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#115 ”14歳で妊娠 交際相手は「LINEで『逃げます』と…」” とのネット記事を読んで

偶然目にしたネット記事に困惑したので、noteしようと思った。
元記事を一読して欲しいと思い最初は埋込を設定したが、思い直してやめた。理由は後述する。

記事を要約をすると。
①中学三年生の時、同い年の男子と交際し妊娠が発覚
②相手は出産するように勧める
③出産から1年ぐらいたったらLINE で「逃げます」と宣言され
 それ以降養育費の支払いもなく音信不通
④中学校卒業後、出産報告で先生を訪ねたところ、現役の生徒から
 隠すように部屋へ入れられ、早く帰宅するよう促された。
⑤中学卒業後やっと見つけた職場でもイジメ等をうけた
⑥今は兄の勤務している会社で働き上司からも良い評価を受けている
⑦子供がこの春小学校に入学して、記念に写真館で写真をとった

これを作成した記者は読者に何を伝えなかったのかが自分にはよくわからず、とても違和感を感じたのでnoteの記事を書き自分の受け取りを整理することにした。

記事の中で唯一 
「隠さなきゃいけない、隠れなきゃいけない存在なのか…」
の部分だけが青文字になっていたので、この記者はこれを強く主張したかったのだろうと推測した。
そしてそうではないはずだから、このようなことを隠すことなく沢山の写真をネット上に掲載して、もっと世の中に受け入れられるべきであると言いたいのではないかと推測した。
しかしこの私の推測が正しいとすると、

記事の最初の見出しの

”14歳で妊娠 交際相手は「LINEで『逃げます』と…」22歳のシングルマザー 息子は6歳でこの春小学生に”

は、あまりにも主張とはかみあわず、そしてこの見出しのすぐ下にある

「子どものミライ」を守るため…
14歳、中学3年生で妊娠し、1人で産む決断をした愛知県に住む少女のその後を取材しました…若いシングルマザーに立ちはだかる「壁」とは
。”

というリードにある、立ちはだかる壁が「隠さなければ・隠れなければいけない存在」と世間が思っているゆえ受ける不当な扱い、と言うのであれば難癖も甚だしいと私は思った。
そもそも人と人の間には各々隔たり(壁)があるのは当然と言えば当然で、それをお互いの言動で壁の高さ或いは距離を少なくして、潤滑な人間関係を保って社会を形成するのが、我々がお互いに幸せになれる手段ではないのか?

”常に傷つけられてきたのが、「若いシングルマザー」への偏見です。”

母校の教師や勤め先の人に邪見に扱われたと感じ、それを立ちはだかる壁と本人あるいは記者が認定し問題にしていることが、私にはあまりにも短絡的な考えだと思えた。
きつい言い方になるが、短絡的な考えがゆえに短絡的な行動を取り、結果的に窮地に陥っても周囲の理解の無さに傷ついたが、自分の今までの判断を否定することもなく、今後の改善材料とする気がないように受け取れた。

自分ばかりを責めれば自分を追い詰めてしまうといって、誰かを・社会を、責め自分を正当化するのではいつまでたっても、幸福感を感じることはできないのではないか?
起きたことは仕方ないが、これからのことはこれまでの行いを振り返り、問題点を見つけ出し改善することでしか、幸せに近づけないのではないだろうか?

文春オンラインにも彼女の記事が

ところで、私が最初に読んだ記事は大手マスコミの管理下にあるサイトで、ネットで色々調べていたら、文春オンラインにも同じ女性の記事があった、こちらの方はより内容が詳しく、事の経緯や彼女本人の意見もしっかりと書かれていて、まるで受ける印象が違った。
上記した被害者的な思考や短絡的な行動をしたというより、その時々で一生懸命考えて出した結論であることがよく理解できた。
またどことなく「しくじり先生」的な後輩に対してのアドバイスもあり、とても彼女の明るさや前向き度が伝わってくる内容だった。
もしこの文春オンラインの記事を見つけられていなかったらと思うと、ゾッとした。
どちらが先に出た記事かまではわからないが、伝え方でこんなに受ける印象が違うものかと愕然とした。

やはり最初に読んだ記事は、センセーショナルな見出しを付け、ビューを増やそうとした、超商業記事だと私は認定した。
そして、この記事を読んで彼女に対して壁を打ち立てた自分を悔しく思う。

この経験は教訓として残そうと思う。

ここまで長い文を最後まで読んで頂けた方に心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

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