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第7話 解決したい社会課題                  (その底辺に横たわるものは何か)

 前号にて、「私たちは新たな生き方を生み出し、すべての人の平和、繁栄、幸福を促進するのに役立つことは出来ないものか。 パーパスを共有した関係者に支えられるDAO(分散型自律組織)が広がることにより、人々が相互に協力助けあう関係性を築くことができ、いずれ国境という概念すら邪魔になるのではないか」と触れました。そして、「人々が豊かな心で暮らせる世界を創ることができることを期待して止まない」旨発言いたしました。

その想いに至ったのは、様々な要因が混在しています。
まず私の心が最も揺さぶられ憤りと悲しみを感じるのは、実親による幼児虐待です。一切受け入れられるものではありません。親の存在しか自分の世界に居ないであろう幼児が、自分の唯一の拠り所である親から虐待を受けることなど、想像しただけでも居たたまれなく、その子たちがどのような気持ちで耐えていたのか、他界しても心の傷は消えないのではないだろうかと、心の底から悲しくなります。

厚労省「統計資料」児童相談所での相談数は57万件(R3)

虐待する人間の背景は様々あるでしょう。その因果はもしかすると前世から来ているのかもしれませんし、自分たちが子供の頃に受けた心の歪みや、実社会のストレスなどから、そのはけ口を非力な子供に向けたのかもしれません。私たちの社会は、加害者が自分の虐待行動を客観視できるぐらいの心のゆとりすら育める社会になっていないのでしょうか。そのような地域社会が残虐な加害者の周りになかったということなのでしょうか。なぜ、加害者は、自分の子供を虐待し続けるほど追い込まれているのでしょうか。思想主義(民主、共産、社会)を問わず起きている虐待の事実は、格差のある現代社会に病巣があるということでしょう。

別の視点は、自殺者が絶えない事です。日本は2万1千人(厚労省)、世界では80万人(https://ourworldindata.org/suicide)近い人が命を絶っています。自ら死を選ばなければならない程、その人にとって世の中は絶望的なのでしょうか。やり直しを許さない環境、逃げ場のない社会、苦悩している人々を視界に入れない地域や人間付き合い。こうした実態が浮かび上がってきます。 家族、教育者、地域社会にもう少し包容力があれば、救うことができるのかもしれません。 

また、上記とも関連しますが、障害を負ってしまったがために、自己の尊厳、存在価値を持てず、家族の負担となっていることに苦悩しながら生活している人も多く存在します。日本では近年身体障害や精神障害に認定される数が増加しています。2018年時点で障害者数は約937万人にのぼります(内閣府「障害者白書」)。 脚を切断し義肢が必要であるにも関わらず、義肢をつけるという選択肢も与えられない人や経済的に義肢を購入できない人は世界で4000万人(WHO)もいます。 治療費の補助の公平性の観点から手が付けられていないというよりも、マイノリティの声として放置されてきたというのが実態ではないでしょうか。 歩道や建物のグランドデザインを見ても、つい近年までバリアフリーなど一般化されていなかったわけです。 

精神障害については、今後更に増加することが懸念されています。それは、
独居世帯(国内、約2200万人。内65歳以上が約630万人)の増加や、デジタル化やコロナ禍による人間同士の接触不足などに帰因していると言われています。AI技術の進化により益々人は人とのコミュニケーションが取れなくなる恐れがあります。

上述のような現状を踏まえると、現代は人々が心豊かに人生を送ることが出来る世界から遠のいている気がしてなりません。課題として我々の目に映っている現状に通底するものは何なのでしょうか。ホモサピエンスが生き残って来たDNAがもたらす必然なのでしょうか。知識を得た人間として共存できる知恵と工夫を広げていくことは出来ないのでしょうか。

痛ましい事象や悲劇が繰り返されない世の中に変革できる可能性は必ずあるはずです。 それがパーパスモデルに基づくDAO的なコミュニティなのかは定かではありませんが、可能性を追求する価値はあります。 人間の思考は一朝一夕には変わらないことから行動変容に至るまでは相当の年月を要することでしょうが、対処療法ではなく本質的な取り組みの必要性が、現代社会の我々に突き付けられているのだと強く感じています。


前号 
https://note.com/wataridori_btc/n/n437e0c39587c

次号:「思考の源となる教育」を近日中に掲載します。


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