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教育における文化の解釈と伝達に関する一考察

序章 問題の所在

 教育と文化とは本質的に密接な関係にあり、教育と文化の関係性についての問題は、これまでにも幾度となく繰り返し議論されてきたことである。例えば、長田新は、教育とは、「教育者と被教育者との間に成立つ一種の意識的文化活動である。」 と述べている。教育自体が文化的活動として見なされることもあるように、教育を定義づけるうえで、文化を捉える視点は欠かせないものであると言える。
 そして、今日の日本においても教育と文化の関係についての問題は、未だ論争の絶えないところである。現行の教育基本法の前文には「我々は、この理想を実現するため……伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」という記述がなされており、2008年に告示された学習指導要領では「伝統や文化に関する教育の充実」が重要な改訂項目として挙げられた。
 教育の領域において、教育の内実の根幹を支える文化を、いかに解釈し、いかなる形で次世代に伝達していくかという問題について思索し続けていくことは肝要なことではある。しかし、現代の日本の学校教育において、文化の捉え方についての論争と思索が、教育の根幹にまで迫るものとなり得ているかは疑わしい。例えば、上掲の新学習指導要領における「伝統や文化に関する教育の充実」といった改訂項目も、教科の具体的な指導内容とした時、国語では古典教材の増加、体育では武道の指導の増加という具合の作用に終始している現状がある。しかし、子どもたちの文化的素養を高めるということは、古典や武道のような所謂日本に古くから伝わる文化に直接触れさせることだけで成し得るほど単純なことのようにも思われない。
 また、先に近年の動向として学習指導要領改訂を例に教育と文化の問題について述べたが、学校教育における文化の捉え方についての問題は、これまでにも教育において文化を扱う際の重要な争点となってきたところである。小笠原道雄は、学校教育が文化を扱う際の問題を次のように述べている。

 これらの〔「文化伝達」あるいは「精神的財(産)を後発世代に譲り渡すこと」を当然とする教育の〕主張(定義)には「文化」といったものがすでに「作り上げられたもの」「形成されたもの」「自明なもの」といった、文化を固定的に捉える思考が前提されているように思われる。つまり「薄い文化」の捉え方である。

 小笠原の指摘するように、今日の学校教育は、自明に価値があるとされる古典のような文化をそのまま価値あるものとして捉え、その効果的な伝え方ばかりを主要な課題にしようとする性向が見られるものである。学校という場において、教師が教科書に掲載されている教材自体の価値を批判するような光景が見られないことも、学校教育の性向を端的に示すものである。
 また、学校教育が文化を固定的に捉える性向は、古典教材のように文化的価値の高さを顕著に自明視されているものに対してばかりでなく、ごく一般的に扱われる教材や、習慣として学校を取り巻く文化全体にも見られるものである。次に示す、なだいなだが指摘する学校教育の水泳指導の問題点は、現代の学校教育全体に文化を固定的に捉える性向が遍在していることを象徴しているように思われる。

 島の子供は、島で生きていくために大切な泳ぎは、生活の中で、自然と学んでいる。……だが、小学校では、そういう子供にとって大切な泳ぎは教えないのだ。では、いったい、どんな泳ぎを、なんのために教えるのだろうか。クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ、それはオリンピック用の泳ぎだ。正式の泳ぎというものは、そういう泳ぎなのである。

 この主張は、日本の水泳指導を例に、学校教育が本来的に持つ性質の負の部分を示唆している。ここに示唆されるように、一般的な水泳指導一つをとっても、何らかの基準で価値があるとされる特定の泳法を学校がそのまま価値があるものとして教えるという点において、上述の古典や武道の例と同じような、学校教育が文化を固定的に捉える性向を見ることができるのである。
 さらに言うと、学校教育が文化を固定的に捉える性向は、教科指導だけではなく、生徒指導などを含めて、学校教育がある文化を教えるべきものとして価値づけする限り、制度としての学校の中では生まれざるを得ないものとも言えるのではないだろうか。その一例として学校教育における言葉遣いの捉え方を挙げてみたい。
 勿論、子どもたちの社会的自立を図るという役割を担う学校教育において、ある程度の言葉遣いの指導は必要なことなのかもしれない。しかし、言葉遣いの指導が、標準語の指導という範囲にまで及ぶのであれば、少なからず文化の固定的な捉え方の問題が孕まれることになる。実際に、学校で標準語を指導するか否かの問題は、これまでにも頻繁に論争されてきたことでもある。また、今日においても、教科書は全国共通に標準語で書かれ、方言と標準語のどちらで授業をすべきか迷っている教師がいるところをみると、学校教育における言葉遣いの問題はこれからも問われ続ける必要があるものと考えられる。つまり、言葉遣いの問題が示すように、学校教育において何を教えるべきものとして捉えるかは、場合によっては柔軟に解釈を変える必要のある問題であり、常に問われ続ける必要のあることなのである。
 これまで示した例からも分かるように、学校教育、また教師が、ある文化を固定的に捉え、その価値を自明視することは、必ず何らかの負の部分を生み出していることと言える。したがって本論においては、今一度教育において価値を自明視されている文化が、どういった過程を踏んで、また何をもって現在のように価値づけられるようになったのかについての考察を行っていきたい。そして考察の結果、文化の価値づけの過程に何らかの問題が見られるのであれば、現代の学校教育という文脈において、我々がどのような意識を持って文化を解釈し、伝達していくべきか改めて問い直していきたい。
 また本論を進めるに当たっては、学校教育の事例のみについて論じるのではなく、歴史的、また社会的にこれまで文化がどのように価値づけられ、伝達されてきたのかを捉え直す視点も必要と考えられる。なぜならば、そもそも「文化伝達」は ―― 現代においては学校教育が性質上その役割の一部を代理的に引き受けているという面も大きくあるが ―― 本来は社会に生きる全ての人々が担ってきた役割だからである。つまり、学校教育における文化の捉え方や「文化伝達」についての問題を扱う限りは、文化そのものを捉え直し、これまでの社会の中でどのように文化が捉えられてきたのかを考察する視点が必要不可欠なものとなるのである。
 したがって、本論では、現代社会における教育と文化の諸問題を捉え、問題の根本にある構造を捉えるための視座を得ることで、教育における文化の解釈と伝達のあり方についての考察を進めていきたい。

第一章 社会における文化の諸問題について

 本論の目的は、学校教育の文化を固定的に捉える性向に着目し、学校教育における文化の解釈と伝達のあり方を改めて考察することである。しかしながら、学校教育は、現代社会における一つの機能に過ぎないものである。学校教育における文化の問題の背景には、すべからく社会一般における文化についての諸問題が存在するものである。そこで、本章においては、社会一般における文化の諸問題について概観し、学校教育における文化の諸問題を考察するための視座を得ていく。

第1節 権威性による文化概念の変容

 文化を守らなければならないという意識は、我々が一般に共有する意識である。しかしながら、文化の保護という、一見正統性に満ちた一般的意識は、突き詰めれば実際は、数多くの矛盾を孕むものである。
 例えば、我々は、当然のように文化保護の意識を持ちながら、実際には、保護対象である文化に対しては漠然とした認識しか持たない。確かに、保護すべき文化とは何かと問われれば、一般に「文化的」とされるものを挙げて答えられる。文化的とされるものとは、古典文学やクラシック音楽、美術、世界遺産などのことである。また、武道や芸能、しぐさや礼儀作法などの無形のものも、文化的なものとして挙げられる。しかし、なぜ古典文学やクラシック音楽は文化的価値が高いのか、というさらなる問を突き付けられると、我々は明確な回答を用意できない。
 もちろん、長い歴史を経て伝えられてきたものは、人類に普遍的に通じる価値を持つものであるから、という返答は可能である。しかし、歴史性だけが文化的価値の基準であるわけではない。文化的とされているものが、純粋に具える価値のみによって、現在まで残存し得たわけでもない。むしろ、文化的とされるものの大半は、自身の持つ価値のみでは、現代まで残存し得なかったであろう。
 それでは、古典文学やクラシック音楽を文化的なものとして位置づけ、現代まで文化として残存させてきたものとは、いかなるものなのだろうか。結論から言うと、それは、権威性に他ならない。そもそも、文化的価値という概念自体が、近代社会の中で権威性によって作り出されたものなのである。今日我々が捉える「文化」は、近代社会の中で、権威性によって大きな変化を遂げた概念と言える。以下、近代社会の中で文化概念が変化していく過程について説明を行う。
 本来、文化とは、出自からして、価値概念とそぐわないものであった。“culture”の語源は、ラテン語で「耕す」を意味する“colere”にある。そのため、“culture”の派生語には、“agriculture”、“cultivation”、“cultivate”などの農業に関する用語が多い。つまり、“culture”は、概して「耕すこと」「育てる」という意味を有し、現代の文化概念とは遠く離れたものだったのである。また、“culture”は、出自である古代ローマから近代に至るまで、「耕すこと」という意味を大きく変化させることもなかった。すなわち、“culture”は、近代に至るまで、「文化」の意味を有さないどころか、人を対象に用いられることすらないものだったのである。したがって、文化自体が評価や価値づけの対象になることは有り得なかったのである。
 「耕すこと」という意味しか有さなかった“culture”は、16世紀頃から、次第に比喩として人を対象に用いられ始め、「人間の養育」を意味するようになった。そして、18世紀後半になると“culture”は、新人文主義の台頭によって、自然に対してよりもむしろ人間を対象に、精神的な発達や陶冶の意味を強く表す言葉として用いられるようになった。啓蒙主義への批判的意識を持つ新人文主義は、古代ギリシャやルネサンスの学芸を理想とすることで、人間性の全面的発展を目指したのである。
 例えば、新人文主義的思想を体現した最たるものとして、プロイセンによる教育改革が挙げられる。フンボルトを中心としたプロイセンの教育改革では、実学が重視される風潮に反して、教養の獲得や人間性の陶冶が目的とされた。そして、目的達成の手段として選ばれた古典文学などは、人間性を陶冶するもの、教養的なものであるとして見なされ、「文化」と呼ばれるようになった。つまり、文化の意味が根本的に転換し、フンボルトらによって教養的なものとして選ばれたものだけが、「文化」として選択されたのである。換言すれば、文化自体が価値評価の対象となったのである。
 また、文化の意味概念が新人文主義者によって大きく転換されたことは、レイモンド・ウィリアムズによっても指摘されることである。ウィリアムズは、フンボルトの教育改革に大きく影響を与えた新人文主義者の一人であるヨハン・ゴットフリート・ヘルダーによって、初めて“culture”が単体の複数形で用いられたことを、文化概念の大きな転換として指摘している。
 ウィリアムズによると、“culture”は従来、“a culture of something”という用法でしか用いられないものであった。しかし、“cultures”は、ヘルダーによって初めて、単独で、ある事柄自体を意味するものとして用いられた。彼は、文化を、「物質的・知的・精神的生活様式の全体」を意味する自律した抽象概念として捉えていたのである。以上の事実を考慮すると、文化概念の転換という事態は、ヘルダーをはじめとする新人文主義者らに起因するものとして考えられる。
 以上の経緯を辿って文化は、自然を対象に用いられていた本来の意味を完全に転換し、価値概念と強く結び付けられるものになった。そして“culture”は、マシュー・アーノルドによっては、人間による「完全を追求すること」、さらには「これまでに考えられ、語られた最善のもの」と定義されるほどに、完全に意味を転換させたと言える。 また、“culture”の意味を転換させた新人文主義が、貴族を中心とした上位層を出自としているものであることも、指摘しておかなければならない。
 人間性の陶冶や教養の育成を理想として掲げた新人文主義者の大半が、貴族を始めとする社会的上位層の者達であった。したがって、新人文主義の掲げた思想は、貴族色を非常に強く帯びていたと言える。そもそも、彼らが掲げた人間性の陶冶や教養の獲得という理想自体が、貴族的な発想から生まれたものなのである。日々の生活もままならない社会的下位層の人々にとって、新人文主義が掲げる教養の獲得や人間性の陶冶という目的は、何ら価値の見出せるものではなかった。つまり、人間性や教養のような実生活に直接役立たない物に価値を見出すことができたのは、十分な財力と余暇を持つ上位層のみであったと考えられる。
 フンボルトも例外ではなく、貴族出身の新人文主義者の一人であった。すなわち、プロイセンの教育改革にも、貴族的思想が顕著に反映されていたと言える。そのため、フンボルトの掲げた教育理念や教育方法には、当初からギムナジウムや大学に通うことができる上位層のみを対象として想定された側面が顕著に見られる。また、教育改革の中で、教養的であると認められ、文化と呼ばれたものの多くは、貴族文化を出自とするものとなった。換言すれば、新人文主義という潮流は、文化の概念を貴族主義的観点から恣意的に歪めた権威性そのものだったのである。
 文化概念が権威性によって支配されている状況は、日本においても変わらない。日本に伝えられた時、文化は既に、新人文主義らの手によって概念を大きく歪められた後だったからである。また、新人文主義者を始めとする権威性の支配によって歪められた概念となっていた「文化」は、日本に根付く権威性にとっても、非常に都合の良いものとなっていた。そのため、歪められた文化概念が伝えられて以来、日本においても、文化が権威性によって独占されるという事態が、度々起こってきたと考えられる。
 例えば、戦後日本において三島由紀夫は、権威性が文化を独占している事態について、既に鋭い指摘を行っている。三島は、権威性によって日本の文化が独占されていく過程について次のような説明を行っている。

