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こじらせて、ブレ続けて、こじつけて、めでたい奴でいる。

「この会社にお前のことを好きな奴なんて一人もいないぞ」

間違いなく嫌味だったのだと思う。

それでも、会社員時代に編集長から言われたその一言は、一瞬でも気を抜いたら空に飛んで行ってしまうのではないかと思うほど、私の心と身体を軽くしてくれた。

それまで、自分は老若男女に関わらず好かれる方だと勘違いしていたし、勘違いしてしまうほどに涙ぐましい「好かれる努力」をしてきたように思う。
それでも、実際に誰かからの好意を感じた時などはとても怖かった。

涙ぐましい努力によって作り上げられた私を好きになってもらっても、それは本来の私ではない。そんな風に思っていたものだから、

「誰もお前のことなんか好きじゃない」

そう言われた時は、もうこれ以上無駄な努力をせずにすむのだと、涙が出そうなほど楽になったのだった。

(それにしても結果誰にも好いてもらえなかった私の涙ぐましい努力とは一体)

自分の心身を重くしていた複数の装備品を一つ一つ外していくと、身につけていたのは盾や矛ばかりだな、と気づく。
好かれたいと願いながらも、攻撃がくることを予想しては360°全方位から自身を懸命に守り、かつ、いざという時はいつでも攻め入る準備さえしていた。

悪いことではないと思う。
そんな、良く分からないけど気概だけなら峰不二子、みたいな自分もなかなかに好きだった。
ただ、気概だけ峰不二子でいるのも楽ではない。
(あの外見をもってして初めて峰不二子なんだからそりゃそうだろう)

そもそも「本来の私」や「作り上げられた私」なんてものは存在しないように思う。
「本来の私」も「新しい私」も「自分らしい私」も「輝く私」も「本質を見極める私」も、探し出したり、取り戻したりするようなものじゃないと思うのだ。

私で言うならば、大事な仕事があると忙しぶって友人の誘いを断り、スマホに届いているメッセージもちょっと今は見なかったことにさせていただき、その実、自宅で98円の缶チューハイを片手にカレーせんべいをつまみながらこのnoteを書き、時に飽きて漫画を読んでは眠気に襲われている今現在のこの私こそが、私の全てである。

長いこと探し物係だった私に言いたい。
どうせなら成人祝いで両親にもらった真珠のイヤリングや、何故かいつも行方不明になる片方の靴下を探したらどうかと。
そちらの方が、まだ見つかる可能性を秘めているように思う。
(本当にどこにいったのだろう。ごめんなさい。)

ついでにこの機会に、「ブレない私」を探したり目指したりすることもやめようと思う。

そりゃ強い意志や信念をもっていて、ブレない人はカッコいい。
「この道ウン十年!」なんて人は、心から尊敬する。
言っていることが一貫していて、1つのことを継続できるということはもの凄いことだと思う。

それでも、そんな人を素晴らしいなと思うことと、私自身が「ブレずに生きていく」ということは無関係なのだ。
「かっこいいなぁ!」で終わりだ。

そもそも千里の道も一歩からということわざを知って「そんな長い道のり、一歩も踏み出してたまるものか」と決断する私が目指す境地ではない。
まっすぐに前を向き、好きなことわざは棚からぼたもちです、と言いたい。

よし、この調子で私は言う。
言うぞ。

そもそも私は、30代半ばにして親族以外の結婚式に呼ばれたことがない。
同窓会にも行ったことがない。
したがって、どう考えても「もう好かれる努力をしなくてもいいのね・・・」などと泣ける立場ではない。

ついでに漫画は読むが、
テレビを見ることもなければ新聞や雑誌を読むこともない。
ネット検索もほとんどしないので時事的な話題にはついていけない。
SNSを開いたときに表示される知人の発信から、今起きているかもしれない出来事を予想している。
AIもそんな私に何をお勧めしていいのか分からなくなったのだろう。最近では、「検索履歴に基づくあなたにオススメのニュース」として

【高橋英樹氏の目じりにできたホクロが巨大化!?驚愕の真相とは…!】

などという、詳細を表示する必要性を全く感じないニュースが届くようになった。
高橋英樹氏と私をバカにするのはよしてほしい。してないか、失礼した。
(ちなみに高橋英樹氏のホクロが巨大化した理由は老化だそうだ。必要性を全く感じないなどとカッコつけておきながら、こんな小さな誘惑にさえも勝てなかった私だ。しかもこの件に関しては、丁寧にも高橋英樹氏のブログに訪れて確認している。きっとこのブログの検索履歴から今後も高橋英樹の最新ニュースが届くだろう)

