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アンナ - 泥 #10

初回 (#0):https://note.com/watar_kato/n/n9375d5f25a78
前話 (#9):https://note.com/watar_kato/n/nf08f2fe0bbee

 この日、私は日直だった。黒板を消したり宿題を集めて届けたり、先生たちに公然とパシられる日だった。クラスメイトに声をかけること、お願いすることも多く、今の私にとっては随分苦痛が多かった。
 一日の終わりには日直日誌を書かないといけなかった。だから仕方なく、放課後の教室に残った。

 教室には私の他にいつもの三人組がいた。ノゾミはいなかった。代わりに三人組を取り囲むようにして、派手めな女子がもう三人集まっていた。そんな状況になれば、普段の三人組なら縮こまってきょどきょどと周りを窺うしかできないはずなのに、今日はなんだか楽しげだった。珍しいなと思いながら、私は日誌を埋めていた。

「放課後、毎日残ってたんでしょ!」
 最初に聞こえたのはそんな言葉だった。派手めな三人の、リーダーみたいな女がわざとらしい大声で言った。反射的にペンを動かしている手が止まった。こめかみに汗が滲んでくるのを感じた。ここのところ何度も聞いた類の言葉だったけど、見つかりそうな場所にこっそり置くような今までと違って、今回は勢いよく放り投げるようなやり方だった。

「何にもしないでぼーっと座ったままとか、やば!」
「話しかける隙狙ってたんだって!」
「ストーカーじゃん! こわっ!」
 他の二人も加わり口々に言った。きちんとは聞こえなかったけど、いつもの三人組が小声で言った言葉を、派手めな三人が拡声器になって教室に撒き散らしているようだった。彼女らと私しかいない教室に。私がいる教室に。

 私はまんまと、日誌に集中できなくなっていた。ペンを握る手に力がこもり、固まった体には震えが走っていた。聞きたくないのに、耳はしっかりと教室の片隅に向けられてしまっていた。
「やばすぎ」
「こわすぎ」
 言葉が放り投げられるごとに、私の体はどんどんおかしくなった。鼓動は早く、耳鳴りがした。喉の奥がぐんと詰まって、息ができなくなった。

 そして投げかけられた言葉に、私の世界からふっと、すべての音が逃げた。
「キモ」
 明確な、割れたガラスのような、鋭くてギザギザの悪意だった。たわいもない二文字に込められた悪意が、平気だと思っていた私の心を抉った。

 この場所にいたくなかった。震える手でカバンを掴み、勢いよく席を立った。椅子を蹴り飛ばして教室の出口に向かい、ドアを乱暴に開け、乱暴に閉めた。バン!と大きな音を立てたドアの向こうで笑い声が上がった。間違いなく私を笑っていた。無様かな。無様なんだろうな。ドアを開けてあいつらの顔面を殴りつけてやりたいと思った。家に帰ってヘッドフォンを被り、爆音で音楽を流し込みたいと思った。ぐちゃぐちゃだった。あいつらでも私でもいいから、ぐちゃぐちゃにしてやりたかった。

 今まで受けてきたものは好奇心で、道端で顔面にぶつかってくる虫のかたまりみたいな鬱陶しさはあったけど、危害を加えてくるものではなかった。しかし今受けたのは紛れもない、私に対する攻撃だった。塊で私を笑っていた。反論も弁明も許されないところだけは一緒で、痛さは圧倒的だった。


つづき


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