 日本文化とは何かという問題に対しては、終戦後は外務官僚や文化官僚の手によってまことに的確な答えが与えられた。……そこには、次のような、文化の水利政策がとられていた。すなわち、文化を生む生命の源泉とその連続性を、種々の法律や政策でダムに押し込め、これを発電や灌漑にだけ有効なものとし、その氾濫を封じることだった。すなわち、「菊と刀」の連環を断ち切って、市民道徳の形成に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧することだった。

 三島に指摘されるように、戦後の政治的な権威性は、平和的な華道や茶道を日本の代表文化として礼賛したり、歌舞伎の復讐のドラマやチャンバラ映画を禁止したりすることで、日本文化を独占的に操ってきた。戦後日本の権威性は、占領政策を進めるために文化を独占的に操作してきたのである。すなわち、既に歪められた形でヨーロッパ圏から伝えられた文化概念は、日本の権威性によっても利用され、日本文化の在り方までも変容させていったと言える。
 以上に、現代においても文化的価値の高いとされるものが、多くの場合、18世紀後半以降の近代社会において、上位層らによって「文化」として認められたものであり、権威性によって独占的に支配されてきたものであることを示してきた。また、現代における文化の概念は、近代社会の中で権威性によって本来の意味用法を大きく歪められたものであるということについても論じた。以上を踏まえると、文化的価値を決める基準とは、純粋に芸術性や歴史性などによってのみ決められるものではなく、恣意的に定められた面が強いことが明らかになる。
 しかし、文化の概念自体が既に権威性によって恣意的に歪められたものであるのならば、なぜ我々は、大衆化によって社会的な権威性の圧力が薄まったように思える現代においても、未だに歪められた文化概念に囚われているのだろうか。本章の冒頭にも示したように、現代においても我々は、当然のごとく文化的なものの存在や文化的価値という概念の正統性を信じている。例えば、文化的なものが、自身の教養を高め、人間性を高めるためのものであることを信じて止まない人々も少なくない。また我々は、クラシック音楽を聴いたり、古典文学を多く読んだりする人に対して、人間的に深みがある人、または教養のある人と考え、「文化人」と呼ぶ。時には、文化的なものを手に入れたいと考えたり、文化的なものを保護しなければいけないと考えたりもする。
 しかし、文化的なものや文化的な価値という概念は、これまで述べてきたとおり、権威性によって恣意的に作られたものであり、我々が囚われる必要のないものである。そもそも、上位層の作り出した文化概念を、なぜ現代に至っては、下位層であった人々を主体とする大衆が、当然のように踏襲しているのかという点が不明確である。したがって以下に、大衆が権威性によって歪められた文化概念を踏襲する過程について考察を行う。

第2節 教養としての文化概念

 権威性によって歪められた文化概念に、現代に至っても人々が囚われる最も重要な要因は、権威性によって文化に、教養的なもの、人間性を陶冶するものであるという価値が付加されたことによる。また、文化が教養や人間性と結び付けられたことは、階層を主体とする大衆が上位層を出自とする文化概念を踏襲する要因とも言える。
 大衆が権威性によって歪められた文化概念を踏襲していく過程は、ハンナ・アーレントによって詳しく説明される。まずアーレントは、大衆社会の誕生の過程について、以下のように示す。
 18世紀から続く産業発展の中で、経済力と余暇を手に入れた下位層の人々は、従来上位層によって独占されてきた社会に、次第組み込まれるようになった。そして、人口の大半が社会に組み込まれたところで、ついに貴族によって独占されてきた社会は成立しなくなった。つまり、大衆社会が誕生したのである。
 しかし、自明の通り、大衆社会の台頭によって、上位層によって培われてきた文化自体が消失することはなかった。アーレントの言葉を借りて言うと、社会が文化価値と呼ばれるもの全てに食指を伸ばし始め、社会的地位や身分といった社会自身の目的に照らして文化を独占し始めたからである。文化の独占は、特に貴族主義の社会の中で低い立場に置かれてきた中産階級によって進められてきた。つまり、必要な富や余暇を手にした中産階級は、文化的なものを手に入れ、武器とすることで、社会的に上昇するための教養を手に入れたのである。結果として、中産階級とそれに続く大衆は、上位層によって歪められた文化概念を踏襲するようになったのである。
 大衆が文化的なものを手に入れ、武器とすることで、社会的に上昇しようとするという基本的な構図は、現代にも引き継がれているものであると考えられる。もちろん、大衆社会がより進んだ現代においては、構図の全てが引き継がれたわけではない。現代に引き継がれたのは、文化的なものに付随してくる教養的なイメージのみである。つまり人々は、教養や人間性の発達を促してくれるという、文化的なものへのイメージに魅かれて、文化的なものと、それに付随してくる教養を手に入れたいと考えるのである。以上の経過によって、社会的に権威性の圧力が薄まったように思える現代においても人々は、近代社会の権威性によって恣意的に歪められた文化概念に囚われ続けるのである。
 しかし、我々がいかに文化的なものに対して教養や人間性の発達というイメージを持ったとしても、文化的価値の高いものに数多く触れることで教養を積めたり人間的成長が促されたりするという説得力ある根拠は存在しない。少なくとも、読書や絵画鑑賞などのように、文化的なものに対して受容的態度を取るだけで、教養や人間性を獲得することは不可能である。
前述のように、文化的なものと教養や人間性を結びつけたのは、新人文主義者である。例えば、プロイセンの教育改革においては、古典文学やラテン語が、教養として、あるいは人間性を陶冶するための手段としてカリキュラムに盛り込まれた。
 フンボルトが古典文学やラテン語を教養や人間性の発達を促すものとして捉えた理由は、ごく単純なものであった。新人文主義者は、実学と功利主義を重視した啓蒙主義への批判的意識を強く持ち、人間の本質を取り戻すことを目指していた。そして、新人文主義者が、人間の本質を体現した理想的モデルとして捉えたのが古代ギリシャ人である。新人文主義者は、古代ギリシャ人を、社交的かつ理性的で、均整の美を尊重する感性的民族として捉え、彼らの思想を学ぶことで理想的人間に近付くことができると考えた。その結果、フンボルトによって、古代ギリシャ人の思想を学ぶために選択された手段こそが、古典文学の読書だったのである。つまり彼は、ラテン語を学び、古代ギリシャ人によって描かれた作品を探求することで、古代ギリシャ人の思想に近付き、人間性を陶冶することができると考えたのである。
 しかし、前述のように、新人文主義者が掲げた人間性の陶冶や教養の獲得という理想自体が、貴族主義的で盲目的な発想であったことは否めない。また、古典文学の読書と教養の育成の関係性については、既に数多くの教養論において否定されている。中でも清水真木は、本来の古典の性質から考えても、古典は教養や人間性と関連するものではないことを指摘する。
清水の説明によると、本来、古典文学とは、書かれている物語の内容ではなく、実用性において評価されるものであった。 人々によって評価された古典文学の実用性とは、文章の修辞法を学ぶための手本としての役割である。そもそも、“classicus”は、文章技術に優れ、模倣するべき作品として価値を認められたものを示すものであったのである。また古典文学は、書かれている礼儀作法や、船の操縦法などの情報を学ぶためのものとして評価されたものでもあった。いずれにしても、古典とは本来、実用性を評価されて残されてきた作品群を指すものだったのである。すなわち、古典文学から教養や人間性が得られるという明確な根拠は得られないと言える。
 また清水は、文学における古典は、実用的なものとして捉えられていたからこそ、発展してこられたものであると指摘する。 古典文学とは、模倣するべき手本として捉えられ、幾度となく模倣を繰り返されることで発展していくものなのである。「模倣するべき」として認められた作品は、読み手の間で共有されると同時に、暗示、引用、パロディなどの形で繰り返し再生産されることで、時代の変遷と共にさらに共有される幅を拡大し、重層化されていく。その結果、再生産される作品の内容と解釈はさらに豊かなものとなり、時代や場所を超えた書き手と読み手の共同体が作られる。つまり、作品の模倣と再生産のサイクルの果てに、自然と浮かび上がってくる共有財産のような作品群こそが、文学における古典なのである。また、模倣と再生産のサイクルによって、より巧みな修辞法が後世に伝えられるようになり、古典文学の実用性は一層の高まりを見せる。したがって、清水は、文学における古典を、「言葉遣いの銀行」とも称している。
 以上の古典の本質から考えると、古典の内容面に注目したフンボルトの発想は、古典の性質を捉え違えたものと言わざるを得ない。また清水は、古典は、新人文主義的発想によって捉えられた場合、「無内容で空虚なもの」に変容すると指摘し、以下のような批判を行っている。

 フンボルトの場合には、古典は、それとともに「教養」は、純粋に個人的な内面の満足を与えるだけのものになります。もちろん、この「内面」は具体的な問題の解決や実践に背を向けるところに成り立つものですから、教養が何かに反映されることはありません。……教養は、具体的な問題を解決する能力であるどころか、解決すべき問題を持たない人間の「暇つぶし」に過ぎないものとなる危険を含むものとなっていきます。

 つまり、新人文主義的発想で、古典を人格の陶冶の手段として捉えると、古典は、高度の実用性を秘めているにもかかわらず、具体的な問題の解決のために用いられることもない、個人を満足させるだけの無用の長物となってしまうのである。
 以上に、古典文学を例として示してきたように、文化的なものとは、教養や人格の陶冶などの概念とは本来何ら関連性を持たないものである。それどころか、文化的なものと教養や人間性を強引に結びつけることで、文化的とされてしまったものが本来築いてきた世界性や価値までも「無内容で空虚なもの」に変容し兼ねないと言える。
 したがって我々は、権威性によって恣意的に歪められた文化概念を現代においても踏襲しなければならない必然性は全く無いのである。しかも、権威性によって恣意的に歪められた文化概念に固執し、文化的なものに対して過度な保護意識を持つことで、むしろ文化の衰退を引き起こすという無残な結果に帰結する。

第3節 文化の衰退

 文化は本来、人為的に操作出来るようなものではない。三島は、本来の文化の持つ性質について以下のように説明する。

 「菊と刀」のまるごとの容認、倫理的に美を判断するのではなく、倫理を美的に判断して、文化をまるごと容認することが、文化の全体性の認識にとって不可欠であって、これがあらゆる文化主義、あらゆる政体の文化政策的理念に抗するところのものである。文化はまるごと認め、これをまるごと保持せねばならぬ。文化には改良も進歩も不可能であって、そもそも文化に修正ということはありえない。

 以上に示されるように、我々は自然と生まれていた文化を、まるごと認めることしかできない。すなわち、文化の改良や修正、保護などの操作は全て不可能なことなのである。我々が操作可能な文化が存在するとすれば、権威性によって歪められた「文化」だけである。操作不可能であるという文化の性質について指摘を行っているのは、三島のみではない。例えば、本来の文化の性質については、アーレントにも詳しく説明される。彼女は、文化の出自を根拠として、操作不可能な文化の性質について以下のように論じている。

 文化という語は”colere” ―― 耕し養う、住まう、気遣う、慈しみ保存する ―― から派生したものであり、自然が人間の住まいにふさわしいものになるまで自然を耕し慈しむという意味での、人間と自然の交わりに主に関わっている。そういうものとして、文化という語は愛情のこもった気遣いを指し示しており、自然を人間の支配のもとに服従させようとするあらゆる営みと鋭い対照をなしている。それゆえ、文化は、単に土壌の耕作という意味で用いられるだけでなく、神々の「崇拝」(cult)、本来神々に帰属するものへの気遣いをも指すことができる言葉である。

 アーレントによると、文化は、人為的に作り出せるようなものではなく、人間の営みをきっかけとしながらも、人間の支配できないところで自然と生み出されるものであることが説明される。また、彼女が三島以上に強調するのは、文化が、人間の支配によるあらゆる営みと徹底的に対立するものであるという点である。
 つまり、新人文主義的に、文化を操作出来るものとして捉える意識は、ある文化が築いてきた世界性や価値を「無内容で空虚なもの」にするだけではなく、本来の文化の在り方に抗うものとして働き、文化を衰退させるのである。例えば、先に挙げた古典文学も、権威性によって歪められたために衰退してしまった文化の一つとして見ることができる。
そもそも、本来の古典文学が有していた性格は、三島やアーレント捉える文化の性質を十分に満たすものであった。三島は、日本文化について次のように述べる。

 日本人にとって日本文化とは、源氏物語が何度でも現代の我々の主体に再帰して、その連続性を確認させ、新しい創造の母胎と成り得るように、ものとしてのそれ自体の美学的評価を乗り越えて、連続性と再帰性を喚起する。これこそが伝統と人の呼ぶところのものであり、私はこの意味で、明治以来の近代文学史を古典文学史から遮断する文学史観に大きな疑問を抱くものである。文化の再帰性とは、文化がただ「見られる」ものではなくて、「見る」者として見返してくる、という認識に他ならない。

