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大学おもひで小説|夏の夜の夢

とある夏の夜、友人から連絡があった。

「ルームメイトが働いてるバーに行くんだけど、一緒に行かない?」

当時、英語の勉強中だった私は、国際文化センターなるところで、その友人と知り合った。館内には掲示板があって、「友達募集」「先生・生徒募集」などの張り紙が何枚も押しピンで留められていた。英語、フランス語、中国語、韓国語、いろんな言語で、なんでもござれだった。

私は小さな用紙いっぱいに、ヘタクソな英語とヘタクソな字で、好きな音楽について書き綴った。いま思うとずいぶん偏った自己紹介だったと思うけど、その張り紙を見て、未来の友人は私にメールをくれた。

アメリカから来た同年代の男の子で、この街で暮らして一年ほど経つのだそうだ。ちなみにはじめから断っておくけど、同年代の男の子が登場するからといって、これは恋愛の物語ではない。

何度かのランゲージ・エクスチェンジを経て、私と彼は仲良くなった。以下、友人の名前をQとしよう。

その頃Qは、彼の友人が住んでいる一軒家の、二階の押し入れを間借りして住んでいた。押し入れの二段目には狭いスペースながらもきっちりと布団が敷かれ、電気スタンドまで設置されていた。まるでドラえもんのようだと、Qは自分でも笑っていた。

Qの家にはよく遊びに行った。当時、彼の家では、ほとんど日夜パーティーが行われていた。と言っても、言葉の響きから想像するような、騒々しいものではなく、大人がなんとなく集まって、畳敷きの部屋のあちこちに座り、缶ビールを片手に語らうような、静かな集まりだった。

Qの家はゲストハウスとして旅行客に間貸しされることもあり、宿泊者がパーティーに混ざっていることもよくあった。Qは顔が広く、本来の家主の仲間や、その他なんだかよくわからない関係の人たちが集められ、家の中はいつもたくさんの人で賑わっていた。

私はパーティーに誘われるたびに自転車を飛ばした。ある夜には誰かがギターを弾いたり、ある夜には誰かが歌ったり、ある夜には誰かが詩を読んだり、なんだか毎日が新鮮で、楽しかった。

私はみるみる勢いで英語が上達していった。顔なじみの人もいくらかでき、冬が過ぎ去って、夏が来た。

そうしてとある夏の夜、「ルームメイトが働いてるバーに行くんだけど、一緒に行かない?」のメッセージが、私のもとへと届いたのだ。もちろん、行く行く。即答して、私はまた自転車を走らせた。

夏になると、Qの家には新たなメンバーが増えていた。メッセージにある「ルームメイト」とはその人のことだ。私よりもいくつか年下の男の子で、近くにある大学の学生らしい。二階の空き部屋を借りているらしいけど、パーティーに参加しても彼を見かけることはほとんどなく、あまり家にも帰ってこないらしかった。

私は自転車をQの家の外に停めた。近くの自転車屋さんで買った、9千円くらいの青いママチャリは、連日の爆走ですっかりガタがきはじめていた。走るたび、スタンドがガコンガコンと不穏な音をたてていた。

その日、家の中にはQと本日のメンバーが数名あつまっていた。ルームメイトの大学生はそこにはいなかった。

話を聞いていると、どうやらQの思いつきで、突然、そのバーへ行くことに決めたようだった。ルームメイトにはなかなか連絡がつかず、バイト先の場所もよくわからないらしい。Qは「とりあえず向かってみよう」と言い出した。

Qが言うには、そのバーは大学の中にあるらしい。言っていることがよくわからない。言語のせいなのか、内容のせいなのか。そんなことありえるのか。働いてるってどういうことだ。でもあの大学なら、ありえるのかもしれない。Qのルームメイトが通っているのは、日本でもトップレベルの大学だった。

そこは変人の巣窟としても有名な大学で、キャンパスの周りには手書きの看板が連なっている。景観を乱すだとか、行政的にはそんな意見もあるようだけど、地域に暮らす者としては、この看板の異彩さも含めてこの大学であり、この地域の景色だと感じてしまう。

景観整備ってなんだろう。何もかも取っ払うこと?均質化してしまうこと?この大学の魅力はどこにあるんだろう。

Qの先導に従って、私たちは大学の方へと向かって行った。そういえば、こんなに近くに住んでいるのに、キャンパスには一度も足を踏み入れたことがない。バーがあるなんて、どういうことだ。規則とかはないのだろうか。さすが、かしこい大学はやることが違うなぁ。

