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【本の感想】『高学歴難民』

こんにちは。「わたしたちが当事者だったころ(わたころ)」のほんまです。
今日は『高学歴難民』(阿部恭子氏・著、講談社、2023年)を読んだ感想を書きたいと思います。

「高学歴難民」とは、高い(あるいは高すぎる)学歴はあるけれど、就職の機会を逃して生活に困窮したり、社会的役割や評価の獲得がうまくいかず、精神的に病んでしまったりするなどして、社会における「難民」になってしまった人たちのこと。研究職を目指す大学院や法曹を目指す法科大学院への進学、海外留学等を経験するうちに年齢を重ね、同年代が就職や出世、結婚や出産等をして「どんどん先に進んでいってしまうよう」に見える中で、「道」に迷ってしまいます。紆余曲折を経てその後の人生を何とか見つける方もいれば、犯罪や自死を選ぶ方のストーリーも出てきます。そして、「高学歴難民」を支える家族やパートナーのお話も。

私は、大学院の博士課程まで進学し、研究員を経てから30歳で民間企業に就職しました。同書に登場する人たちほどではないにしても、要素としては近いものがありましたし、「大学院にこういう人たちがいてもおかしくないな」と思える程度には、高学歴な人が置かれている状況は理解できます。その意味では、ある程度の「当事者性」を持ちながら、親近感を持って拝読した次第です。

「高学歴ワーキングプア」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、研究職を目指す高学歴の人たちが、なかなか安定した職に就けずに大変な生活を送っていることについては、その実態をあまりよく知らない方も多いと思います。(…といっても、私も「大して知らない」人のひとりです。途中で抜けてきた人間なので…。)同書の一部は、下記からもかなり読めるので、興味のある方は、是非読んでみてください。

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同書に登場する「高学歴難民」の方のストーリーの中で、印象的だったお話をいくつか取り上げたいと思います。

「CAから検察官への華麗なる転身を夢見て―—相澤真理(40代)」(p.79-101)では、(元)CAの相澤さん(仮名)が、母親が親戚に自分のことを自慢する言葉を聞いて、自分がまだ「親の自慢の子ども」でいられているのかどうかを確認する場面が登場します。
親や祖父母が自分の学歴や職歴を褒めてくれたり、親戚に対して「うちの○○ちゃんは■■大学で▲▲を学んでいるよ」「○○で△▼の仕事をしているの」と無邪気に自慢したりするとき。子どもはその言葉を注意深く聞きながら、自分が「親の期待する範囲」から逸れていないことをひそかに確認し、安堵する――。これ、私も経験あります…。皆さんはいかがですか?
一方で、親でもある私は、子どもの立場からのみ考えるわけにはいきません。親として、自分の何気ない一言が子どもの気持ちに蓋をしてしまっていないかどうか、十分に自覚できていないこともあると思います。何気ない一言が相手を縛ってしまうのですよね。支援の仕事においても当てはまることですが、気をつけないといけないなと思いました。

「屈辱を味わった法律事務員がタクシー運転手になるまで―—上田信彦(30代)」(p. 106-111)では、法科大学院を経て司法試験に挑戦したものの不合格となり、法律事務所の事務員を経て、タクシー運転手になる方が登場します。
上田さん(仮名)がタクシー運転手に応募した際の面接で、体調など事故につながるリスクを聞かれるだけで、学歴や経歴を聞かれず、「正直、こんな素晴らしい世界があるのかと思うほど、私に向いている気がしました」(p. 110)と話す場面があります。そして、ワクワクしながらタクシー運転手の仕事をされるのです。
実は、私も、今の支援者の仕事を気に入っている(たくさんある)理由のうちの1つが、「学歴・経歴が関係ないこと」にあります。支援の良しあしはクライアントが決めることであり、「良い支援ができるかどうかがすべて」です。支援者が高卒でも院卒でも、卒業校の知名度があってもなくても、仕事=支援の良しあしには全く関係がありません。(実際には、そういう仕事は多いと思いますけれども。)そして、多様な経験が、それぞれに支援の場で生きることがあります。その意味で、私は支援者のことを「格好いい仕事だな」と思っています。
この上田さんのストーリーを読み、私は、単純に「良い支援ができるかどうかがすべて」であり、多様性が生きる仕事であることが格好いいと思う一方で、学歴があることに関してコンプレックスになっている部分もあるのだろうなと気づかされた次第です。