 以上の文化についての説明に文学が例として扱われているように、古典文学の性質からは、本来の文化の性質を具体的に見ることができる。古典文学とは、清水に示されたように、「模倣と再生産のサイクル」によって自然と浮かび上がり、発展していく性質を有する共同体であった。三島の言葉を借りて換言すれば、古典文学は、「連続性」と「再帰性」によって、共同体、つまり「新しい創造の母胎」を換言させてきたのである。
 また、古典文学の形成と発展の過程は、アーレントの文化論に示されるように、人間の支配可能な領域において進められることはない。古典文学の「言葉遣いの銀行」としての共同体や代表的な作品群は、自然と浮かび上がってくるものなのである。以上を総括すれば、古典文学によって築かれた世界性は、文化と呼ぶに相応しいものだと言うことができるのである。
 しかしながら、文化と呼ぶべき世界性を作り出していた本来の古典文学の機能は、既に新人文主義的思想によって衰退してしまったと言わざるを得ない。古典文学の価値を、模倣するためのものから読むためのものに転換しまった新人文主義者の発想は、模倣と再生産という、「言葉遣いの銀行」としての古典文学の発展のサイクルを途絶えさせてしまったからである。
 ロマン主義的な独創性重視思想を持つと同時に、古代ギリシャ的思想への回帰を目指す新人文主義者にとって、古典作品の模倣行為は認められない行為であった。そこで、フンボルトは、古典の読み手に対して生涯消費者としてのみあることを強要した。つまり、新人文主義的発想によって、古典の模倣は許されないものとなり、古典の模倣と再生産のサイクルは途絶えてしまったのである。 したがって、新人文主義の古典の捉え方を踏襲する近代以降の社会においては、古典文学は文化として発展することはない。むしろ古典文学によって生み出される文化は、文化を操作及び支配出来るものとして捉える新人文主義者的思想と徹底的に対立し、衰退の一途を辿る。以下、文化の衰退過程について説明を行う。
 アーレントは、文化を脅かすのは、社会的地位や身分といった社会自身の目的に照らして文化を独占した「教養俗物主義」であると指摘する。 教養俗物主義は、文化を独占する過程の中で、文化の価値を他のあらゆる価値と同様に扱った。つまり、いかに文化的なものに精通しているかということが、「教養」という名で価値に換算され、社会的地位を得るための商品として扱われたのである。そのため、交換価値となった文化の価値は、人の手から手へと渡ってゆく中で古い硬貨のようにすり減って、解体されていった。アーレントの示す、文化が教養俗物主義によって解体される行程は、まさに古典文学が、高度の実用性を有するにも関わらず、個人を満足させるだけの無用の長物と形骸化していく結末と一致する。
 またアーレントは、文化が、無尽蔵に娯楽の産出を追い求める大衆消費社会の生命過程の中では、解体されるのみに止まらず、消費されるものとなることを指摘する。ただし、大量販売や娯楽産業自体が、文化を消費する要因であるというわけではない。書物や絵画が複製されやすい価格で市場に出回ったとしても、文化対象自体が影響を受けるわけではないからである。文化が消費され、腐敗するのは、商品を生産する為の素材を漁り回っているマスメディアが、娯楽の産出のために文化に手をかけ、文化を娯楽として消費しやすいように変形した場合である。 そして、大衆消費社会においても教養俗物主義は、文化の消費を助長するものとして働く。アーレントは、大衆消費社会における教養俗物主義の働きについて以下のように批判している。

 彼らの批評はしばしば読者に影響を与えており、情報にも通じているが、彼らが果たしている唯一の機能といえば、『ハムレット』は『マイフェアレディ』と同じくらい娯楽的で、おそらく同じくらい啓発的であるということを大衆に説得する為に、文化対象を組織し、拡散し、変化させることでしかない。忘却や無視を切り抜けて幾世紀も生き延びてきた過去の偉大な作者は数多いが、彼らの思想が娯楽版への変形を切り抜けて今後も生き残ってゆけるかどうかは、まだ答えの出ない問題である。

 以上に示されるように、ある文化がいかに永久の世界性を確立していようと、教養俗物主義の手によって、大衆消費社会の中で消費されやすい娯楽的な形に解体される。そして、教養俗物主義によって娯楽的な形に解体された文化は、大衆社会の生命過程によって、完全な娯楽商品として消費されるのである。
 アーレントは、ある作品が、複製や映画化に際して書き換えられたり、短縮されたり、ダイジェストにされたり、キッチュに還元されたりする場合を文化が消費される過程の一例として挙げている。 そして言うまでもなく、彼女の危惧した文化を衰退させる社会的構造は、現代に至るまで日本を含めた全ての先進諸国において日常的に無数に見られる事柄である。観光産業によって不自然なまでに民族性を演出される地域文化や、著名人の書いた「帯」を必ずつけられて出版される書籍など、挙げればきりがない。近年では、古典文学作品のドラマ化やマンガ化といった、まさにアーレントの例示した文化の消費過程そのものを表すような事象も数多く存在する。
 以上のことから、現代社会においては、文化が消費される構造は、衰退するどころかむしろ増長、拡大化していることが推測される。現代社会における我々の生活は、あらゆる場面に文化衰退の構造が潜んでいる状況にあり、文化にとって事態は深刻であると言える。

第二章 学校教育と文化

第1節 学校教育における文化の解釈と伝達の特徴

 教育とは何かという問題は、あまりに本質的かつ抽象的な問いのため、自明の通り、明確な回答は存在しない。教育学ですら自身の研究対象である教育というものの正体を掴めておらず、村井実によっては、教育は、定義する人のプログラム――もくろみ――に従って定義されるものであると指摘されるほどである。
 教育が定義できるものではないことを踏まえた上で、現代社会における一般的な教育の捉え方を挙げるとすれば、「優れた文化を伝えることで、人間の全面的発達を目指す試み」といったところであろうか。換言すれば、現代社会において教育は、文化的価値の高いものに多く触れさせることで人間性を陶冶出来るという仮定によって成り立っているのである。
 そしてもちろん、学校教育も例外ではなく、優れた文化を伝達することで、より良い人間を育成できるという仮定に基づいて成立している。したがって今日の学校教育では、伝統的なものや文化的なものを数多く伝達する教育実践が行われるのである。むしろ、学校とは本来、文化伝達を目的とした機関であるという意見も多い。例えば小笠原は、学校教育の成立要因を次のように指摘する。

 社会的遺産としての文化(財)が量的に増加し、質的に複雑化した社会へと社会が移行するのに従って、日常の生活活動場面における形成作用が働くだけでは、個人的にも社会的にも有効な文化伝達が不可能な、あるいは少なくとも非常に困難な状況が出現する。そこに、長期的、計画的、組織的な文化伝達としての学校という教育施設が成立するのである。

 学校という機関が、子どもを始めとする個人の健全な成長のためにある機関であるのは確かなことである。しかし、個人のためだけではなく、社会自体の文化伝達のために作られたとする小笠原の指摘も、否定できるものではない。つまり、今日の学校は、個人のための人間形成と社会のための文化伝達という2つ役割を同時に担っていると言うことができる。
しかしながら実際のところ、人間形成と文化伝達という2つの役割を、制度としての学校が同時に引き受けるというのは、容易いことではない。なぜならば、粗雑な表現をすると、制度としての学校は、文化と人間という底知れぬ複雑性を内包する巨大な両者を、相関させて扱えるほどの雅量も柔軟性も持ち合わせていないからである。
 学校教育が人間形成の役割を引き受ける困難さは、人間形成という概念自体が、目的として据えるには、あまりに抽象的すぎるという点にある。現代の学校教育は、いかなる状態が正しく人間形成された状態であるか、いかなる手段を講じれば正しく人間形成が行えるか、そもそも人の成長を人為的に操作することは可能なのか、あるいは操作するべきなのかなどの、さまざまな問題を何一つ解決されないままに、人間形成という役割を背負わされている状態である。ルソーが根本的には自然状態を理想としたように、人間形成、つまり人為による人の成長の操作が、本当に必要であるかどうかも、実際には未だ不明確なのである。
 しかし、以上の矛盾を抱えながらも、人間形成という役割を背負わされる限り、学校教育は、人為による人の成長の操作が必要であるという不確かな仮定の下、何らかの行動を起こさなければならない。例えば、今日の学校教育が、箸の持ち方の指導から挨拶の指導まで仕事として引き受けるのも、それらの指導が、正しい人間形成のために必要と仮定されるからである。つまり、今日の学校教育は、無限に増殖する、人間形成にかかわりそうなありとあらゆることを、仕事として引き受けざるをえない状態にあると言える。しかしながら、現実として、学校や教師は、限られた時間の中で限られた量の仕事しかこなすことが出来ない。つまり、人間形成という曖昧かつ莫大に広がる役割を、学校教育だけで引き受けるのは不可能に近いことなのである。
また文化が、人為的に操作できないものであることについても、既に前章で述べてきた。補足を加えて改めて説明を行うと、文化とは、アーレントや三島に説明されるように、人為によって直接的に発展したり保護したり出来るようなものではない。もちろん、形の有無に関わらず、個々の文学作品や芸術作品、あるいは伝統的なしぐさや作法のようなモノを伝達し、形式的に存続させていくことは可能である。しかし、モノはあくまで文化の共同体を構成する一つの個体に過ぎず、文化そのものではない。例えば、清水に示されたように、古典とは、個々の文学作品自体のことではなく、個々の作品の模倣と再生産のサイクルによって築かれた「言葉の銀行」とも言える共同体のことであった。つまり、文化とは、モノよりもむしろ、個々のモノを下支えし、それらが現れるための母胎となる共同体のことなのである。したがって、真に文化を伝達しようとするのならば、多くの人々の研究と試行錯誤によって築かれ、重層化された巨大な共同体をまるごと伝えなければならない。
 しかしながら、現実として、文化の共同体をまるごと伝達するということは、不可能なことである。そもそも、共同体は動的な上に有形なものでもないので、我々は、文化の共同体の全体像を把握することは出来ない。したがって、人類の歴史上において、これまで文化の共同体をまるごと後世に伝えるような、完全な文化伝達は行われたことはないと言える。換言すれば、「文化伝達」とは、存在し得ない事態なのである。
以上述べてきたように、我々は、文化をまるごと後世に伝達することはできない。しかし、自ら文化の共同体に加わり、文化の共同体を拡大するための役割を担うことならば可能である。つまり、再び古典文学の例を用いるならば、我々は、古典作品を模倣することで共同体に加わり、再生産を行うことで古典文学の共同体を重層化させ拡大させていくことならば可能であると言える。
 しかしながら、現代の学校教育によって、子どもたちをある文化の共同体の中に加えるということは、そう簡単なことではない。ある文化の共同体の一員となるためには、日常的に共同体と関わるような、あるいは古典文学を出来るだけ大量に読み込んで、模倣して新たな作品を作り上げるような、並大抵ならぬ時間と労力を要するからである。すなわち、子どもたちが際限ない時間と労力をかけて、一心不乱に一つの文化を学ぶことができるような場を、整えない限り、学校教育の働きが、文化を発展させるという事態は有り得ないのである。
 例えば、近代化が始まる以前の日本は、文化の共同体を発展させるための教育の土壌を既に築いていたのかもしれない。大田堯は、近代化以前の日本において文化は、修行による「型」の習熟や、「手わざ」の修得などの方法によって伝えられていたことを指摘する。「型」の習熟とは、今日の武道や茶道などに受け継がれるように、徹底的に基本形を反復して行わせ、修得させることである。また、「手わざ」の修得とは、日々の生活のための仕事の中で、それぞれの職業に応じた「わざ」を身につけることである。そして、「型」の習熟と「手わざ」修得の過程は、模倣によって進められるという点で共通する。つまり、近代化以前の人々は、流派における「型」や、代々伝えられてきた「手わざ」を徹底的に模倣し、反復して具体的経験を積むことで、自然に文化の共同体に加わることが出来ていたのである。
 もちろん、現在も武道や茶道において「型」が重視されるように、文化の共同体を発展させるための土壌が、現代社会から完全に失われてしまったというわけではない。しかし、少なくとも、文化伝達の役割を担っているはずの学校教育が、文化の共同体を発展させるための土壌を有していないことは確かである。数限りない「文化」を限りある時間の中で全て平等に伝えようとする今日の学校教育の中では、子どもたちは、一つの文化を徹底的に学ぶ経験など得られるはずがないからである。換言すれば、今日の学校教育は、子どもたちから、文化の共同体に加わる機会を奪っているとすら言える。
また、前章で示したように、文化とは、教養やより良い人間形成をもたらすものではない。文化的価値の高いものに多く触れさせることで人間性を陶冶出来るという、現代社会の前提自体が、新人文主義者らによって根拠なく恣意的に作り出された論理である。したがって学校教育は、文化的価値の高いものに多く触れさせることで人間性を陶冶出来るという理に適わない仮定に基づいた役割を引き受けていると言える。
 以上に記したように、雅量と柔軟性に欠ける制度としての学校にとって、人間と文化という掴みどころの無い巨大な両者を同時に引き受けることは、あまりに不合理なことと言える。力量に見合わず、理にも適わない役割を引き受けてしまった学校教育に残された道は、たとえうわべだけに終始しようとも、人間形成と文化伝達の双方の役割を強引に遂行し、やり過ごすことのみである。つまり、学校教育が、現実的に出来るはずもない人間形成と文化伝達の双方の役割を強引に進めようとする性向こそが、本論の問題提起として述べた、学校教育が文化を固定的に捉える性向なのである。以下に、学校教育においていかに文化が固定的に捉えているのかについて改めて考察を行う。

