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鬼の気持ち


自分の顔を見ただけ、目線を合わせただけで相手の顔が見る見るうちに恐怖に打ち震えるえ、この世の終わりかの様に泣き叫び出す。

その様な経験をしたことはあるだろうか。
何のコミニュケーションもない、言葉をお互い発する前に相手は、明らかに自分の存在を恐怖と感じている。

ケニアに住んでいると往々にしてその様な
経験する。
決まって、恐怖を感じている相手は生後半年くらいから3歳くらいまでの地方に住むケニア人の子供だ。

「鬼=白人説」というものがある。日本には古くから伝わる様々な鬼に関する伝説は、白人の存在を知らない昔の日本人が、自分とは異なる異物である白人を「鬼」という恐怖の対象として認識したことからはじまるという説だ。

私の顔を見ただけで恐怖を感じる年代は、ケニアの地方に住む生後半年から3歳くらいまでと書いた。彼らにとって私をはじめ肌が黒くなく真っ直ぐな髪の毛を持つ人間に似た存在は、まさにその存在すら知ることのない未知の生物、鬼なのだろう。
目があい、一瞬フリーズする。おそらく、自分の頭の中の知識と目の前の存在の整合を図っているのだろう。そして、整合が取れずに恐怖が湧き上がる。
「えっ!?これ人間??
でも、人間は俺の周りの人達みたいに肌は黒くて髪の毛チリってるはずやけど、
こいつ違うよなぁ。。
えっ、もしかして人間ぽい怪物!??
まじ?コワっ!!うゎっめっちゃコワイ!」

とこちらを見ながら感情が揺れ動き、泣き始める。

ある一定の年齢を超えると、
世の中に黒くない、髪の毛が真っ直ぐな人間がいることを学習するのだろう、
泣かなくなる。
逆に「ちんちょん」「ムズング」と近寄ってくる。

私にとっては、それら恐怖の反応は楽しい。
この人(子)にとって、私は異物であり人間ではないんだろうな、と感じる。

ケニアという異文化に来たことを実感する。

時に彼らにより近づいて更に恐怖を増長させたりしてみる。
そんな時、彼は決まってより泣き叫び、
周りの人達は笑っている。
あまりやりすぎると周りからも白い目で見られるが。
そんな、泣いている当人と周りのギャップがおもしろい。

人間は経験や学習を通じて、世の中のあらゆるものを分類し認識していく。
経験のない対象は異物だ。
小さい子供は経験が浅く、未知のものを類推することもできない。
よって、恐怖の対象となる。

この異物への対応が、恐怖ではなく
差別になることがある。
違う人の存在を知っていながら、
認められない時差別の感情が起こってくる。
と私は思う。

これらの差別に繋がる構造を理解してもらうこと、
差別する人たちがその構造の中にいることを認識してもらうことが、
差別をなくすための解決策の、一歩目ではないかと
鬼扱いを受けながら考えている。

追記

ご指摘頂いたので追記します。ケニアの子供を泣かせる行為が正しいか正しくないかはここでは論じていません。

「マリファナを吸う行為は法律違反なので正しくない」

のと同じでケニア人の子供を泣かせるのは、正しくないのだと思います。

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