2024年

1月25日
山奥ニートさんが子育てのため、山奥を離れて、名古屋にうつるらしい。ブログに色々とかいていたけれど、結局、山奥での子育ては物理的に難しいようで、親もいる、奥さんの仕事もある名古屋への移住を選ぶようだ。それはそれで生活の状況において変化していくのはいいと思うけど、結果的には、やはり他人との山奥での生活では子育てはしにくく、都市での親族と仕事が近い暮らしが子育てには適しているという、至極、当たり前なところに落ち着く。
テクノロジーを使って、過疎地域で、そんなに働かなくても、楽しく暮らせるというのは、20代から30代なかばの独身に限られる一時的な生活様式。結局は、結婚や子供をもつと都市の利便性や地縁に回収されていくのかもしれないと思うと、そんなに大きな自由が田舎にあるわけでもないし、ニートに可能性があるわけでもない。でも一時的にしろ、画一的な生き方から逃げられるのはいい。

1月27日
東浩紀さんの訂正可能性の哲学を読む。
わりと、森達也さんと東さんて同じことを書いてる気がする。
つまり、個人も社会も、絶対的に誤るので、たえずそれを見直していきましょうってことで、それは本当になかなか日々においては面倒極まりないけれど、それを怠ると大変なことになる。

1月28日
仕事おわりに、ブッセ初ライブ間に合った。
オリジナル曲は、シューゲナイザー?みたいな感じなのかしら。ボーカルのないかっこいいリズムと音。
カバー曲は、お馴染みの魚ごっこや、◯の曲。
弾きながら歌うからか、普段とちょっと違った声にきこえる。声がクリア。意外と、ピンっとした声なのかもしれない。
ご本人は、ラジオでレコーディングのときに、なかなか大人の声が出ないという話をされていたが。

1月29日
iPad miniの画面が小さいがために、パソコン画面と交互に見つつ仕事をするにはしんどい。なので、普通のiPadに買い替えてみようとAppleのアプリで注文したら、30日午前中には着くという。すばやい。

1月30日
iPad、もうやってくる。

それにしても、耳鳴りやまず。
とくに、夜かえりがけ、23時、疲れた頃には、ひどくなっている気がする。これは、このさき、大丈夫だろうか。

1月31日
疲労の蓄積により、耳鳴りひどい。


2月2日
飲み屋でとなりに、若いCAさんの2人組。
国際線なのか。男の品定めみたいな話をずっとしているけど、なんとも元気だ。
           ※
X上のつくづくくだらない言い争いを読んでいて思うこと。
今の世の中、なにがおもしろいって、自分が子どものころには分からなかった意外と大人ってバカだし、子どもだな、というのが、ネットのチカラで、子どもたちにも可視化されていることで、昔なら子どもたちの目に触れることもなかったであろう、大人たちのバカな言い争いが、ネットにゴロゴロ転がっている。
昔のように、子どもに対して、無条件に大人の言うこときけ、なんて土台無理なほど、底が割れている。

子どもが大人のいうことをきかない、または舐めてかかるなんてことが、やっと当たり前のことになるのだろう。
だって、本当にバカなやりとりを延々とやっているのだから。


2月4日
あまりに、速い移動は、自分の感覚が置き去りにされているような気もして、なんだか変な感じがする。

           ※
各地で色々選挙があったみたいだけど、相変わらず、投票率は低く、これでは根本的に、選挙は機能していない。投票率をあげる本当の努力はなされずに、選挙はくりかえされるわけだから、もうダメだね。

2月5日
ミス日本のカロリーナさんにしろ、庭師の村雨さんにしろ、日本人の観点から彼らを批判する人たちがいるのが、本当にここは島国の閉鎖社会だな、と思わせる。

          ※
なんだか自分が子どもの頃、新潟の雪深い山奥で、冬をすごしたこともあるせいか、都心で少し多く雪が降ったぐらいで騒ぎおって!という気持ちになるのはなんだろう。優越感か。
本当の雪国生活を知っているわけでもないのに。


2月10日
「アフターサン」という映画をみた。これは、わりとクル鬱映画かもしれない。
当の本人にもどうにもできない憂鬱な気分。日常のなかで、ジワジワと蝕まれていく。

2月11日
SF映画は大好きなのに、SF小説はどうにも読み慣れない。難しい。

2月13日
自民党の人たちの倫理観の壊れっぷりは本当におそろしい。生活がどこまで壊れれば、人たちは怒るのか。どこまでいけば、政治はかわるか。それは分からないけれど、きっと不満や怒りは、狡猾な政治家たちによって、国外へとむけられ、その果てには戦争となり、またものすごい数の人たちが死ぬだろう。でもその死者のなかには、ほとんど政治家は含まれない。
           ※
戦争がたえない様子をみるにつけ、ハリウッド映画の悪役のように、人類は愚かだから滅びるがいい、と思ってしまう。

2月14日
ザ・ノンフィクションで婚活をおったりしてるけど、結局のところ、社会に出て、社会化された人間同士が交際しようとすると、剥き身の人間の外側に社会を身に纏って、相手と近づこうとするから、どうしても社会が邪魔をするような気がしている。
だから、同じような社会層、つまり同じような社会を身に纏っているもの同士では、結婚できるかもだけど(社内結婚など)、概ね、社会に邪魔される。
と、僕は思う。
まあ自分の結婚そのものが社会を介さない学生同士からの結婚で、ふたりの間に社会がなくて結婚しているからということもあるけれど、社会に出て、社会的な評価などを内面化している状態で、結婚していくっていうのは、それはもう大変なことだとは思う。
結婚した後には、たしかに色々と社会がふたりの関係に面倒なことを巻き起こすけれど、それでも根本的には社会とは関係のないところから、関係が出発しているのは、わりと結婚や、そもそも長く続く人間関係においては大切なことかもしれない。
実際には、社会からの評価をみて相手のよしあしをみる、ということが、人間関係の初期には大切なことかもしれないし、そういうことをしなかったために破綻する関係も多いと思うけど、僕自身は結婚20年以上たって、相手との関係が社会を介さないところから始まっているから続いているような気がしている。

           ※

ふと、断捨離したいという欲求にかられるものの、いざモノたちを前にすると、棄てることは出来ない。せめて、メルカリをしよう、と思う。

2月15日

自民党議員たちの裏金と、官房機密費と政治活動費の使い方に、ここ数年来、一番腹が立っている。
まあ、大昔からなんだろうけど、現在主権在民といいながら、政治家は税金で美味いもの食って、好き放題している。そして、現代が政治家にとって一番いいのは、乱もテロもほとんどないことで、やりたい放題がバレたところで、日々、支援者団体には便宜を計ってきているから安泰。考えるのは、どうやって世の中の(バカな国民たちの)目を違うところにむけさせるかということ。
幸いに多くの主権者は忘れっぽい。

それにしても、尋常じゃない。自分の本を何千冊も税金で買ったりしている。どうかしている。

裏金も、政治活動費も、官房機密費も、結果的にでも、なにかみんなのためになることに使われているのか。この根幹がメチャクチャだったとしたら、それはやはり国はダメになる。当たり前だ。

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