第2節 学校教育による文化の固定視

 文化の共同体を発展させるための土壌を持たない学校教育が、人間形成と文化伝達を表面的にでも遂行するためには、特定のものを多少強引にでも、固定的に「文化」として捉えるしか方法がない。そのため、今日の日本の教育及び学校教育は、文化を非常に肯定的に捉えようとするのである。例えば、日本の教育が文化を固定的に捉えていることは、教育に関する各文言に顕著に表れている。
 現行の教育基本法の前文には、「我々は、この理想を実現するため……伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」と記述されている。以上の文脈において「文化」は、明らかに「崇高な」、あるいは「高度な」といった言葉が暗に修飾されて用いられている。そして同じような、学校教育法や学習指導要領を含め、教育及び学校教育の文脈で用いられる「文化」には、必ず以上の傾向が見られる。つまり、今日の教育及び学校教育の文脈において「文化」は、必ず肯定的に捉えられ、肯定的な意味用法で用いられるのである。
 以上を換言すれば、教育及び学校教育は、自身が価値を認めるものしか「文化」と呼称しないということである。すなわち、学校教育において「文化」と呼ばれるものは、既に学校自身の事情に合わせて選択されたものであると言える。それでは、学校教育において価値があると認められ、「文化」と呼称されるものとは、いかなる性質を持ったものなのだろうか。
 大抵の学校教育においてまず間違いなく「文化」として想起されるものとしては、古典文学やクラシック音楽、古典美術などが挙げられる。以上に挙げたものは、言うまでもなく、一般社会においても文化的価値の高さを認められ、社会学やカルチュラル・スタディーズによって「ハイカルチャー」と呼ばれるものである。それでは、古典文学やクラシック音楽などのハイカルチャーは、学校教育の中で具体的にいかなる扱われ方をしているのだろうか。
 古典文学やクラシック音楽は、学校教育の中では、非常に崇高で価値あるものとして捉えられており、教材としても多用される。国語の教科書に『枕草子』や『こころ』が取り上げられ、音楽の教科書にモーツァルトやバッハの作品が取り上げられていることは、近代以降の学校に通った者にとっては、自明のことであろう。
 そして、制度としての学校において、『こころ』やモーツァルトを教材として指導される場合に特徴的なのは、教師が、子どもたちに、教材の「正しい」理解を徹底的に要求することである。ほとんどの教師は、『こころ』を指導する場合、「正しい」解釈の仕方があるという前提で授業を行い、子どもたちが、教師の考える「正しい」解釈を修得するように指導を行う。試験では、登場人物がいかなる心情であるかなどの解釈を答えさせ、教師の考える「正しい」解釈により近い回答を高く評価する。つまり、子どもたちは、学校にいる限り、教師が考える「正しい」解釈以外の読み方を許されないのである。
 また、『こころ』やモーツァルトを崇高で価値あるものと捉えている教師は、多くの場合、『こころ』やモーツァルトを、「正しい」理解さえできれば非常に面白くためになる作品であると捉えて指導を行う。したがって学校や教師、さらに言えば教室に漂う雰囲気は、授業の中で、子どもたちが教材となる作品自体を批判的に見ることを基本的に許さない。また当然、教師自身が、教材となる作品自体の批判を行うことなど有り得ないことと言える。
以上のように、学校と教師が、古典文学やクラシック音楽を教材として好むのは、それらが既に社会によって、教養的、あるいは文化的などの肩書を与えられているためである。教師や子どもが、内容を批判するなどして肩書を否定しない限り、古典文学やクラシック音楽は、学校教育が人間形成と文化伝達をうわべだけでも同時に遂行するための手段としては非常に都合がよいものなのである。したがって、古典文学やクラシック音楽のようなものは、学校教育によってまず間違いなく「文化」と呼称される存在となると言える。学校教育において、「文化」と呼称されるものとは、学校がやむなく引き受けている人間形成と文化伝達という2つの役割を、問題なく遂行できているように表面的にでも見せかけられるものに限られるのである。
 ただしもちろん、学校教育によって「文化」と呼称されるものは、古典文学やクラシック音楽のようなものばかりではない。学校教育が文化を固定視する性向は、ハイカルチャー的なもののみに見られるわけではないのである。例えば、学校教育によって固定的に捉えられるものとして序章では、なだいなだに示される水泳指導の例や、学校教育における言葉遣いの例を示しておいた。
 再度要約して示すと、なだは、オリンピックで採用されるような社会的に認められた泳法であるというだけで、島の子どもたちが、4泳法を学ばなければならないことを問題として指摘した。なだが指摘するように、4泳法しか認めない学校教育の姿勢は、明らかに文化を固定的に捉える性向であると言える。
 また、近代的学校が成立して以来、日本の制度としての学校における授業や教科書の中では、基本的に標準語が用いられてきた。特に、戦前に公教育が始められた当初は、学校教育による方言の矯正が盛んに行われ、沖縄では、方言を用いた子どもに「方言札」をぶら下げるといった罰が与えられることもあった。以降現代に至るまで学校教育における言葉遣いの問題には紆余曲折が見られるが、未だ論議の繰り返される収拾のつかない問題の一つである。いずれにしても、以上の言葉遣いの問題には、学校教育が文化を固定的に捉える性向が見られることは間違いない。
 以上に挙げたものばかりではなく、学校教育が文化を固定的に捉える性向は、制度としての学校の中では無数に見られることである。換言すれば、制度としての学校によって扱われるあらゆるものは、「文化」とまでは呼称されることはないにしても、多少は学校の都合に合わせて選択され、固定的に捉えられていると言えるかもしれない。例えば、多少話は飛躍するが、1996年に提唱されて以来、学校教育における最大の目標となっている「生きる力」の教育にさえも、学校教育による文化を固定的に捉える性向を見ることができるとは考えられないだろうか。
 自明のように「生きる力」とは、文部科学省によって示される学力観であり、「基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」、「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性」、「たくましく生きるための健康や体力」が主な構成要素として示されている。つまり、「生きる力」とは、基礎学力や応用力、体力から道徳性、人間性といったものまで、教育に関わる全てを内包する学力観である。
 したがって、文部科学省に示される「生きる力」の教育に基づく具体的な教育内容の改善事項としては、「言語活動の充実」、「理数活動の充実」、「伝統や文化に関する教育の充実」、「道徳教育の充実」、「体験活動の充実」、「外国語活動の充実」といった、学校教育における全活動の改革が主に挙げられている。またさらに、近年の社会状況に照らし合わせ、「生きる力」の教育の理念の下、「情報教育」、「環境教育」、「ものづくり」、「キャリア教育」、「食育」、「安全教育」、「心身の成長発達についての正しい理解」などの、さらなる改善事項が数多く掲げられている。
 確かに、「生きる力」の教育として挙げられた項目は、現代の社会と子どもの双方にとって必要であることは否定できない。しかし果たして、以上に挙げた全ての項目と、これからも無限に増殖すると考えられる「生きる力」の教育理念の下に生まれる問題の全てを、学校教育が抱え切ることは可能なのであろうか。仮に学校教育が、「生きる力」の教育理念の下に生まれる問題の全てを扱い得るとしたら、やはり、うわべだけでも問題なく遂行できているように見せかける場合のみである。つまり、内容に関わる問題はひとまず置いておいて、形式だけでも外国語活動や、体験活動を取り入れた教育が行われる場合である。
 「生きる力」の教育を根本理念とする学校教育において扱われるあらゆるものは、―― 例えば「確かな学力」、「規範意識」、「命の大切さ」、「コミュニケーション力」、「地域文化」など ―― 学校によって、すべからく固定的に捉えられ、画一的に指導されていると考えられるのである。すなわち、今日の学校教育は、増え続ける課題によって飽和状態にあり、あらゆる課題の表面のみが数多く扱われ、それぞれの問題の根本にかかわる指導がほとんどなされていない状態にあると言える。

第3節 文化の固定視による教育と文化の衰退

 これまで本論では、学校教育が文化を固定的に捉える性向について、幾分か批判的なニュアンスで論じてきた。しかし、本論は、文化を固定的に捉えること自体や、文化を固定的に捉えている学校や教師を悪として提示しているわけではない。なぜならば、現代社会の中には確かに、文化を固定的に捉えるような性向が、必要となったり、役立ったりする場面が数多く存在するからである。
 例えば、確かに学校教育は、過去に人々から方言を奪うようなこともあったが、それは、日本の近代化のためには必要なことであったと言える。また、水泳の大会で表彰されたり、水泳選手になったりすれば、島の子どもが学校教育で教わった4泳法も、役立つものであったと言える。つまり、学校で教えられることが、全てではないにしても、社会を生きるためには必要であり、役に立つことは確かなことなのである。学校や教師が、文化を固定的に捉える性向を持つことは、社会で生きる上では理に適ったことであり、当然のことでもあると言える。また、前述のように、学校や教師が文化を固定的に捉える性向を持つのは、学校自身の力量を遥かに上回る役割を引き受けさせられたために起こることであり、やむをえないことでもある。そして何より、教師達のほとんどが、心から子どもたちのより良い成長を願って、日々の職務に取り組んでいることは、否定しようのない事実である。
 しかし、以上のような理由が挙げられるからと言って、学校教育の文化を固定視する性向が、必ずしも良い結果をもたらすというわけではない。いかに学校や教師が、社会に生きる人々や子どもたちのために試行錯誤したとしても、文化を固定的に捉える性向を持ち続ける限り、学校教育は、前述のように、子どもたちの成長も文化の発展ももたらすこともできないのである。皮肉なことに、学校教育が文化を固定的に捉える性向を持つ限り、いかにそれが社会に生きる上で役立つものだとしても、結果的には子どもと文化にとって、悪影響を及ぼすものとして働く。学校教育の文化を固定的に捉える性向が、教育と文化双方に悪影響を及ぼすものとして働く過程は、以下の通りである。
 学校教育による文化の固定視の過程において、何よりも危惧するべきことは、学校や教師が強引に役割を遂行しようとした結果、現実には有り得ない文化の「まるごと」の伝達を、あたかも遂行可能であるかのような様相で、「うわべだけの文化伝達」が行われてしまうということである―― 実際は、学校や教師は、真面目に与えられた役割を遂行しているだけである。前述した例で言えば、学校や教師が『こころ』やモーツァルトの「正しい」解釈のみを徹底的に指導することは、まさに「うわべだけの文化伝達」の姿であると言える。
 ところで、「うわべだけの文化伝達」とは、近代化以前の日本で行われてきた「型」の習熟のよる文化伝達とは全く性質が異なるものである。前述のように「型」の習熟とは、学習者が、「稽古」という徹底的な反復練習の中で具体的経験を積むことによって、師の「型」を「ぬすむ」ことであり、指導者が「型」をそのまま伝達することではないからである。したがって、「型」の学習者は、確かに学校教育を受ける子どもと同じように、指導者によって定められた「型」を崩すことを許されないが、「稽古」の中で積んだ具体的経験によって、「型」の背後に広がる共同体に加わることができた。
 以上に記した近代以前の教育に対して、近代的学校教育では、文化の背後に広がる共同体は無視されて、共同体の「うわべ」に過ぎない、モノとしての「文化」だけが全てとして伝えられる。したがって、モノとしての「文化」、つまり教師の認める「正しい」解釈にしか触れることを許されない、学校教育の子どもたちは、当然文化の共同体に加わるどころか触れることすらできない。そして、言うまでもなく、以上のような「うわべだけの文化伝達」によってもたらされるのは、文化の形骸化という結末である。
 文化の形骸化とは、前章の説明を用いて換言すれば、新人文主義によって、古典文学の「言葉の銀行」としての共同体が無用の長物と化したようなものである。つまり、学校教育が文化を固定的に捉える限り、『こころ』やモーツァルトを下支えする共同体に加わることの出来る者は現れなくなり、共同体は発展することを止めてしまうのである。その結果、後世には、モノや「正しい解釈」といった「うわべ」だけの「文化」だけが存続するようになる。換言すれば文化は、「人の手から手へと渡ってゆく中で古い硬貨のようにすり減って、解体され」、「ガラクタ」と化してしまうのである。
 しかし、学校教育の「うわべだけの文化伝達」によって文化にもたらされる帰結は、ガラクタへの形骸化に止まらない。なぜならば、制度としての学校も、結局は消費社会の生命過程の中に成立するものだからである。我々が自覚する以上に、現在の教育及び学校教育には、消費社会に由来する問題が数多く存在する。
 例えば、近年の道徳教育の中で持て囃される「規範意識」や『心のノート』にも、消費社会に由来する問題は色濃く現れていると言える。松下良平によると、「規範意識」とは、「身体」「心」「人間関係」までもが商品化され、道徳・倫理が崩壊した市場社会を生き抜くための、道具に過ぎないものであることが指摘される。つまり、「規範意識」とは、「武器や暴力に代わる、市場を生き抜くためのモラル」であり、思いやりや人間性と特に相関性を持つものではないのである。 またさらに松下は、『心のノート』について以下のように批判する。

