころから息子を近くのサッカースクールに週一回通わせていました.私自身は,2003年に来日したイビチャ・オシム監督が大好きで,2011年・2015年サッカー女子ワールドカップの時の澤穂希さんに感銘を受けていたので,「このままサッカーやるのも良いかな」「野球とは無縁で終わるのかな」と思っていたのを記憶しています.もっとも,私自身は,子どもがどのスポーツをやろうが,こだわりは全くありません.競技成績にもほとんど関心がありません.私自身,好きなことをやって大人になっているので,子どもが自分で選んだ競技を楽しんでやれればよい,それが長続きすれば,なお良い,と,当時からと思っていました.

そんなわが子の小学校生活で大きな変化が生まれたのが,COVID-19の感染拡大でした.学校も全国一斉に臨時休校となり,その後再開した後も,感染拡大防止のために,子どもの日常生活の至るところで制約が生じていました.友人宅に遊びに行きにくい空気もありました.ちょうどそのころ,クラス替えになり,3年生の冬ごろから息子が同級生の友人たちと遊ぶようになり始めました.遊びに行くのは平日の放課後,近所の公園や学校のグラウンドで友人たちと暴れまわっていたようです.その「遊び仲間」たちが,ひとり,またひとりと,学区内で活動している学童野球チームに入団することになったのか,遊びの中で野球が登場するようになったようでした.わが息子も「グローブ買ってくれ」と言い出して,まずはおもちゃみたいな安いものを買い与えたことを思い出します.

そうこうしているうちに,息子から「友だちに野球チームに誘われているんだけど」などと言い出すようになりました.「野球かぁ...ちょっと予想外の展開だなあ」と思いつつ,「学区内にサッカーチームもあるけど,そっちはやらないのか?」などと何度か話をして,5年生の春に息子が「やっぱり野球をやりたいけど,いいか?」と言い出したんで,「じゃあ」ということで,入団確定!!

私自身は,自分の子どものころを振り返りながら,「5年生で大会もあるだろうし,ちょうどいいか」「簡単なことならば家で教えてやればよいか」などと考えていたことを思い出します.ただ,今になって思えば,私の子ども時代との違いもあって,学童野球を始めるなら3年生の秋か4年生の春くらいからがベターだったな,と感じていますが...

ちょっと前置きが長くなりましたが,そんなこんなで,「学童野球ストーリーは突然に」スタートすることになりました.

(次回)【学童野球を愉しむ日々(2)】足を踏み入れてわかったこと へ続く.


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