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当事者家族の立場から

こんにちは。わたころ運営のほんまです。
今日は、当事者家族としての経験から考えたことについて、書いてみたいと思います。
(※ここでは、「障害や病気等の当事者の家族で、主にその当事者をケアしている人」を「当事者家族」と書いています。)
ちなみに、障害や病気、家庭の状況など、本当にそれぞれだと思いますので、同じく当事者家族であっても、全く当てはまらないことばかりかもしれません。あくまで私の場合の話だとご理解いただけますと幸いです。

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当事者家族の立場というのは、なかなか微妙だなぁ、と思うことがあります。
当事者家族は、その障害や病気の体験に関して言えば、当事者が「主役」だとすれば、いわば「脇役」や「裏方」のようなもの。

当事者家族としての体験を話そうとしても、自分の体験を話すためには、多少とも当事者本人のことについて語らなくてはなりません。自分だけならまだしも、当事者本人のプライバシーの問題があり、話したくても話せないことはあります。
本人が話してもよいと言ってくれても、本人と家族の捉え方が異なれば、やはり、話せないこともあります。

当事者である本人のことを大切に思っていて、そして、本人が一番大変なのはわかっていても、当事者家族だって大変だと言いたくなる時はあります。
しかし、家族の立場から「大変だ」と言ってしまうのは、本人に対して、何だか申し訳ない気持ちになってしまい、気を遣います。

それでも、当事者家族も悩むときはあります。
障害のある当事者本人とのかかわり方。年齢や状態や状況によって日々変わっていくケアやサポートのこと。その中での、自分の時間の作り方。経済的なこと。体力的なこと。仕事とケアの両立。自分の人生設計の見通しを、どう立てればよいのかということ…等…。

当事者家族について考えていると、この中途半端で微妙な立場の人がどうしていけば良いのか、もっと考えを深めていかなければなぁと思いました。

それでも、少なくとも言えることは…、
当事者家族であっても、その人の人生においては「主役」であるということ。また、障害や病気の経験を「家族として」体験している、という意味では、当事者家族は、「家族に障害・病気をもつ人がいて、その人をケアしてきた当事者」でもある、ということ。

私も、つい、忙しい日々の中で、自分の人生の「主役」でなくなってしまったように感じた時もありました。しかし、しっかりと自分をもって、自分の人生の「主役」として生きていかなければと思いますし、同じ立場の人がいたら、ぜひご自身の人生の「主役」として生きてほしいなと思います。

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当事者家族として、さまざまな支援機関にサポートしていただいたことがあります。家族に対してもしっかり支援してくださるところがほとんどでしたし、そうした支えが本当にありがたく、改めて支援の仕事は大切な仕事だなと感じた次第です。
ただ、支援者の中には、当事者本人への支援に一生懸命になるあまり、当事者家族を、何か当事者本人をケアするための「リソース」としてのみ考えてしまったり、家族を支援の「素人」のように捉えてしまう人もいるのかもしれません。
当事者家族も、ケアする人である前に、1人1人がその人の人生の「主役」であり、その人から見た世界があることを忘れないでいただきたいなと思いました。(ほんま)

*ほんま:当事者経験をいろいろ抱えるソーシャルワーカー。社会福祉士・精神保健福祉士。主に障害者就労支援に従事。おしゃべり。趣味はころころ変わるが、コーヒーと旅行はずっと好き。


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