 『心のノート』は、「伝統」や「公共の精神」(規範意識や愛国心を含む)といったものに関する部分の多くのページでは、生き残りのための自己マネジメントの作法や手法ばかりを教えようとしている。たとえば、あいさつについては、社員教育と見紛うばかりに「形」の大切さばかりが強調される。相手にフレンドリーな印象を与えるための自己演出や感情管理は勧められるが、道徳の核となる応答関係や相互承認の象徴としての(形にとらわれない)あいさつについては一顧だにされていない。まさに「よく生きる」ための本来の道徳教育をあざ笑うかのような副読本なのである。

 以上に指摘されるように、学校教育で求められる「コミュニケーション力」や「明るい笑顔」、「元気なあいさつ」などは、結局は市場社会をやり過ごすための処世術に過ぎないものである。そして、消費社会の生命過程の下にある学校教育の中では、当然子どもは顧客として、教師や指導は商品として見なされるようになる。松下は、教育自身の商品化の過程について、以下のように説明する。

 教育それ自身が消費者=顧客を満足させるための商品となった社会では、顧客になるべく負荷を与えないもの、つまり「人にやさしい」商品づくりが目指される。なるべく苦労せず・楽しみながら目的を達成できることが商品の「付加価値」となる。めざす目標にできるだけラクして確実に到達できるよう、お節介ともいえるほど事細かに支援の工夫を凝らすことが消費者のニーズを満たすことになる。

 松下に示されるように、消費社会の生命過程に従う教育及び学校教育は、学習者という顧客へのサービスのために、商品に「付加価値」を加える。つまり学校教育は、文化に、分かりやすくおもしろい教材や指導、あるいは教養性などの「付加価値」を加えて、娯楽的なものに商品化しようとするのである。
 しかし前述のように、学校教育は、そもそも文化の「うわべ」しか扱うことができない。したがって、学校教育は、文化の「うわべ」に、直接「付加価値」を加えることとなる。教師が、固定的に捉えた「正しい解釈」を、今度は分かりやすく面白くして伝えようとすることも、「付加価値」の一つと言える。
 以上の結果、文化にもたらされるのは、言うまでもなく、消費による衰退と消滅という帰結である。学校教育の「うわべ」だけの文化伝達によって既に形骸化した「文化」は非常に脆いものである。「付加価値」によって、完全に原形をとどめない消費しやすい娯楽となったところで、加速的に消費される。
 そして、文化を消費させるような教育が、子どもにとって良い影響を与えるものであるはずがない。まず、前述したドイツの教育改革や水泳の例のように、学校が固定的に捉えた「文化」は、子どもたちにとって必要なものであるとは限らない。近代学校が開始された当初は、レモンを見たこともない子どもたちが「檸檬」の漢字を覚えさせられるような珍事が起きた。また現代においても、「因数分解や歴史の年代暗記が何の役に立つのか。」という疑問が、学校に通うほとんどの子どもたちによって毎日のように投げかけられる。「なぜ勉強するのか」という子どもたちの至極当然の疑問に対して、教師の多くは、「可能性を伸ばすため」や「考える力をつけるため」などの回答を真面目に用意する。しかし、教師の回答は、教師の提示する教材が全ての子どもに必要であるという必然性については語れないので、説得力を持たない。教師の提示する「コミュニケーション力」や「元気なあいさつ」が、自分にとって必ずしも必要ではないことに気付いている子どもも少なくないはずである。
 以上のように、学校の子どもたちは、自分にとって必要のないものを、整合性のない論理で、役に立つものとして教えられる。したがって、当然のように学校の子どもたちは、教育学でいうところの「学習意欲」を持たない。また、前述のように、学校が伝えようとする「文化」は、文化の背景にある共同体を無視された「うわべ」だけのものである。したがって、学校の子どもたちは、「うわべだけの文化伝達」によっては具体的経験を得られず、文化の共同体に加わることもできない。つまり、無為な学習が繰り返されるのである。さらに、「うわべだけの文化伝達」は、教師達の願いとは裏腹に、子どもたちの成長を停滞させるどころか、退化させるものとして働く。松下は、商品としての教育を受けさせられた子どもたちの行く末を以下のように説明する。

 そうした負荷なき教育を受けるほどに「ユーザー様」は、問題を感じる力も、自らの責任で問題状況を打開するための態度も能力も身につかない。むしろ逆に、解決困難な問題に立ち向かうことを「めんどくさい」と感じ、自分の責任ではない(サービスする側の責任である)とみなして、できるだけ避けようとするようになる。あるいは、判断の際に既有知識を総動員することも、判断する経験を積み重ねていくこともなく、判断と結果のズレの再調整の仕方も身についていないようだと、重大な結果を引き起こす判断を気軽に下したまま、無責任に事態を放置したりするようになる。いずれにせよ、道先案内人=教え導く人がいないと自分からは何もできない体と頭になる。

 松下に示されるように、「うわべだけの文化伝達」は、子どもたちから、実際の様々な場面に適切に対応して、具体的経験を積む機会を奪ってしまう。そのうえ子どもたちは、短期的に暗記した膨大な数の知識を、試験が終われば瞬く間に忘れてしまうので、後には何も残らない。つまり、商品としての教育によって子どもたちにもたらされた「うわべ」だけの力は、受験や試験のために消費されるのである。以上の過程で、「うわべだけの文化伝達」は、教育自身も衰退させる結果に帰結するのである。

第三章 改善策の提案

 本論文は、教育による文化の解釈と伝達のより良い在り方の考察を目的とし、本章までに、現代社会における文化の諸問題と、現代の教育及び学校教育による文化の解釈と伝達の特徴と問題点について考察してきた。
 考察の結果、現代の文化概念は、近代社会の権威性によって大きく歪められたものであることが明らかとなった。本来、文化は、人による支配を許さず、教養とも関連の無いものだったのである。しかし、学校教育は、歪められた文化概念に従い、文化を教養的なものとして伝達し続けてきた。そのため、文化伝達と人間形成という遂行不可能な役割を同時に引き受けた学校教育は、文化を固定的に捉える性向を持つに至ったのである。
 しかし、いかに学校や教師の本意でないとしても、学校教育が文化を固定的に捉え、「うわべだけの文化伝達」を行うことは、文化と教育の両者を形骸化させ、衰退させるものとして働く。したがって、現代の学校教育における文化の解釈と伝達の在り方は、根本から改めるべき事態であると言える。
現代の学校教育の文化を固定的に捉える性向は、近代学校教育の構造に深くかかわっている。近代的学校教育とは、資本主義社会の到来以来、ひたすらに近代化を目指してきた社会が、教育を利用することでより効率的に技術的、経済的発展を進めようとした結果として生まれたものだからである。換言すれば、識字率の向上や標準語の普及を飛躍的に進めるためには、時には人々から方言を奪うことも厭わないような、教育の効率化こそが、学校教育の文化を固定的に捉える性向や、「うわべだけの文化伝達」と言えるであろう。学校教育における文化の解釈と伝達の問題は、近代学校教育そのものの問題なのである。したがって、現代の学校教育の文化の解釈と伝達の在り方を改めようとするならば、現代の学校教育の根本的な構造にまで踏み込んだ改革が必要となってくる。
 ただし、近代学校の在り方についての論議は既に数多くなされており、学校教育における文化の解釈や伝達の在り方に関連する回答も既にいくつか述べられている。したがって、本章においてはまず、先行研究によって得られた近代学校の在り方についての論議を概観することで、問題の全体像を把握し、改めて学校教育における文化の解釈と伝達の在り方についての、本論としての具体的な改善策を導いていきたい。


