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そのコメントに体験は伴っていますか?

紅葉の始まった庭の楓をいけた画像(以下)をインスタグラムに上げると、ほぼ1日経って以下のようなコメントをいただいた。

「これでは水が上がらない」

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幹からの枝分かれ枝元は中に浮き、枝先の一部の葉を落として水に浸けています。

件のコメントをくださった方はフォローしてくださっているでもなく、どこからかやってきてコメントのみ残して行かれたようです。プロフィールを拝見するとお茶やお花を教えていらっしゃる目上の方(なのかな)。

「そのコメントに体験は伴っていますか? いつかの教えをご自身で体験したつもりで盲信していませんか?」とよほど返したい思いをぐっと堪えまして以下。

「さて、水が上がらないという指摘を頂きました。私はこれまでも楓は幾度かこの姿でいけており、少なくとも1週間は愉しめます。これを短いと感じるか、充分だと捉えるかは人それぞれでしょうか。ただ水平に伸びた枝を切り出した楓ばかりが流通する現状にあっては、このサイズでかたちで、楓の下り枝の魅力をいかせるのであれば、わたしにとっては提案する意味があると考えています。各々のご判断でお愉しみいただけましたらさいわいです。」

といった具合に、フォロワーさんにコメントを出しました。

批判やご指摘は、もちろん凹みますけれど誠にありがたく。またコメントするのであればフィードを遡ってから、などとも申しません望みません。
しかし遡ってみるほど興味も持てない相手に対して、些か礼を失したコメントのみ残して去っていかれるのはどうした動機なのだろうか、などと思ったりもいたします。それ、無自覚に指先殺人の入り口に立っていますよ、と。

逆にこうしたいけ方を面白がって「やってみた」とご連絡をくださるフォロワーさんもちらほらおいでです。こうして、とある表現方法を皆で検証して手立てとしての有用性を確認できるのであれば、その方が建設的ですし、時代に即したかたちで花をいけることに近づけるのではないだろうかと考えています。

ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。