そしてこんなニュースが届くほどに基本的な情報収集を拒否して、誰かと共通の話題で盛り上がる努力を怠ってきたにも関わらず「好かれるために涙ぐましい努力をしてきた」などと前述したことをここに謝罪する。

さらに白状すると、テレビや新聞、雑誌を読まない理由として
「信憑性のない無駄な情報に振り回されたくない」
などとカッコつけてきたが、その割に芸能界のゴシップネタなどは好きな方だ。
(しかもかなり好きな方だ。それでも、美容室で目の前に置かれた「FRIDAY」に対しては手を出さないという、なけなしのプライドは持っている。そもそも私が読みそうな雑誌としてFRIDAYをチョイスするのはよして欲しい。「美的」であれ。)

様々な知識を蓄えようと、テレビや新聞、本などで積極的に情報を得ようとしていた時期もあったのだが、全く覚える必要のない志茂田景樹の本名などは自然とインプットされるのに「リーマンショック」などといった大事件は覚えられず、ついには「オイルショック」と混同してしまい、この事件に関してはいつの間にか「オイルが高くなったことによってサラリーマンがショックを受けた事件」として私の頭に誤認識されたりして、このようなことが少なからず起こったことも情報をあまり入れなくなった原因だ。

もっと言うと「リーマンショック」は「サラリーマンショック」の略だと思っていたし、そのことを口走ったことによって心優しき賢者に

「確かに多くのサラリーマンがショックを受けた出来事だから、完全に間違っているとはいいきれないかもしれないね」

などと大層気を遣わせてしまったことも、一因である。

さらには、このような「○○ショック」というワードを聞くと、クリスタルキングの「愛をとりもどせ!!」という曲の一部分「YouはShock!」のメロディーが脳内再生されてしまい、それ以降の話は頭に入ってこない。

ついでにこの調子で何気なく白状すると、私は雨が降ったら会社を休んでいた。遡ると学校もだ。そして友人との約束もキャンセルしがちだ。

ここまで書いてちょっと情けなくなってきたので、夫に激励の言葉を求めたところ

 「直ちゃんのすごいところは、そのこじらせ具合と、ブレ力と、それだけこじらせてブレているにもかかわらず意味ありげにこじつけていく、そのこじつけ力やで。すごいやん」

と返ってきた。

私のすごいところは、こじらせ具合と、ブレ力と、こじつけ力なのか。

私 「ブレ続けるってことは、言い換えれば立ち止まらないってことだもんね、ありがとう」
夫 「いや、めちゃくちゃ立ち止まる方やで」

めちゃくちゃ立ち止まるうえに、動いたと思ったらブレてるということか。

なんか、なんだかアレな気分だが、そうか、そうなのだった。

これからも懲りずに思い出を美化したり、かっこつけたり、バレたり、さらけ出したりして、
ブレて、こじつけて、正解にして、生きていくのだった。

存分に立ち止まり、動きたいときに360°予測不能に不規則にブレる。

うん、いい感じだ。

盾や矛などの装備は本当に要らないだろうか、と考える。
動きたいと思った時に助走なしで身軽に動くにはいらなそうだ。
不規則にブレるのだから、傾向と対策、そして統計なども必要ない。

よく分からないが、気分が良くなってきた。

身軽にブレているうちになんか重みとか出てきたりして、その重みでスピードが出るかもしれないし、重みやスピードが不必要だったらまた外せばいい。

こじらせ力と、ブレ力と、こじつけ力。
弱そうだが、強そうだ。
これもある意味装備だろうか。

なんでも「○○力」っていえばいいってもんじゃないよ、と思いつつ、
なかなかやはりそれっぽくなるし、悪くないじゃないか。
悪くないけど、どこかかっこ悪くて情けなくて面白くて、しっくりくる。

と、まとめに入ったところで夫が言う。

「直ちゃんて、自分は嫌われていると思うの?」

なぜか私は今もなお、自分は老若男女に好かれる方なのではないかと思っていることに気付く。

懲りないし、めでたいし、いいことだね、とおやつに家族分のパナップを用意しながら夫は笑う。

おわり。

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