第1節 学校教育の構造的問題と改善策

 学校教育における文化の解釈と伝達の問題が、近代学校教育の構造そのものに深く根付くものであるのならば、解決策としてまず挙げることができるのは、近代学校教育の方法論や学校教育の存在そのものを否定することである。つまり、現在の学校教育が、人間形成と文化伝達の両立という矛盾した役割を担い、教育と文化を破滅へと向かわせるものであるのならば、近代化という目的が必要以上なほどに達成された今、学校教育に存在意義はないという回答である。
 実際、近代的学校教育の存在意義の否定は、イヴァン・イリイチを始めとする、数多くの脱学校論者によってなされてきた。また、シュタイナー教育を提案したルドルフ・シュタイナーや、サマーヒル・スクールのA.S.ニィルなど、既存の学校教育の大部分を否定し、オルタナティブ教育として新たな学校像を目指した者も少なくない。
 近代学校教育に対して否定的な見解を示す者は、日本の研究者の中にも数多く存在する。例えば、宮台慎司や上野千鶴子らに代表される社会学者は、近代学校教育の構造的問題について頻繁に指摘している。宮台は、近代学校教育は、軍隊や監獄がモデルとされた国民化のための装置であり、義務教育は、子どもたちに伝統社会にはない苦役を与えてきたと説明する。近代学校教育はこれまで、子どもたちにとって苦役でありながらも、「頑張れば自分も家族も会社も地域も国家も、全部豊かになり、皆幸せになる。」という、「未来志向」や「ガンバリズム」の価値観を作り出すことで漸く成立してきたのである。しかし宮台は、学校的価値観が必ずしも結果をもたらさないことが明白になった現代社会においては、学校教育の方こそ変わるべきであると主張する。 また上野は、イリイチや宮台の主張を踏まえて、現代社会は、偏差値一元主義などの学校的価値観に覆われた「学校化社会」であると危惧し、学校至上主義社会に対して警鐘を鳴らしている。
 以上に示した学校批判家達の見解は、確かに近代学校教育の諸問題を一掃するものであり、理想的な回答であると言えるかもしれない。しかしながら、近代学校教育は、社会にとってもはや必要不可欠と言えるほど、現代社会の構造に深く根付いてしまっている。したがって、彼らに対して同意しながらも、現代社会から近代学校教育を取り除くことで生じる問題について危惧し、さらなる批判的意見を持つ者も存在する。例えば、学校批判家に対するさらなる批判的意見は、小笠原や松下によって詳しく述べられている。まず、小笠原の見解について要約して示す。
 小笠原は、子どもの自主性や自発性といった本性的特性を手放しで尊重する学校批判家の見解を、批判的に捉えた。なぜならば、衝動的欲求や軽薄な好奇心が人間を破滅に招くこともあるように、子どもの本性的特性は、野放しにできるほど肯定的に捉えられるものではないからである。つまり彼は、子どもを尊重するという点においては学校批判家に同意しつつも、脱学校論などの意見は、子どもを野放しにする危険を孕むと考えて、子どもの主体性を過度に尊重する学校批判家を批判したのである。
 子どもを野放しにすることを危険視する小笠原によると、学校の既存文化の伝達の機能も必要なこととして捉えられる。しかし、彼は、一般的な学校教育のように、既存文化を必ず良い教育をもたらすものとして絶対視しているわけではない。学校による既存文化の伝達は、あくまで子どもの本性的特性を正しい方向に導くための手段として捉えるのであれば、必要であるという見解をとっているのである。
 したがって、既存の文化や知識の伝達の必要性を指摘しているものの、小笠原が真に重視するのは、既存文化の伝達によって得られる知識そのものではない。歴史、伝統、文化などの知識との対決によって得られた、自分の思考や行為に対する客観的な価値基準と、価値基準によって生み出される実践的態度である。そもそも彼の見解では、知識とは、情報量によってではなく、主体の内面において意味的に明確化されることによって、秩序を持つものとなった時初めて、真に陶冶的な機能を持つものである。つまり小笠原は、自己と世界とのすき間を客観的に捉え、自己を反省し、自己と世界との関係をうまく築くことのできる態度の育成を最も重視しており、そのための手段として、学校による既存文化の伝達が必要であると主張しているのである。
 次に、松下の見解について要約して示す。松下は、性急な近代教育批判は、結果として教育を空虚なものにすると指摘する。なぜならば、近代教育批判が根源的な問題を全て洗い流そうとすることは、実際には、さまざまな教育のもつ個別性や差異を一般性や同一性に回収したり、教育が置かれたコンテクストを無視したりして、近代教育を抽象的に否定してしまうからである。
 また、競争の中で生き残った者が優遇される現代社会においては、本論で言うところの「うわべ」だけの教育にでも期待し、すがろうとする者も少なくない。したがって、あらゆる雑菌を排除するように近代教育を一刀両断する学校批判家の性急な近代教育批判は、いかに多くの点で正鵠を射ていようと、実際には生き残りのための教育に躍起になっている人々の切羽詰まった願いまで流しきることが出来ず、返って深刻な反動を呼び込んでしまうのである。
 すなわち、松下によると、結局教育批判は、近代教育批判を踏まえた教育の再構築という形をとることでしか果たせないものなのである。そこで、彼が提示する教育の再構築のための対策とは、消費者のニーズに応えることには尽きない、内実豊かな教育を構想することである。消費されない教育とはつまり、本論の第一章で述べたような、アーレントの文化論に由来する、人間の支配によるあらゆる営みと徹底的に対立する性質を持つ、本来の文化に支えられた教育である。
 消費されない教育の中で、文化は、功利性や合理性と対立するものとして、また、慈しみの中で築きあげられるものとして捉えられる。したがって、松下によると、よきものとして作り出され、個体の生命を超えて持続し得るものであれば、いかなるものも文化となり得ることが主張される。つまり、彼は、役立つものとして使用されても、廃棄されることがなく、慈しみの中で個人の「居場所」となるような安定性を持つようになったものであれば、ハイカルチャーでもサブカルチャーでも文化となり得ると主張するのである。
 またさらに松下は、学校教育における文化としての教育の方法論についても一つの回答を提示している。それは、「学校内に(主には諸学問の成果を踏まえた授業として)設定された文化活動、あるいは学校外の文化活動に参加すること」である。つまり松下は、現代社会や学校の固定視する「文化」に囚われず、多様な活動に参加することが、結果として文化としての教育に繋がると主張するのである。
 以上に、学校批判家と、学校批判家に対してさらなる批判を行う、小笠原と松下の見解について示してきた。それでは次に、各見解を踏まえた上での、本論としての、近代学校教育に対する見解を示す。
 松下が示すように、確かに、脱学校論のようなあまりに性急過ぎる近代教育批判は、いかに正鵠を射た、研ぎ澄まされたものであったとしても、近代教育の問題を解決し得ないのかもしれない。資格や学歴が、未だ就職を決める重要な要素であるように、学校教育が、消費社会の中での生き残りの手段として役立っていることは確かである。良くも悪くも、学校教育は、消費社会の構造と根本で深く結びついているのである。また、学校教育は、消費社会と深く結びついているものであるからこそ、子どもたちを、あらゆるものを消費しようとする者の手から守ることができていることも否定は出来ない。実際に、今日の社会の中から学校が無くなれば、子どもたちは、一時的に自由で多様な生き方の可能性を手に入れられるかもしれない。しかし、結果として、子どもたちを商品としての教育を売りつけるための対象としか見なさない者によって取り込まれ、より殺伐とした消費の渦に取り込まれるであろう。消費によって荒れ果てた今日の社会の中に、子どもたちを野放しにすることは、非常に危険なことなのである。また、小笠原の主張するように、主体性や自発性を育むという目的だけで子どもを野放しにすることが、子どもたちの人間形成に必ずしも良い結果をもたらすとは言えない。したがって、今日の社会の中から、学校という機能を性急に取り除くことは、非常に困難であると考えられる。
 しかしながら、今日の学校教育の問題を根本から改めるためには、結局、学校教育の構造の改革が必要となるのではないだろうか。もちろん、学校教育という機能を、単に失くしてしまえばよいと考えるわけではない。松下と小笠原が指摘するような、現代社会から単純に学校教育を取り去ることによってもたらされる危険は、十分に考慮する必要がある。また、今日の社会から、性急に学校教育を取り去るというのは、たとえいかに理想的な回答であったとしても、実現不可能に近いことでもある。近代化以降、止むことのない各国の激しい発展競争の中から、国民全員に一定水準以上の学力を与える学校教育を取り去れば、たちまち技術的、経済的発展の面で他国に後れをとることは明白である。
 しかし、松下の主張するように、消費社会の中にある限り学校教育には、永遠にパラドックスの中で生き抜くことしか手段が残されていないのであろうか。もちろん、近代教育批判を踏まえた上で、文化に支えられた学校教育の再構築を行っていけば、結果として、消費社会のパラドックスを抜け出す可能性も見えてくるかもしれない。したがって、松下の主張は、現状においては非常に建設的であり、学校批判家よりも現実的な回答であると言える。しかし、あくまで消費社会の中での教育の身の処し方を第一に重視する方法論では、学校教育は永遠に消費社会のパラドックスを抜け出すことができない恐れもあるのではないだろうか。そうであるのならば、学校教育は、将来的にいかなる危険を伴おうとも、将来的には学校批判家が主張するような、脱学校論を含めた改革が必要となる時が来るのではないだろうか。
 したがって、現状の対策としては、松下の主張する、消費社会のパラドックスの中での近代教育批判を踏まえた学校教育の再構築という方法が有効であると考えられるが、近代学校教育の問題を真に乗り越えるためには、将来的に、学校教育の抜本的改革という方法が必要不可欠であると考える。
そこで、本論として提示する将来的な学校教育の改革案は、学校教育の無力化及び、機能の分散化である。現代の学校教育が、文化伝達と人間形成という2つの役割を担っていることについては、前章で述べた。そして、文化伝達と人間形成という2つの役割は、理論的に両立出来るものではなく、文化の固定視の問題を生み出す要因となることが明らかとなった。また、前章で述べたように、そもそも「文化伝達」とは理論的に不可能なことなのである。学校に要求される「文化伝達」とは、社会や権威にとって利益をもたらす「文化」の伝達に過ぎない。また、「人間形成」という役割も、実際は社会の求める人材作りに過ぎないものである。つまり、「文化伝達」や「人間形成」とは、消費社会や権威性の都合により作り出された「理論」であり、本質的に矛盾を抱えていると言える。
 以上の諸問題にも関わらず、近代学校教育は、文化伝達と人間形成という2つの役割を同時に担うことを、最大の特徴とするようになった。つまり、近代学校教育とは、構造の根本の部分で、解決し難い矛盾を抱えていると言える。
 そして、近代学校教育が成立してから現代に至るまで、学校教育の中の1つの大きな矛盾は、さらなる矛盾を際限なく呼び込んだ。文化伝達という目的のために集まってくる役割と、人間形成という目的のために集まってくる役割は、当然少なからず矛盾するものであり、人間形成と文化伝達の下に集まってくる数多くの役割を全て遂行しようとすればするほどに、矛盾は複雑に絡み合い、無限大に拡大していったのである。したがって、現在の学校教育は、前章でも言及したような、解決しようもない際限なく増殖する問題を抱えることとなったと言える。
 しかしそもそも、近代学校教育が生み出される以前、学校は、何一つ矛盾を抱えるようなものではなかった。周知のように、学校とは、社会の中の煩わしい日常から身を引いて、落ち着いて過ごすための「閑暇」の場を意味する”schole”を語源に持つものである。 つまり、学校とは本来、社会と距離を置いて対立するものであり、社会における役割を担うような場所ではなかった。
 したがって、社会から何一つ役割を背負わされることのない学校は、当然矛盾を抱えることもなかったと言える。また、だからこそ人々は、学校の中で、何一つ社会的役割を背負わされることなく、遊びとして自由に学問と向き合うことができた。 例えば、古典文学の「模倣と再生産のサイクル」も、「閑暇」の場としての学校の中でこそ発展が可能であったと言えるだろう。フンボルトが、古典文学の伝達という社会的役割を学習者に背負わせたことで、学校は、「閑暇」の場から遠のき、文化を拡大させる土壌を失ったのである。すなわち、「閑暇」の場としての本来の学校は、社会から文化伝達や人間形成という役割を背負わされることこそなかったが、結果として文化を拡大させるための土壌を有していたと言える。
 したがって、学校教育が社会から担うべき役割は、本来であれば可能な限り少ない方が良い。つまり、学校教育とは、実際は無力であればある程に文化を拡大させ、人々に安定をもたらす、有意義な成果を生み出すものとなるのである。以上の理由から本論は、最終的に学校を無力化させていく策案を提示するのである。
 ただし、学校を無目的に無力化しさえすればよいというわけではない。現代の学校教育は、消費社会の生命過程にとって、重要な役割を担っている機関である。したがって、学校教育の性急な無力化によって、社会が破綻してしまう事態は避けなければならない。もちろん、問題のさらなる根本要因は、文化も教育も消費する社会にあるので、今日の消費主義社会を見直し、改革していくことは必要である。しかし、何も生み出さず、際限なく消費を繰り返す今日のような社会でも、破綻させてしまうわけにはいかない。それこそ、松下が危惧するような、教育の空洞化という結果を引き起こすだけである。しかし同時に、学校教育は、いつまでも消費社会の要求する役割を背負い続けるわけにもいかない。なぜならば教育は、誰にも止めようのないほど巨大な存在となった消費社会に対抗し得る、数少ない手段だからである。教育によって、消費社会に振り回されず、真に文化と向き合える人を育むことは、確実に消費社会に対抗し得る力となる。したがって、学校教育を構造から改革する過程においては、社会を破綻させないように注意しながらも、学校を無力化していくことが要求される。そのために、本論は、学校を無力化する過程においては、学校教育がこれまで抱えてきた役割を、他の出来るだけ多くの機関に分解して譲り渡す必要があると考える。つまり学校の機能の分散化が必要なのである。
 ただし、学校の機能の分散化は、多様な形態を取り得るものである。それぞれの時代や社会の状況に合わせて、分散化の形態を柔軟に変化させていく必要はあるだろう。また、いずれにせよ分散化の過程においては、松下が危惧している、生き残りの手段としての教育にすがろうとする人々からの反動が、多少なりとも付きまとう。したがって、分散化の過程は、社会の要請をうまく受け流しながら、臨機応変かつ慎重に進めなければならないので、非常に長い時間を要するのである。
 しかし、結果として学校が、人間形成と文化伝達の役割のどちらか一方だけでも他に譲ることができれば、矛盾は格段に減少するはずである。そして、さらに膨大な時間と労力を要するが、最終的には、消費社会と権威性の「理論」である「人間形成」と「文化伝達」という概念自体を無力化させることで、「閑暇の場」としての学校を完全に取り戻すことができる。したがって本論では、非常に手間のかかり、危険を伴うものだとしても、学校の無力化と機能の分散化は、これからの学校教育を無意味なものに帰結させないために、挑戦すべき価値のあることだと考える。
以上が、近代教育批判に対する、本論としての見解である。本論の主題である学校教育における文化の解釈と伝達の問題を真の意味で乗り越えようとするのならば、本論で提示する学校の無力化と機能の分散化を含め、学校批判家達が主張するいずれかの方法論によって、学校教育の根本的改革を行っていくことは必要不可欠なことであろう。
 しかし、前述のように、学校の無力化や脱学校論を実現させるには、非常に長い期間と労力を要する。また、学校の無力化や脱学校論によって、根本要因を乗り越えることは確かに可能であるのだが、学校教育の外枠を根本から変えるためには、前段階として学校教育の内面的な部分を徐々に改革しておく必要がある。つまり、学校教育の構造に根付く矛盾を踏まえ、将来的な構造改革を睨んだ上で、文化の解釈と伝達の在り方を改革していくことが、学校教育の緊要の課題と言える。したがって以下に、改めて、学校教育における文化の解釈と伝達の在り方についての具体的な改善策を導いていく。

