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【100周年特別OB対談】岡田武史×兵藤慎剛 〜ア式の未来、大学サッカーのこれから〜〈第1回〉


2024年、ア式蹴球部は創部100周年を迎える。 

100周年をただの1年で終わらせたくない。そんな想いで我々は100周年プロジェクトを立ち上げた。

来年に向け、プロジェクトは進行中である。だが、まだまだ課題も多く、上手くいかないことだらけだ。それでも間違い無く言える事は、人との繋がりを大切に、行動を起こし続けていきたいという想いである。

ア式だからこそ出来ること、伝えられる事は何か。そんな事を考えながら実現したのが本企画。弊部のOBである岡田武史氏と、同じく弊部OBであり現在ア式蹴球部の監督を務める兵藤慎剛氏による100周年特別OB対談である。

大学4年間をア式で過ごし、卒業後もサッカー界で、そしてサッカーのみならず広く社会で活躍し続ける両氏の現在や過去、人生観について紐解き、来たる100周年、そしてこれからのア式蹴球部、大学サッカーが歩むべき姿について共に考えていく。

本対談記事は全3回にわたってお送りしていく。第1回となる今回はお2人が現在力を入れていることや大切にしている価値観についてお聞きした。

(※本対談は2023年8月16日に実施されました。)


100周年プロジェクトの記事はこちらから▼


【プロフィール】



岡田武史(株式会社今治. 夢スポーツ代表取締役会長)

1956年8月25日生まれ。大阪府出身。大阪府立天王寺高等学校から早稲田大学政治経済学部に進学。早稲田大学ア式蹴球部に在籍。卒業後は古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団し、サッカー日本代表にも選出される。引退後は、監督としてコンサドーレ札幌のJ2優勝、横浜F・マリノスのJ1連覇に貢献。さらには日本代表監督として2度のW杯に出場し、2010年南アフリカ大会ではチームをベスト16進出に導いた。その後中国スーパーリーグ杭州緑城の監督などを経て、2014年に株式会社今治.夢スポーツ代表取締役に就任。現在は会長としてクラブ経営から教育事業まで多岐にわたる活動に従事している。

兵藤慎剛(早稲田大学ア式蹴球部監督)

1985年7月29日生まれ。長崎県出身。国見高校時代、全日本ユース選手権、インターハイ、高校選手権の三大タイトルを獲得。早稲田大学入学後は、東京都1部リーグからスタートだったが、1年次に関東リーグ2部昇格、2年次に関東リーグ1部に昇格し、4年次にはキャプテンとして大学選手権優勝を果たす。在学中、U-20日本代表でもキャプテンとして日の丸の10番を背負い、ワールドユース選手権に出場しただけでなく、全日本大学選抜として2度ユニバーシアード世界大会に出場し、金メダル獲得にも貢献。卒業後は横浜F・マリノスでプロとしてのキャリアをスタート。北海道コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台、SC相模原に所属し14年間のキャリアを終え、2023年から早稲田大学ア式蹴球部監督に就任。


ーー本日はよろしくお願いします。

一同:

よろしくお願いします。


ーーまず初めに、岡田さんの現在注力されている仕事や事業について教えていただけますか?


岡田さん:

今はもうすべて株式会社今治. 夢スポーツの経営に全力投球しています。

株式会社今治. 夢スポーツはいろんなことをやっていて、トップチームFC今治(J3)の運営だけじゃなく、他のチームと同じように育成・スクールの普及ですよね。それにレディースもやってます。それ以外には、中国に9人コーチを派遣して私が以前監督をしていたクラブの育成をしたり、あと今は東南アジア地域とも提携をしていて、つい先日はシンガポールのスポーツ庁の方が来られて、コーチの育成を我々がやることになったりとか。トップチームのサッカーを運営しているだけではありません。

それ以外にも教育事業の一環として環境教育をしています。これは富良野の倉本 聰先生と一緒にやらせてもらっている今治自然塾っていう環境教育を今治西部丘陵公園(しまなみアースランド)に作って、そこの指定管理をしています。

