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舞うイチゴ

こちらのお題に参加しています。


「舞うイチゴ、包み込むクリーム。ストロベリーショートケーキの香りを、深みのあるまろやかな味わいのアッサムにブレンドしました」

昨日会ったその人が「大したものじゃないけど、お土産に」とくれた、可愛らしい紅茶の缶の中のリーフレットには、そんな言葉が並んでいた。
フレーバーティーというものらしいが、紅茶を滅多に飲まない私には正直よく分からなかった。ただ、甘くていい匂いのするティーバッグが詰まった缶は、私には不釣り合いだと感じるほどに「女の子らしい」デザインと色で、飲んでしまうのがもったいないような、分不相応なような、そんな気持ちで開けた缶には手をつけないまま、もう一度蓋をした。

結局いつもの麦茶をコップに入れて、PCの前に戻る。見慣れたランチャーを立ち上げ、いつものゲームにログインすると、大きな杖を背負った私のキャラが表示されて、

『こんばんは!お疲れ様ー!』

いつものように、プリンちゃんが元気に挨拶をしてくれた。
お疲れ様、とチャット欄に返事を入力してエンターキーを押した数秒後、『紅茶、飲んでみた?』と聞かれて返事に詰まる。

『ごめん、まだ飲んでない。なんか勿体なくて』

躊躇った後、正直に言う。と、間髪入れずにメッセージが返ってきた。

『勿体なくないよ、気軽に飲んで?それに、多分そんなに消費期限長くないから、切れたらもっと勿体ないよ?w』

うーーーむ。言われてみれば確かに。

どの角度から見ても可愛らしい、フリルたっぷりの衣装を着たプリンちゃんのキャラクターに、昨日、照れたように紅茶の缶を手渡してくれた男性の、柔らかな笑顔が重なって見えた。

ネットゲームを介して親しくなった人と、現実世界で会ったことは何度かある。だが、プリンちゃんほどギャップの少ない人は初めてだった。もっとも、操作キャラクターと現実の見た目の差はかなりあるので、あくまでも中身……話しての印象、という意味だ。
コテコテに可愛い女子キャラ「きゃらめるぷりん」ちゃんの”中の人”が、筋トレが趣味の男性だということは予め聞いていたので、初めて会うことになった時、私はかなりの覚悟をしていた。だが実際に顔を合わせて話すと、プリンちゃんの「可愛らしい」と感じていた言葉遣いは意外なほど、「優しく気遣いのある」男性の声として違和感なく聞けた。そう、聞けてしまったのだ。
げに恐ろしきは先入観。「可愛い女子」の台詞として読んでいた文字と、「物腰柔らかな男性」の肉声は、純粋な日本語としてはこんなにも同じだったのか――とカルチャーショックを覚えつつも、なんだかんだと楽しくお茶をしたのが前回。ゲームのコラボ限定グッズが発売されたので、それを一緒に買いに行くことになったのが昨日。
ゲームの中では実に1年以上、毎日のように一緒に遊んだりチャットで喋ったりする仲だが、ここ1か月ちょっとの間に2回も会ってしまったために、見慣れているはずの「プリンちゃん」の姿に、やたらと”異性”を意識してしまう。

『消費期限が切れちゃうのは困るなぁ……折角だし、ちゃんと飲むようにするよ』
『念のため言っとくけど、消費期限が切れちゃったらちゃんと捨ててね?w』

ぐぬぬ。見透かされている。
私が普段、消費期限をそんなに気にしない質であることを、プリンちゃんは何故知っているのだろう。
いや、まさか。もしかして。
私がプリンちゃんの「中の人」をむやみに意識し始めてしまっているが故に、消費期限が切れたとしても、貰ったものを捨てられない……なんて事態になり得るとまで、予測されている可能性が――!?

みぞおちがヒヤリとして、私は慌てて麦茶を飲んで息をついた。
まさかまさか、いくらプリンちゃんの察しが良くても、超能力者じゃないんだから。私の意識レベルまで分かるわけがない。落ち着け私。平常心平常心。

『えー、捨てないよ。その時は家宝にして子孫代々引き継がせる』
『気に入って貰えたのは嬉しいけど、リコがお腹壊しちゃったら大変だから』

動揺を隠そうと捻りだした冗談はスルーされたものの、プリンちゃんの発言は単に真っ当なだけで、深い意味はなかったようだ。自意識過剰な早とちりを恥じつつ、私は何かが引っかかって、首を傾げた。

昨日、紅茶をもらったタイミングで、確かにお礼は言ったと思うけれど。「気に入った」とか「嬉しい」とか、プリンちゃんに言ったっけ?

キーボードの隣に持って来てある、紅茶の缶に目を移す。繊細な飾り文字のロゴが刻まれた缶。イチゴのイラストが描かれた、ベージュとピンクゴールドのラベル。こんなに女子力の高い紅茶、私一人では多分絶対に買わないけれど、彼が私のために選んで買ってくれたという事実は素直に嬉しかった。心の底から。
ただ、私はその嬉しさを、きちんと彼に――プリンちゃんに、伝えた記憶がない。

『うんうん、めっちゃ可愛いし良い匂いだし、超気に入ってる!ありがとねー!』

昨日伝え損ねた嬉しさを改めて伝えようとしたのに、なんだか無難すぎる単語しか出てこなかった。自分の語彙力のなさに、ちょっとがっかりしてしまう。

『いえいえだよー!すっごくリコが嬉しそうに受け取ってくれたから、私もほっこりした。えへへ、よかったー!』

え、嘘。マジで!?