第2節 学校教育における文化の解釈と伝達の問題の改善策

 具体的な対策を述べるにあたって、学校教育における文化の解釈と伝達の問題の背景について、一度整理を行う。これまでの考察で明らかになったように、学校教育の文化の解釈と伝達の問題の根本原因は、近代学校教育の矛盾した構造自体にあった。文化伝達と人間形成という、現実的に出来るはずもない役割を引き受けてしまった学校と教師は、文化を固定的に捉えることで、役割を遂行しようとしたのである。社会の要求に真面目に応えるために、学校と教師はこれまで、社会の価値づけた「文化」を自身の価値のように徹底的に肯定し、「文化」とその「正しい解釈」をいかにして伝えるかについて試行錯誤し続けてきた。換言すれば、理不尽な役割を遂行するための多忙な業務に追われる現代の教師達は、「文化」とその「正しい解釈」を、たとえ実際には自分達の価値観と異なるものであったとしても、自分自身の価値として捉える他なかったと言える。
 しかしながら、学校と教師が伝え続けてきた「文化」は、実際には、近代社会の中で歪められたものであり、文化の共同体を構成する一つの個体に過ぎないものである。つまり、学校教育はこれまで、真の意味での文化伝達は成せておらず、「うわべだけの文化伝達」に終始し続けてきたと言える。また、文化の固定視と「うわべだけの文化伝達」とは、換言すれば、内実を伴わず、子どもたちの現実とも合致しない、空虚で無為な教育でもあった。大部分の学校と教師は、「子どもたちのため」と信じて、真面目に与えられた役割をこなしてきた。しかし、学校や教師の試行錯誤によって行われる、分かりやすくおもしろい「文化」の伝達すらも、実際には商品に過ぎず、子どもたちの成長を退化させるものとして働いたのである。もちろん、以上の問題にいち早く気付き、対策を取ってきた誠実な教師も少なからず存在したであろう。しかし、近年になって「伝統と文化の教育」が掲げられたように、学校教育における文化の解釈と伝達の問題は、改善するどころか、悪化しているというのが現実である。
 したがって、学校教育における文化と解釈の問題を進行させた要因として、学校と教師を挙げないわけにはいかない。文化の固定視や「うわべだけの文化伝達」の根本的要因が、学校教育の構造自体にあるからと言って、学校や教師に全く責任がないとは言えないのである。なぜならば、学校教育の文化と解釈の問題に誠実に抵抗した教師も存在したものの、多くの学校や教師が、これまで、子どもたちのより良い生のために何が必要なものであるかを真に問い直すことなく、ハイカルチャーや「正しい解釈」などの社会の要求する「文化」を、「子どもたちのため」と言いながら伝え続けていたことも一つの事実だからである。意識的ではなかったにしても、学校と教師が、これまで疑うことなく『こころ』やモーツァルトとその「正しい解釈」を伝え続けたことで、文化と教育の衰退は加速度的に進んでしまったのである。したがって、学校や教師は、子どもたちのより良い生を育みたいと望むのであれば、これまでの責任を受け止めた上で、自ら文化の解釈と伝達の在り方を改めていかなければならない。
 しかし、換言すれば、学校や教師が文化の解釈と伝達の在り方を変えることは、事態を改善し得る数少ない手段ということである。個々の学校や教師の改革は、文化の固定視と「うわべだけの文化伝達」という閉塞した問題に、突破口を開く可能性を十分に秘めている。以上を踏まえて、本論として提示する第一の策案は、可能な限り多くの学校や教師が、たとえ個人単位でも、文化とは何かという問題について、改めて問い直し、問い続けるということである。
 文化について問い直すことはつまり、本来の文化やその性質について知るということである。前章までに示してきたように、本来の文化とは、時代も場所も超えた人々のかかわりによって自然と育まれる共同体である。それゆえ文化は、モノなどの個体だけで捉えられるものではないし、人為的に操作できるようなものでもないという性質も持っていた。
 本来の文化の性質に学校及び教師が気付くことは、彼らが現在有する「文化」概念を否定することと同義である。つまり、学校と教師は、文化とは何かを捉え直すことで、自分達がこれまで当然のように捉えてきた「文化」や「正しい解釈」が、社会や権威性の要求によって定められたものであり、実際には文化の共同体を構成する一個体にしか過ぎないものであることを自覚することになるのである。
 言うまでもなく、学校や教師が文化を捉え直すことは、学校や教師が、自分達の所属する社会や学校教育の方針と逆行するということである。したがって、社会及び近代学校教育は、学校と教師が、文化の固定視や「うわべだけの文化伝達」を止めることを許さない。しかし、いかに社会や学校教育の矛盾した構造が教師に文化の固定視を強要したとしても、教師個人が必ずしも従わなければならないわけではない。つまり、学校や教師は、文化の固定視を強要する社会と学校教育に所属しながら、個人として文化の固定視から解放されることは可能なのである。
 もちろん、学校教育に所属しながら、文化の固定視から解放されるということは、既に多忙な業務に追われる状況にある学校と教師にとって、非常に労力を要することである。しかし、学校や教師が文化を捉え直し、文化の固定視から解放されることは、子どもたちのより良い生の育みを目指す学校や教師達にとって、労力に見合うだけの意義の有ることだと考える。実際、学校や教師が文化を捉え直し、文化の固定視から解放されることで、学校教育によってもたらされる文化の固定視の問題の数多くを緩和及び解消させることができる。
 学校と教師が文化の固定視から解放されることによって、彼らによって行われる教育は、全面的に変容する。例えば、文化の固定視から解放された学校や教師によって行われる教育の中では、「こころ」やモーツァルトの「正しい解釈」を教え込むような光景はほとんど見られなくなる。つまり、子どもたちは、「正しい解釈」から解放された環境の中で学習を進めることが可能になるのである。そこで代わりに行われるのは、教師自身や子どもたちによる、「こころ」やモーツァルトの批判であるかもしれない。いずれにせよ、教師や子ども自身が、自らの力で文化を捉えようとする光景が、何らかの形で見られるようになるだろう。消費のために繰り返される「うわべ」だけの無為な学習が、多くの部分で改善されるのである。
 また、文化の固定視から解放された学校や教師は、子どもたちの成長を多面的な視点によって捉えるようになり、子どもたちに、短期的な成長などの、効率性や合理性を必要以上に求めなくなる。なぜならば、文化の固定視から解放された学校と教師は、うわべだけの「文化」とその「正しい解釈」を唯一の基準にして、効率的、合理的に学習することが、文化や教育を衰退させるものとして働くことを十分に承知しているからである。慈しむように育くもうとする教育の中で、文化と子どもたちのより良い生も、自然と育まれていくと考えられる。
 しかし、以上に示した改善策すらも、子どもたちのより良い生の育成を誠実に目指してきた学校及び教師は、既に実践してきたかもしれない。先述のように、これまでにも、何が子どもたちのより良い生のために必要なものであるかを誠実に考え、学校教育の文化の固定視の問題に真っ向から挑んだ学校や教師も少なからず存在したはずである。文化の固定視の問題にいち早く気付きながら、抵抗することも許されない学校や教師が数多くいたことも十分に考えられるのである。個々の学校や教師達の誠実な抵抗は、それぞれの場で、事態を少なからず改善したかもしれない。しかしながら、学校教育全体としては、事態は悪化し続けていることに変わりはない。つまり、個々の学校や教師が意識を変えるのみでは、近代学校教育の矛盾した構造を脅かせるほどの抵抗には至らないということなのかもしれない。
 したがって、学校教育の構造的改革をより現実的なものとするためには、学校と教師は、文化の固定視に明確に対抗するような、さらなる具体的対策に踏み込む必要性も生じてくる。そこで、学校と教師が試行するべき具体的対策として、本論ではまず、サブカルチャーを、教育手段として積極的に取り上げることを提案したい。つまり、マンガやゲーム、ロックやストリートダンスのような社会によって迎合されにくいものでも、学校や教師が恐れずに、教材として取り入れていくことが必要と考えるのである。
 以上の提案は、基本的に、ハイカルチャーもサブカルチャーも文化に成り得るという、松下の主張に基づくものである。松下は、従来文化と言われてきたものすべての概念を、再考し、活性化することを提案した。また、子どもたちを学校内外に設定された多様な文化活動に参加させるという有意義な具体策も提示した。
松下の提案は、学校教育における文化の解釈と伝達の問題を包括的に改善するものであり、画期的である。しかしながら、現実問題として、ハイカルチャーもサブカルチャーも同じように捉え直すということは、学校や教師にとって困難ではないだろうか。学校や教師がいかに全ての文化を相対的に捉え直そうとしても、社会と、学校教育の矛盾した構造は、否応なしにハイカルチャーを中心とした「文化」の伝達を要求してくるからである。つまり、全ての文化を平等に扱おうとする限り、結果として学校と教師は、ハイカルチャーばかりが「文化」として固定視される現状から抜け出すことは出来ないのである。
したがって、本論としては、松下の論を最終的な目的としながらも、学校や教師によって行われる実際の活動としては、ハイカルチャーをより批判的に捉えて、サブカルチャーをより積極的に取り入れるような実践を提案するのである。実際、ハイカルチャーが当然のごとく「文化」の中心を担っている現代の学校教育の中に、サブカルチャーを積極的に取り入れてみることは、教育と文化にとって非常に有意義な変化をもたらす。それでは以下にまず、サブカルチャーを取り入れる教育が、教育自身にもたらす効果について示す。
 サブカルチャーは、社会や権威性によって選別されたハイカルチャーと比べて、現代の人々の現実の生活や、時代の流れなどを明確に反映している。例えば、マンガやロックは、「若者文化」や「対抗文化」とも呼ばれ、若者や大衆の、社会や権威性に対抗しようとする思想が如実に反映されてきた。また、序章で挙げた、島の子どもたちで伝えあう泳ぎや方言、子どもたちの間で伝えあう遊びなどには、人々が現実の生活をうまく生きるために、何世代にも渡って積み上げてきた技術や思想が詰め込まれていると言ってよい。つまり、サブカルチャーとは、今を生きる人々の、問題意識や求めているものが詰め込まれたものであり、現代を生きる人々にとって、非常に実用性の高いものなのである。
 したがって、学校や教師が学校教育にサブカルチャーを取り入れることは、子どもたちが現実に抱える問題に、正面から向き合うことと同義であると言える。教師や学校は、サブカルチャーを拒絶するばかりでなく、子どもたちを取り巻く現実として受け入れることで、彼らの抱える問題に対する理解を深めることができるのである。また、サブカルチャーを取り入れる教育は、自分達の現実の問題とほとんど関係しない、ハイカルチャー的な「文化」とその「正しい解釈」を教え込まれ続けて辟易としていた子どもたちにとっても、初めて自分の抱える問題と正面から向き合うための契機となるかもしれない。
 いずれにしても、サブカルチャーを教育に取り入れることによって、子どもたちが文化の固定視から解放されることは確かである。サブカルチャーを取り入れた教育の中で、子どもたちは、これまで押しつけられてきた「文化」や「正しい解釈」ばかりでなく、多様な文化に出会うことができるのである。多様な文化の出会いとの中で、子どもたちは、何が自分の問題を解決するために必要な文化であるかを考えなければならない。したがって、サブカルチャーを取り入れた教育の中で子どもたちは、「ユーザー様」ではいられなくなる。つまり、文化を相対的に捉える力を身につけられるのである。
以上が、サブカルチャーを取り入れた教育が、教育自身にもたらす効果である。もちろん、小笠原の指摘するような、子どもの本性的性格を正しい方向に導くために、既存の「文化」の伝達が必要であるという意見が誤りであるわけではない。前述のように小笠原は、既存文化の伝達は、子どもたちが自己と世界のすきまを捉え、世界との関係をうまく築くための手段として必要であると主張している。しかしながら、既存の「文化」は、権威性によってあまりに歪められたものとなったため、現代においては既に子どもたちにとって虚構の世界とも言えるものになりつつある。現代の子どもたちにとって、より世界を感じられるものは、むしろサブカルチャーにあるのではないだろうか。学校や教師が、いつまでも既存の「文化」に固執し続ける必然性はないと考える。
 次に、サブカルチャーを取り入れる教育が、文化にもたらす効果について示す。サブカルチャーを取り入れる教育は、ハイカルチャーを伝達し続ける教育と比べると、幾ばくか文化にとって良い結果をもたらすものとして働く。なぜならば、ハイカルチャーの共同体が、現代においては既に拡大を止めているのに対し、サブカルチャーの共同体は、現在も発展し続けているからである。
 第一章で述べたように、文化とは、実用性によって拡大するものである。例えば、かつては古典文学も、自身の実用性によって、「言葉遣いの銀行」としての共同体を拡大してきた。しかしながら、古典文学の場合は、新人文主義によって実用性を奪われてしまったために、真木によって「文学は社会的使命を終えた。」と指摘される程に、現代では共同体の発展を止めてしまったのである。 そして、古典文学に限らず、古典的なハイカルチャーは、少なからず共同体の発展を止めてしまっていると言える。
 しかし、ハイカルチャーとは対照的に、サブカルチャーの多くは、今現在も共同体を拡大し続けている。現代を生きる人々にとって非常に高い実用性を持つサブカルチャーは、確実に人々を共同体に取り込み、共同体を拡大し続けているのである。したがって、将来的に人々のより良い生を支える基盤として成長する文化は、既に権威性によって衰退の過程に至ってしまったハイカルチャー的な「文化」よりも、サブカルチャーを取り巻く文化であると考えられる。すなわち、学校と教師が、文化を拡大させようとするのならば、既に命脈の尽きかけているハイカルチャーを捨ててでも、現代の人々に求められるサブカルチャーを教育に取り入れていくべきだと考えられるのである。
 新たに生まれてくるものも含めて、教師が、数限りなく存在する多種多様なサブカルチャーを次々と教育の場に取り入れ続けることで、次第に学校教育は、サブカルチャーを抵抗なく受け入れられるようになる。つまり、教育において、文化の教養性や崇高性は重要視されなくなり、サブカルチャー・ハイカルチャーという文化区分や、権威性によって作られた「文化」の概念が、次第に崩されていくのである。以上の過程を経て漸く、全ての文化を相対的に捉え直すという松下の提案が、現実のものとなると言えるだろう。
 前述のように、学校と教師が文化を捉え直し、ハイカルチャー的な「文化」に囚われずに、サブカルチャーを積極的に教育の場に取り入れていくことは、学校教育の矛盾した構造によって生じる文化の固定視の多くの問題を解決する手段となり得る。しかし、学校と教師の文化の解釈を改善するだけでは、事態は改善の方向に向かわない。なぜならば、近代的学校教育には、文化の共同体を発展させるための土壌が備わっていないからである。
 前章で述べたように、文化の共同体は、時代と場所を超えた多くの人々が、共同体に加わることで発展する。ただし、人が文化の共同体に加わるということは、「うわべ」だけの活動によって成せるものではなく、古典文学を大量に読み込んで、模倣して新たな創造を行うような、並大抵ならぬ具体的経験を必要とすることであった。
 したがって、数限りない「文化」を、限りある時間で全て平等に伝えようとする近代的学校教育の中で、子どもたちが一つの文化を徹底的に学ぶ機会を得ることは、ほとんど不可能に近いことである。すなわち、学校や教師が、教育の場にサブカルチャーを取り入れたとしても、結局子どもたちは、学校教育の中ではサブカルチャーの「うわべ」だけしか学ぶことが出来ないということは十分に考えられる事態なのである。またその結果、サブカルチャーも、「うわべ」だけを伝達を繰り返す中で、形骸化していく恐れはあると言える。
 したがって、以上の問題を改善するために、将来的な学校教育の構造改革は、子どもが長期的な具体的経験が積める場を取り入れるなどして、文化の共同体を発展するための土壌を整えていくことが必要と考えられる。もちろん、矛盾した学校教育の構造の上でも、学校と教師が、文化の共同体を発展させる土壌のようなものを繕っていくことは可能である。しかし、近代的学校教育の構造問題の上では、学校や教師に出来ることには限りがあるのも事実である。
 そこで本論では、学校と教師が、学校教育に、具体的経験を分かち合う場を取り入れてく実践を提案したい。つまり、学校のあらゆる活動に、子どもたちが学校内外の生活で得た具体的経験 ―― 例えば、一人一人の失敗談、考えや思いなど―― を互いに伝えあい、分かち合うことができるような場を取り入れていくのである。
 分かち合いによって子どもたちは、自分自身の手によって得た具体的経験だけではなく、他者の持つ多様な具体的経験を同時に獲得することができる。そして、他者の具体的経験を取り込むことで、子どもたちは、自己の具体的経験を何倍にも拡大させることが可能である。確かに、他者の具体的経験は、自らの手によって得た具体的経験には及ばないものである。実際、学校や教師が、分かち合いの場を取り入れたとしても、子どもたちが学校教育の中で文化の共同体に加わることができるほどの具体的経験を積むのは難しい。しかし、分かち合いによって子どもたちは、一つの文化を多様な視点から捉え、具体的経験を積むための方法について試行錯誤することができる。つまり、子どもたちは分かち合いの中で、学校の外に出た時、文化の共同体を発展させる土壌を自ら探し出し、自ら具体的経験を積んでいくことのできる力を身につけることができるのである。
 以上が、本論として提示する改善策である。先述のように、本論で提示した実践が、即座に事態を改善することはあり得ない。また、時代や状況の変化に合わせて、本論で提示した以外の策案について考慮することも必要である。いずれにせよ、あまりに巨大化した近代的学校教育と、問題の背後にある消費社会の脅威を縮小化するためには、柔軟な計画性と、非常に長い時間と労力を要するものである。
 しかし、実際のところ、教育における文化の解釈と伝達の問題を解決するために、それほど長い時間は残されていないかもしれない。消費社会と学校教育の矛盾した構造は、誕生以来、急速に勢力を拡大し続けており、現在も教育と文化を消費し続けているからである。消費社会と学校教育の矛盾した構造が、教育と文化の全てを消費し尽くしてからでは手遅れなのである。ただし、本論で提示した実践が、長期的な視点で捉えなければ、有効なものとして働かないことに変わりはない。実利や効率を優先する姿勢は、消費社会の好むところであり、文化の発展過程と対極に位置するものである。性急かつ強引に進めるような改革は、消費社会によって利用されるような帰結をもたらすだけである。
 したがって、残された手段は、可能な限り早期に、可能な限り多くの学校と教師によって、現実に策案が開始されることのみである。少なくとも、全ての学校や教師が、すぐさまにでも学校教育の文化と解釈に関する諸問題に気付き、自力で文化を捉え直していくことは必要であろう。教育における文化の解釈と伝達の問題は、早期に着手するべき緊要の課題なのである。

