#34 罪と罰

いよいよオリンピックが始まる。が、やはり一筋縄でいかなくなってしまった。本来は収束に向かっている問題を、再燃させるのは趣味では無いが、ここ数日ずっとモヤモヤとしていたので、改めて整理しておきたい。小山田圭吾氏のいじめ告白問題である。

問題自体は多くの人が知っていると思うので、割愛する。デジタルタトゥーという言葉ができて久しいが、デジタルでない時代の失態まで残り続けるとは恐ろしい時代になった。

さて、僕が考えていたのは最終的に辞任に追い込まれた小山田氏だが、どこかで挽回するチャンスはあったかという点だ。過ちは誰でも起こすものだし、僕だって自分で気付かぬいじめをしてきたかもしれない。急に過去を訴えられた際に何ができるだろうか?

ポイントとなるのは罪の重さと罰を既に受けたかどうか、という二つだろうか。

個人的には昔のことだから許してやれよ、と当初は思っていたが、世論の流れとしてはそれにしても酷い内容であるから許すべきではないという論調だった。これが上履きを隠すレベルであればどうだったろうか?

昨今の芸能人の不祥事からの復帰を見ていると、まずは法を犯していればその裁きを受け、次いで活動自粛という禊によって罪を許されるという流れができつつある。重い案件であれば長めの自粛をといった塩梅だが、その量刑は世論に委ねられているのが現状だ。小山田氏も過去の告白から今までの間に少しでも禊を済ませていたら擁護派が増えたのかもしれない。特に、過去にネットで炎上した時がそのチャンスだったのかもしれない。

今後、世の中が悪くなるとすると、少しずつの悪事がスタックされ、未来の可能性が削られる世の中になることだろう。どこかで、それをチャラにする仕組みが欲しい。そしてその程度を測る尺度としてSNSの民意という以外の別のものを開発するべきだろう。

(2021/7/21)

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