夜もふけて10時頃になり、キャンパス周辺の大通りでは、車の往来もほとんどなくなっていた。私は帰りが遅くなるのを気にして、青い自転車を押して歩いた。闇夜の中、自転車の車体には安っぽいラメが輝いていて、いつもだとこれが野暮ったくて仕方がないのだが、今日はなぜだか悪くないと思った。

大学にはいくつも校舎があるらしく、その中から「バー」を見つけるのは不可能に思えた。Qが何を言っているのやらいまひとつわからぬまま、私たちが連れて来られたのは、白い校舎と大きなテニスコートに面した校門で、フェンスの周りにはいくつもの自転車が停められていた。

夜のキャンパスに入るのは初めてだった。学校がまだ起きている。校舎のいくつかの部屋にはまだ灯りが点いていた。研究でもしてるんだろうか。こんな時間になっても、大学はまだ呼吸をしていた。

私がフェンスのあたりに自転車を止めていると、Qは「たぶんここかもしれない」と言って、古いボックスが並んでいる物陰の方へと進んでいった。この勇気はどこから来るのだろう。

彼は通りすがりの学生に声をかけ、バーの名前を告げた。

「たぶん、あそこかもしれないです」

学生が指さしたのは、立ち並ぶボックスの一番奥の小屋だった。私たちはお礼を言って、テニスコートとボックスの狭間の細い道を並んで歩いた。ざくざく、ざりざり、舗装されていない道の小石が音を立てた。

一見すると何もないボックスには、教えてもらった店名も書かれていない。そもそもこれがバーって、どういうことだ。

私たちの中の一人が、ついに勇気を持って、真っ黒なドアを開いた。

そこは、紛れもない、「バー」だった。

内壁はペンキで真っ赤に塗られ、薄暗い店内はオレンジ色の間接照明で照らされていた。奥にはバーカウンターがあって、中央には立派な革張りのソファーが置かれていた。さらに店内を見渡すと、入口の脇にはアップライトピアノがあった。一体どうやって。この店の謎は増すばかりだった。

私たちは未知との遭遇にたいそう喜び、またこの店も私たちを歓迎してくれた。そもそも、店と呼んでいいのかもわからないけど。

ボックスの中は意外なほど広かった。カウンターには、例のルームメイトが立っていた。確かに、「バーで働いている」。

私は彼に少しだけ挨拶をして、ドリンクをオーダーした。200円。安い。

この場所が、儲けのために存在しているのではないのだと、すぐにわかった。この空間は、この空間を楽しむためだけに存在するのだ。私たちはみんな、夜の共犯者だった。

何人かと話したあと、私は気持ちよくなって、ピアノの前に座った。特別なにかが弾けるわけではないのだけど、この雰囲気の中に混ざりたくなったのだ。頭に浮かんだ曲を少しだけ弾いて、赤く光るその空間に、音が溶け込んでいくのを感じていた。

◇◆

あれから数年経って、私たちはパーティーをすることもなくなった。いつもの顔ぶれの何人かは自分の国へと帰り、Qは例の家を出て独立した。

私の青い自転車は、ほどなくして故障した。まるで役目を終えたようだった。

あの自転車はもう捨ててしまったけど、夏の夜、街に反射するネオンを見ると、私は今でもあのときのことを思い出す。

安っぽいラメのかかった青色や、
照明のオレンジ色、
あやしくひかるペンキの赤色や、
仲間と連れ立って歩いた夜の道のことを。

まるで、夏の夜の夢だった。

もう返ってこない、青春映画みたいな、人生に少しだけある夢の期間。シャッターを切ったままにしておきたい、長い人生で見れば、一瞬のできごと。

願わくは、あの場所が今も存在していますように――。

おんぼろのボックスに愛をこめて、この物語を贈る。

◇◆

【あとがき】
このお話は実体験を元にした
フィクションです。
昨晩、NHKで放送されたドラマ
「ワンダーウォール」を観て書きました。
内容的には関係ないありませんが、
舞台のエリアが似ています。
ドラマは京都大学の
古い学生寮についての話で、
胸がぎゅーっとなる
素晴らしい作品でした。

はじめての方も、いつもの方も、
読んでくださって
ありがとうございました (*^–^*)

◇綿生しあの◇ @wataseshiano

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