終章 教育における文化の解釈と伝達の今日的課題について

 本章に至るまでに、学校教育の文化を固定的に捉える性向の背景にある諸問題を明らかにし、その改善策についても提示してきた。考察の結果、文化の固定視を始めとする、学校教育の文化の解釈と伝達に関する諸問題の要因は、文化伝達と人間形成という2つの役割を持つ近代学校教育の構造自体にあることが明らかとなった。しかし、さらなる根本的要因は、子どもたちのため、より良い社会のためという理由で、学校教育に背負い切れるはずもない役割を要求し、実際は自己の生命維持のために教育を利用しようとする、消費社会にあったと言える。教育にとっても文化にとっても、社会は必要な存在である。しかし、一方的な消費社会の要求に従い続ける限り、教育と文化は、解体され、消費されつくされて、後には何も残されない。
 したがって本論では、学校教育は将来的に、消費社会に従属する現在の構造を改め、消費社会に対抗する存在となっていく必要があると考え、「学校の無力化と機能の分散化」を改革案として提示した。また、学校や教師が、自らの力によって文化を捉え直し、具体的な実践を行うことが、学校教育の構造的改革をより現実的なものとするために有効であることについても述べた。さらに、学校と教師が行うべき具体的実践として、教育の場に、サブカルチャーを取り入れること、具体的経験を分かち合える場を設けることを提示した。しかしながら、巨大かつ複雑に入り組んだ問題を現実に解決するうえで、本論で提示した実践が未だ抽象的であることは否めない。したがって、本論を踏まえた上で、政治、経済、教育などの、社会に見られる諸問題について具体的に検討し、さらなる詳細かつ多様な策案を練っていくことは必要となるであろう。本章では、総括として、これまでの考察を踏まえた上で、現在の学校教育に具体的に見られる文化に関する問題の一部に焦点を当て、学校教育における文化の解釈と伝達の問題に関する、より今日的な課題について言及していきたい。
 既に幾度か言及したように、日本の学校教育における文化の解釈と伝達の問題は、近年になって、急激に深刻化しつつある。言うまでもなくそれは、「伝統や文化に関する教育の充実」という象徴的な形によって、「文化」の保護と伝達を露骨なまでに強調して推し進める政策が掲げられたことによるものである。新学習指導要領が施行される2011年以降、学校と教師には、「伝統と文化に愛着を持ち、尊重することのできる子ども」を育てるために、従来以上に「文化」を積極的に取り入れた指導を行うことが要求されるのである。
 既に新学習指導要領には、「伝統と文化」に関する学習の指導例として、古文や神話、民謡や和太鼓、武道やそろばんなど、各教科の性質に合わせた多様な「文化」が教材として提示されている。本論で述べてきた通り、神話や和太鼓を教材として扱うこと自体が問題なわけではない。問題は、神話や和太鼓が、明確な根拠もなく、崇高なもの、どの子どもにとっても有意義なものとして教えられることである。新学習指導要領には、「豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図る」ことが、道徳の目標として掲げられているのである。つまり、今後の日本における教育の文脈において、文化は、「豊かな人間性」や、「愛国心」などの本来何ら関係のない概念と、より一層繋げられて捉えられることになる。言うまでもなく以上は、近代社会において、フンボルトを始めとする新人文主義者が恣意的に作り出した「理論」と何ら変わらない。したがって、「伝統と文化の教育」は、学校教育の文化を固定的に捉える性向をさらに深刻なものとする。換言すれば、「伝統と文化の教育」は、皮肉にも、教育と文化の衰退を加速度的に進めるものとして働くのである。
 また、「伝統と文化の教育」によってもたらされる問題は、サブカルチャーが、今日の教育の場からさらに疎外されることにもある。「伝統と文化」や「愛国心」、「日本人らしさ」が強調的に礼賛される潮流の中で、実際には人々の現実に近しいサブカルチャーが、再度、害悪なものとして捉えられることは起こり得る。実際、2010年の東京都において、主にマンガの性的描写の規制を目的として、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案が掲げられ、作家や国民による数多くの反対意見を受けつつも、可決されるに至った。以上のような法案が考案されること自体、「伝統と文化」が重視されるような社会的潮流の中で、サブカルチャーが疎外される、象徴的な構図として見ることはできないだろうか。
 「伝統と文化」の重要性を強調的に礼賛する社会的潮流は、若者文化や対抗文化に代表されるサブカルチャーを、度々、「害悪なもの」と見なして軽蔑する。サブカルチャーが軽蔑される要素としては、暴力的、あるいは性的であるなどの要素が頻繁に挙げられるようである。しかし本来は、今日の社会が礼賛する「伝統と文化」にも、暴力的、性的な要素は多分に含まれていたはずである。例えば、源氏物語を始めとする古典文学作品にも、性的、あるいは暴力的要素は多分に含まれている。また、各地域に残るわらべ唄や桃太郎を始めとする童話にも、かつては性的表現や暴力的表現は多分に含まれていた。 人の醜さや悪性を描くことによって意義あるものとなった文化も少なくない。しかし、今日の社会や教育の現場において、「伝統と文化」が本来有していた性的要素や暴力的要素は、たとえ問題視するほど過激なものでないにしても、ほとんど扱われることがない。つまり、「伝統と文化」は、本来の文化から、人為的に「害悪」な要素を削除、あるいは隠蔽されたものなのである。
 しかし、今日の社会及び教育が人為的に「害悪」を排除することで、文化は確実に衰退する。既述のように、文化は、人による支配と徹底的に対立するからである。文化とは、人によって定められた善悪すらも超えたところに存在するものなのである。以上の理由から、「伝統と文化」を過賞し、サブカルチャーを疎外しようとする、今日の社会及び教育の潮流は、大きく矛盾していると言わざるを得ない。いかに社会と今日の学校教育が、文化相対主義や個性の教育を掲げようとも、「伝統と文化」の抱える矛盾を解決しない限り、人々は、真の意味で文化を発展させていくことは不可能と言えよう。
以上の状況にも関わらず、今日の学校と教師は、矛盾を抱えた「伝統と文化」の指導を、従来以上に強調して要求されることとなった。今後さらに深刻化すると考えられる矛盾した状況の中で、学校と教師が、子どもたちのために取り得る具体的な方法とは何か。それは、可能な限り「伝統と文化」が本来有していた「害悪」とされる要素も含めた上で、文化を指導すること、また第三章で述べたように、サブカルチャーを積極的に取り入れることである。
 もちろん、文化の本来有していた「害悪」を強調して取り上げる必要はない。また確かに、教育の文脈では美辞麗句もある程度必要であると言える。しかし、「害悪」を人為的に隠蔽する必要もないのである。「害悪」を取り戻した文化の指導は、空虚でかつ子どもたちの現実世界とかけ離れた「伝統と文化」を伝え続けるよりは有意義である。以上を踏まえると、学校と教師は、「伝統と文化」を指導するというよりも、生み出されたままの姿の原典的な文化を、子どもたちと共に読み解くような姿勢を取ることも必要と考えられる。選別も操作もされていない原典的な文化に触れた子どもたちが素直に抱いた疑問を、教師が誠実に受け止め、他の子どもたちとも疑問を分かち合い、共に解決策を思考していけばよいのではないだろうか。
 「伝統と文化」を教材として取り上げる際、同時にサブカルチャー的な教材を用いることで、指導はさらに意義有るものとなる。子どもたちが、原典的な文化について読み解く際、サブカルチャーは、有効な比較対象となり得るからである。歌舞伎に代表されるように、現代においては「伝統と文化」あるいは「ハイカルチャー」とされるものも、出自はサブカルチャーに持つことも珍しくない。 つまり、子どもたちの現実世界とかなり離れたものとなってしまった「伝統と文化」にも、現代の子どもたちの現実世界と通じる実用性はわずかながら残されているはずである。したがって、サブカルチャーを比較対象として「伝統と文化」を解き明かすことで、子どもたちは多少なりとも、「伝統と文化」から自らに繋がる問題を見つけ出すことが出来るのではないだろうか。
 以上、「伝統と文化」の教育に焦点を当てることで、教育における文化の解釈と伝達の問題に関するより今日的な課題について論じてきた。しかしながら、前述のように、本章で取り上げた問題と策案は、教育における文化の解釈と伝達の問題の一面に過ぎないものであり、枝葉末節の問題とすら言えるかもしれない。教育における文化の解釈と伝達の問題を根本から改善するためには、あくまで、消費社会及び学校教育の矛盾した構造の根本的な見直しが必要なのである。しかし、前章で述べたように、たとえ末節にある問題であろうとも、問題の根本的改善を現実とするためには必要不可欠であることにも変わりはない。したがって今後、学校と教師を中心として、真の意味で子どもたちにとっての「より良い生」とは何かを常に問い直し、教育の分野で見られる文化に関する諸問題について誠実に対応し続けていくことが、教育における文化の解釈と伝達の問題を根本から改善するために、何よりも重要であると言えるだろう。

【参考文献】

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