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北朝鮮の合成写真の謎を探る

北朝鮮で「粛清された人が写真から消された」ということを聞いたことがあるだろう。実際、北朝鮮の写真「捏造」の歴史はとても長い。

この記事は、最近、北朝鮮公式メディアで流れた合成写真の謎を追ってみようというものである。

2月8日は北朝鮮の「建軍節」である。

偉大な首領金日成同志は解放後、強力な正規軍隊の創設を自主独立国歌建設の必要敵要素として掲げられ、卓越した軍建設思想と精力的な領導により、3年にもならない短い期間で、抗日の伝統を継承した主体型の革命的正規武力である朝鮮人民軍を創建なされた。

朝鮮人民革命軍を正規的革命武力として強化、発展させ、朝鮮人民軍の誕生を宣布した歴史的な日――それが2月8日である。

この日は、朝鮮中央テレビでも金日成による軍創設の歴史を語る番組が多く流れる。その中で1946年に創立された「平壌学院」の写真が映し出された。以下は同日、2つの番組で流れた平壌学院の写真である。

完ッ全に合成じゃん。

上と下の写真ではなんだか随分背景も違うような気がするのだけど、まぁそれはおいておこう。上の写真も違和感を感じるのだが、下の写真はもっとすごい違和感に襲われる。解像度がイマイチな写真に、妙にツヤっとキレイな解像度の金日成主席のお写真。浮いてる浮いてる。

さて、ここで問題。
北朝鮮はなぜ、肖像画を合成したのだろうか?

「平壌学院」は、植民地から解放された後、建国を主導する幹部の育成のために創立された学校である。

これらの新聞は1946年2月1日の工業新聞(上)、中央新聞(下)である。

少し読みづらいが、比較的字が識別しやすい上の記事を訳すと以下のようになる。

(平壌特信−共立)北朝鮮の政党、政治機関、民衆団体に切迫して必要になっている幹部を養成するため、●●余りの間準備を重ねていた平壌学院は去る1月3日に正式に開学し、正式開院式は2月23日に挙行することになった。将来のわれわれの建国幹部の養成に大きな貢献をすることになる同学院は、金日成氏が名誉院長、金策民氏が院長となり、北朝鮮各地から選抜された優秀な青年600人は政治国際事情、朝鮮問題、党政民工作などを学び、同学院教育方針は、理論を実際に連系させ、学ぶことを実行に連系させようということだ。そして学生の中心スローガンは「人民の忠実な服務者になる」である。

●●の部分は読み取れなかった。
また、私は古い韓国/朝鮮語に詳しくないため、若干意味不明な言い回しに感じる部分もある。

最初に考えたのは、現在の北朝鮮にとって「不都合な」肖像画が写っていたのではないか?ということである。

解放後しばらくの間、北朝鮮ではこのようにスターリンの肖像画や、

毛沢東とブルガーニンの肖像画が掲げられているなど、金日成以外の肖像画がともに掲げられていることは珍しくないようだ。唯一思想体系が確立(1967年)され、金日成の神格化が始まって以降、こうした肖像画は次第に姿を消したと考えられる。
※金日成広場には2012年までマルクスとレーニンの肖像画が掲げられていたという。

このように同学院が建設された46年には、金日成以外の肖像画が掲げられていてもおかしくない時代ではあるが、記事中にもあるように、同学院の名誉院長は金日成ということなので、金日成だけの肖像画でもおかしくないと言えばおかしくない。

ではなぜ合成なのだろうか?

「元の写真」をしばらく探して見たのだけれど、現時点ではどうしても見つけることができずにいる。
一方、同年に設立された初級幹部養成機関である「中央保安幹部学校」の門にも、金日成1人の肖像写真が掲げられていることがわかった。こちらはある人が所有している書籍に載っていたもので、合成の可能性は低そうな写真である。

謎は深まるばかりである。

ここで、いくつか仮設を考えてみた。

①写真が劣化し、金日成の肖像画も劣化してしまった。劣化した肖像画をそのまま放映することは失礼に当たる→綺麗な写真を合成しよう!

②朝鮮解放当時を扱った映画でもちょくちょく登場するこの肖像画(下の写真は、映画に登場した「ソウル新聞」の紙面。おそらく本物の紙面ではなく作られたものだろう)。元々の肖像画よりも、若々しい「青年将軍」という雰囲気のこちらの肖像画の方が好ましいと考えて差し替えた。

さて、本当の理由はいかに・・・

このnoteでは今後も北朝鮮の合成写真の謎を追って行く。

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