人が傷つく意味を考えた話

人が「傷つく意味」とは何だろうか。

ある人は「傷つかずには生きていけない」と言った。またある人は「相手を傷つけずには深い関係を築けない」と心の内を話してくれた。


なぜ『傷つくこと』が前提にあるのだろう。

心無い言葉、何気ない言葉、気持ちを裏切るような行動など、いつも他人によって傷つけられると信じてきた。


信じた根拠として、学生時代には「あの子とは関わるな」と仲良かった子に吹聴されたし、職場の先輩には努力のすべてが「若いから出来た」と言われ、評価してもらえなかった。その時は確かに心がガラガラガラ...と音を立てて崩れる音がした。傷ついたと自分が認識した瞬間だった。


しかし、5年ほど経った頃、社長は人間味がなくて厳しい言葉を浴びせる人だった。「そんな仕事のやり方で生きてる意味ある?」みたいなことを平気で言う人。だけど、少々イラッとするだけで傷つかなかった。


この違いは、まず自分がその言葉や行動を認めているか。次に相手への理解ではないかと思う。

もし心無い言葉や行動を「そうかもしれない」と認めていたら、事実を自分の価値と結びつけて傷つくことを許してしまう。

「自分には価値がないから、愛されないから、そうされても仕方ない」と、思っていたらそのまま現実として実現する。意識が傷つくことに集中するからだ。無意識に傷つくことを探すのがうまくなっていく。


相手への理解が必要なのは、どんな考えや価値観を持って発言しているかを知るためだ。相手を理解するためではなく、自分が安心するために。相手が自分を傷つける人ではないと安心が必要だから、理解に努めるのが信頼関係なのだと思う。

他人を理解するのは不可能で、いつも予測にしかならない。自分の経験の内で、人を理解できる深さが変わる。


「傷つけずには深い関係を築けない」と悩む人を理解できなかった。「傷つける」が前提の価値観からは、悲痛な心の叫びが聞こえる。悲しさは人それぞれで比べられないものだから同じ位置に立つのは難しく、外から見守ることしかできない。

自力で手を伸ばさないと誰にも見つけられない。「ここにいるんだ」と手を伸ばす勇気は必要で、もし素通りされたとしても傷つかなくていい。自分もその人のこと、全然見えてなかったのだと思うから。

他人は自分を傷つけられない、傷つけるのは自分自身だ。自分のいらない価値観だ。私はいらない価値観を知って手放すために、「傷つく」必要があったのだと答えを出した。

#日記 #エッセイ #コラム

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