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ただ、わたころのテーマでもある「当事者経験のある支援者」という観点から言えば、支援の仕事をする中で、自分の(学んだことではなく)「高学歴を経験したこと」が役に立つケースもあります。
障害者の就労支援をしていると、かなりの高学歴な方やハイキャリアの方を支援することもあります。
例えば、支援の場で、高学歴なクライアントに対して、良かれと思って「素晴らしいご経歴ですね」と言う支援者がいたとします。しかし、クライアントがこの言葉を嬉しく思うかどうかはわかりません。「学歴を褒められて嬉しくない人がいること」を、私は同僚支援員に「解説」したことがあります。高学歴な方の中には、これまで「勉強ができた」ことに対して、周囲から一方的に嫉妬されたり、八つ当たりのようにコンプレックスをぶつけられたりしたことのある方もいるでしょう。そういう方であれば、学歴を褒められたら、とっさに警戒心を抱くかもしれません。その「高学歴」は、親からの教育虐待やそれに近い抑圧的な環境の中で、本当にやりたいことを抑え込みながらサバイバルしてきた「結果」かもしれません。また、同書では「学歴に見合った社会的地位を得ることに失敗した高学歴難民としてのコンプレックス」(p. 182)への言及がありますが、就職や就労において失敗経験を積む中で、このようなコンプレックスを持つ方もいらっしゃると思います。つまり、「○○大学をでているのであれば、社会的地位の高い仕事についているはずだ」という先入観や期待値を内面化し、「それなのに自分はできていない」と自信を喪失している方もいるでしょう。そのようなことがあるということを感覚的に理解でき、高学歴な人が置かれている環境を体験として知っていることが、支援に役立つ場合もある、ということです。障害の当事者でもある支援者が、障害のあるクライアントの視点を他の支援者・医療者に解説する「橋渡し」の役割を担うことがありますが、それと同様の役割を担ったのだと思います。

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同書の「おわりに」で、アカデミック・ハラスメントが高学歴難民を生む要因のひとつであることが示唆され、「高学歴難民の皆さんにぜひ、革命を起こしてほしい」(p. 187)と書かれています。これは、私も期待したいです。研究が大好きで大学や大学院に進んだ方が、ハラスメントによって研究職への道を絶たれたり、精神的に傷を負うことになってしまっては、とても残念です。アカハラのニュースが流れると、とても悲しくなります。学びや研究の楽しさや価値を損なう行為でもありますからね。そういうハラスメントが生じている環境があるのであれば、ぜひ改善していただきたいです。

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いかがでしたでしょうか。「高学歴難民」とあまり縁のなかった支援職の方に是非読んでいただきたいなと思いました。また、大学院生活が長かった方など、当事者性のある方も面白く読めるかなと思いました(身につまされすぎて、読めないかもしれませんが…)。
そして、同書を読み、感想を書き終えたとき、なぜか、研究や学ぶことの純粋な楽しさが鮮やかに思い出されてきました。ネガティブな側面が言語化されて整理されたからかもしれません。読んでみて、感想を書いてみて、よかったです^^
いろいろな方に読んでいただき、またオンラインサロンで感想などをお話しできればと思います。


*ほんま:当事者経験をいろいろ抱えるソーシャルワーカー。社会福祉士 / 精神保健福祉士 / キャリアコンサルタント。主に障害者就労支援に従事。おしゃべり。趣味はころころ変わるが、コーヒーと旅行はずっと好き。


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