脱北者と自尊心

ひょんなことで脱北記者と知り合った。
2002年に韓国に入国し、現在は東亜日報の記者としてさまざまな記事を書いているらしい。
「彼を知らないなんてモグリだよ」
と言われて、そんなに有名な人なのか?と名前を検索してみたら、東亜日報のサイト内でもたくさんのコラムを書いてる人で、著書もたくさん出てきた。脱北した在英北朝鮮大使館公使が入国後、初めてのインタビューで「ずっとブログを読んでいた」と名指ししたのも彼だったことを知った。

そんな彼と仲良くなって済州島で一緒にお酒を飲んだり、カラオケをしたりしたのだが、後ほど自分の著書を4冊も日本まで送ってくれた。そのうち、一番早くに出版されたものを読んでいる。
タイトルは「ソウルで書く平壌の話」。

こんなコラムがあった。
韓国入国後、彼は右も左もわからない韓国で仕事を探す。「面接のとき、大学卒業証書を持ってくること」と書かれているのをみて、彼は金日成大学(北朝鮮で最高のエリートが通う大学の一つだ)の卒業証書を手に面接に向かうが、人事担当の人に「北朝鮮の実力が通用すると思っているのか」と白い眼で見られてしまうのだ。

韓国の会社の面接試験に北朝鮮の大学の卒業証書を持っていく彼を想像して、ちょっと笑った。同時にとても悲しくなって、笑いながら少し涙が出た。

北朝鮮から来る人々は確かにわれわれと違う教育を受けている。金正恩らの「偉大性」などに重点を置いて学んでいる彼らは、われわれの目からみたら滑稽に見えるかもしれない。
そして学力や生活力においてもわれわれより劣っているように見えるかもしれない。

しかし、生まれ育った国、そしてそこで学んだ全てのことを否定されてしまう脱北者たちはどんな心情になるのだろう、と一方では思うのだ。
脱北はしても、心に秘めた祖国に対する小さな愛情、 経済的には韓国にはかなわなくとも、これだけは韓国にも負けないぞ、というような自負心はきっとある。でもそれはきっと、韓国で少なからず負い目を感じながら過ごす多くの脱北者たちには口にすることのできないことではないのか。

家族もおらず、経歴も否定されて、体制の違う国で一から生活を組み立てる・・・そんな孤独感の一端を垣間見て、私は今まで知り合った脱北者たちの楽天的な笑顔を少しだけ悲しい気持ちで思い出したのだった。

#北朝鮮 #脱北者

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