プリンちゃんの聞き捨てならないセリフに、思わず椅子から腰を浮かせてしまい、PCデスクに膝をぶつけた。ゴン、という音と痛み。一瞬遅れて首元から、かぁっと血が上ってくるのを意識する。
そんなに私は、嬉しそうだったのか?2回しか会っていない男性に「すっごく」と言われるほど?
無表情なことに定評のある私に限って、まさかそんな。いや、でもプリンちゃんが嘘をつくとは思えないし。

目を閉じて、深呼吸を2回。焦りまくっている自分の感情に、”一般的なアラサー女子の、標準的な反応”という皮を被せることを意識して、言うべき言葉を考える。

『え、私そんなにニヤニヤしてた?恥ずかしーw』

オーケー、私にしては上出来な返しのはずだ。
3度読んでからエンターキーを押し、冷たい麦茶を一口飲んで、プリンちゃんの返事を待つ。大丈夫、私は落ち着いている。膝がまだちょっとジンジンしているが、何も問題はない。

それにしても、プリンちゃんの前で、私はそんなに満面の笑みをしていたのだろうか。そんなことはない……と、思う、のだけれど。
にわかには信じられず、一生懸命記憶を探るが、自分の表情がどうなっていたかなんて思い出せるはずもない。
そもそも、「嬉しそう」なんて他人に言われたのは初めてだ。「もっと嬉しそうな顔をしろ」と言われたことや、自分では結構楽しかったのに「つまらなかった?」と聞かれたことなら星の数ほどあるし、逆にどんなに凹んで泣きそうになっていても、他人にバレたことはなく、せいぜい「体調悪い?」と聞かれるのが関の山なのだが。表情の作り方が下手くそなのか、表情筋が仕事をサボっているのか、多分そういうことなのだと思う。
どうあれ、私が「言っていない」感情を他人に読み取られることなど、これまでの経験上、まずありえないはずだ。なのに何故、プリンちゃんに気付かれた?

『ニヤニヤってことはないけどw あーでも、声かな。嬉しそうな声してた、と思う……もし違ってたらごめんだけど』

プリンちゃんの回答は意外とシンプルだった。
声。なるほど、声か。
それは盲点だった。

『違わないから大丈夫w嬉しかったよ、ありがとー!』

そっか、声かぁ。
ほー、とプリンちゃんの台詞を咀嚼しながら、紅茶の缶を手に取る。
蓋を開けると、甘いイチゴの香りがふわりとこぼれて、自分の口元が少し緩むのが分かった。

私にだって感情はある。ただ、素のままの私では無感情に見えるらしい、と気づいてからは、表現すべき感情を、言葉とテンションで大げさに”盛る”のが、長年私の習慣となっていた。
なのに、”盛っていない”はずの感情に気付かれた。
気付いてもらえた、というのが無性に、くすぐったいような恥ずかしいような、ワクワクするような怖いような、不思議な感じでムズムズする。

折角だし、飲んでみようかな、この紅茶。

どうにも落ち着かないムズムズを誤魔化すように自分に言い訳をして、『ちょっとお湯を沸かしてくるー』とプリンちゃんに告げる。缶を持ったまま台所に戻り、ヤカンのお湯が沸くのを待ちながら、もう一度小さなリーフレットを眺めた。

「舞うイチゴ、包み込むクリーム。ストロベリーショートケーキの香りを、深みのあるまろやかな味わいのアッサムに――」

触るのを躊躇ってしまうほど華奢なテトラパックを取り出すと、やはり甘い香りが広がった。「ミルクティーがおすすめです」とあるので、とりあえず冷蔵庫から牛乳を取り出す。

あ、お礼とかしても良いのかも。

そう思いついたら、落ち着かなかったムズムズが、一気に浮かれた気分になった。
何が良いだろうか。お菓子とかの食べ物、ハンカチや文房具でも良いかもしれないし、お酒なんかもいいかもしれない。
お礼を渡すということは、また彼に会うということだ。もしまた会って話すとなると、私の顔に出ていないはずの、こういう浮かれた感情も、声に乗って彼にバレてしまうのかもしれないけれど。私への贈り物として、こんなに可愛らしいイメージの紅茶を選んでくれた「プリンちゃん」なら、そんな私もさらりと受け止めてくれるような、そんな気がした。

私の感情は、顔じゃなくて声に出るのか。そっかぁ、なるほどなぁ。

人と出会う度、親しくなる度、しつこい肩こりのように重くなり続けていた何かが、マグカップに注いだお湯の中に、すっと溶けていくように感じる。テトラパックを浸しながら、甘いイチゴの香りを吸い込んで、ゆっくりと息をついた。

うん。お礼をしよう。

きっと「お礼なんか要らない」と言われるだろうけれど。用意したから渡したいと言えば、義理堅い彼のことだ、きっと受け取ってくれるだろう。
そうすれば――また会える。

出来上がったイチゴの香りのミルクティーを持って、私はPCデスクの前に戻った。
プリンちゃんの好きなものをどうやって聞き出そうかと考えながら。
多分、見た目は無表情で。でも鼻歌を歌いながら。



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