それ以外にも野外体験教育という、遺伝子にスイッチ入れるような経験を提供しています。今の社会を見渡すと、必要以上に便利・快適・安全な社会で、例えば1つの公園で怪我人が出たら、全部の遊具が使えなくなることがある。こんなに守られていて、いつ若者が強くなるんだということで、僕は一般社団法人OIJっていうのを立ち上げて、一番最初は早稲田の学生10人をカナダのエドモンドに連れてって、アルバータ大学の学生と2人1組で5日間川をカヌーで下って、その後5日間ロッキー山脈をハイクするというのをやりました。

その中で、どこでビバーク(山中での野宿)して、遅れたやつをどうするとかね。インストラクターはいるんだけど、全部学生同士で解決するんです。言葉が通じないってことで喧嘩が起こったり、泣き出したり、帰るって言って陸地歩き出すやつがいたり、なんかもうカオスになるんだけど、なんとか全員で戻ってきた時に、もちろんわんわん泣いて抱き合うんだけど、その後みんなの目が遺伝子にスイッチ入ったように変わるんだよ。そういう授業を今は会社の事業としてやっています。

3日前にも9泊10日で無人島に小学生14〜15人行ってたのがシーカヤックで帰ってきましたね。最長は、その事業(しまなみ野外学校)5周年の時に、記念イベントをやりたいって言うから「じゃあやれ」って言ったら20泊21日、海遍路、山遍路、全長320kmをテント担いで香川県まで行って、そこからシーカヤックで無人島伝いに本州行って、無人島伝いに今治に戻ってくるっていうとてつもなく過酷なのをやった。それくらいやると人間変わるんだよね(笑)。

そういうような教育事業を、今度本格的に学校に進出することにして、学校法人今治明徳学園の学園長になって。中高短大まであるんだけど、まずは高校から、ほぼ全寮生の新しい教育をする学校に作り変えると。FC今治高等学校 里山校っていう名前にして始めています。

また、新しく今回42億くらい資金調達してできた今治里山スタジアム。ここで我々は本来駐車場にするところやスタジアムの土手を畑にしたり、外で田んぼをやったり、農業法人も今度やる予定。あとカフェをやってたりとか、ドッグランだとか、サウナ、バーベキューも作ろうと。そこにはasicsと提携したランニングクラブ、健康事業、そして東京芸術大学と提携して、誰もがアートや音楽に親しめる、そういうような新しいコミュニティ作りを試みています。


こういうのを全部同時進行でやってるってのが現状で、もう死に物狂いで働いてるよ。(笑)




ーーありがとうございます。今、1番岡田さんを動かすものっていうのはどこにあるのでしょうかか?岡田さんに関する記事も色々拝見させていただいて、印象に残ったのが、「父親として子供に何ができるかが原点」という言葉でした。



岡田さん:

1番最初は、俺が早稲田の学生だった時にア式の部長が、堀江忠男(ホリエタダオ)先生って政治経済学部の俺のゼミの教授だったんだけど、めっちゃくちゃ厳しい人でベルリンオリンピックに日本代表で出た方ですけど、もう本当に笑顔なんか見たことないような人がいつも「自分にとってサッカーはなくてはならないもんだけど、一番大事なもんじゃない」っておっしゃってた。

僕はてっきり、先生にとって1番大事なものは学問だと思ってた。ある時、先生のご自宅に行って、お子さんが小さいんだけど、その子が絡みついても全然怒らない。まあ当たり前なんだけど、その時にふと先生が1番大事にしてるのは、ひょっとして「愛情」ですかって聞いたら、そうだと。俺は人類愛のために学問もサッカーもやってるっておっしゃった。もうそれが俺の中ではものすごい衝撃で。人類愛のために生きてる人がいるんだと。

それから僕は「岡田の愛の5段階説」っていうのを作って。第一段階が「自己愛」、第二段階が「パートナー愛」、第三段階が「家族・友人愛」、第四段階が先生がおっしゃった「人類愛」。まあ4段階でいいんだけど、マズローの欲求の5段階説とか、こういうのはなんでも5段階だからってことで、その上に「地球愛」っていうのをつけて。自分がどのレベルで物事を考え、決断して生きているか。自分のことだけ考えてるのか、もう1人のパートナーのことを考えているのか。堀江先生は人類愛のために生きてるとおっしゃった。俺の目標は、死ぬまでにいつか俺も人類愛のために生きてるっていうような人間になること。それが夢です。

うち(株式会社今治.夢スポーツ)の企業理念が「次世代のため、ものの豊かさより心の豊かさを大切にする社会づくりに貢献する」っていうのだけど、最初に次世代のためってつけてるのはそのためなんですよね。すべての生物は命を繋ぐために生きてるけど、人類だけは子供達の時代のためじゃなくて自分のために生きてる。そこに対する疑問みたいなものがちょっとしたパワーになってるかな。

インタビュー中の様子



ーーありがとうございます。



ーー兵藤さんは今早稲田大学の監督として、また監督業以外にも取り組まれていることがあると思いますが、今ご自身が力を入れていることをお話しいただいてもよろしいですか?



兵藤さん:

はい。岡田さんの素晴らしい話の後に話すのは大変恐縮なんですけれども、僕も14年間のプロサッカー選手を終えて、引退して2年目になるんですけど、引退する前に半年間無所属の状態でニートをしていた時期がありました。

その時に今岡田さんが話されていたような、「豊かに生きる」っていうその「生き方」っていうところに興味を持って、自分の中ではサッカー選手としてしか価値がないと思っていたものが、サッカーをやるっていうのはただの生きるための手段なんだ、自分を表現するために自分が一番得意とするものだったんだということに気付きました。

豊かに生きるっていうのはすごく大事なことだなと自分自身も感じておりまして、今回ア式蹴球部の監督をやらせていただく時に、やっぱり今までの歴史を追ってみても、ア式って日本をリードするような存在で、サッカーで日本一になるっていうのは当然のことながら、人としても一流であるという「WASEDA the 1st 〜サッカー選手としても、人としても一番であれ〜」の理念、哲学っていうのをもう一度改めて部員に感じてもらいたかった。

やっぱりサッカーが上手いだけじゃだめだというのは僕自身も強く感じておりまして、その中で僕はサッカーを教えるために呼ばれたと思うんですけど、サッカーを教えることは当然としても、サッカー"で"教えられるような指導者になりたいなっていうところで、サッカーを通していろんな社会に接続できたり、自分が生きることに対して高いアンテナを張れる人をどうやったら育てられるかなってところをまだまだ学んでいる最中です。

なので、こういう貴重なお話しをお聞きしたりすることが僕自身の学びに繋がって、僕が学ぶことで学生たちに伝えられることも多くなるのかなと思うので、当然サッカーを深掘りして学生たちに伝えていくという自分の仕事は全うしながらも、サッカーだけじゃ無く、社会に目を向ける部分というところを、空いた時間に少しでも学びながら自分の幅を広げて、もっともっと人としての部分を大きくできるようにという活動をやっております。



ーー監督としてはア式が初めてということで、やってみて半年が経つが今はどのように感じていますか?



兵藤さん:

最初はア式を強くしたいという思いは同じはずなのに、学生たちが外部からなんか来たぞというような反発心を感じた。そういった意味ではまだまだ認められていないんだなあという部分を大きく感じた。当然信頼関係がまだなかったのでコミュニケーションが難しいこともあって、少しずつ学生たちから信頼を勝ち取るために、信用をしてもらえるように自分に何ができるのか、何が必要なのかというところで、全部員と個人面談をして、個人として自分がどういうところを目指していきたいのか、ア式にいて何を目標に4年間過ごしていくのかをみんなと話して、自分で分析しながら、分解しながら、じゃあ今のチームにはどういうやり方が一番あっているのか、この世代にはどういう伝え方が一番合ってるのかという部分をまだまだ探っている段階です。

その中で少しずつチームとしての結果が出てきて、少しずつ信用されていると感じる部分も増えてきていますが、まだまだ勝利に対して自分がこだわれていなかったところもあったり、自分自身反省させられることもたくさんあったり、じゃあこのアプローチの仕方は本当に学生に対してあっていたのかという部分に関しては勉強させられることも多いので、全力で取り組みながらもしっかりと反省して改善していくことをやらないといけないなと思いながら毎日過ごしています。



100周年特別OB対談
岡田武史×兵藤慎剛  
【第2回】へ続く
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