watashi flamenca

2004年に始めたフラメンコ。そのフラメンコが魅せる、自分の中にあるものを見つめ表現す…

watashi flamenca

2004年に始めたフラメンコ。そのフラメンコが魅せる、自分の中にあるものを見つめ表現することから、”自分を生きる”強さを伝えたいと思っています。まだまだ誰かの心を強く動かせるほどのフラメンコ技術は備えていませんが、「私もそうだよ」と気持ちに寄り添えられたらと思っています。

最近の記事

直腸癌と診断されて ー恐怖には知識をー

近くのクリニックで受診した2日後、職場でもある大学病院の外科を受診した。 癌と診断されて、怖くて全く癌の情報も検索できずその日を迎えた。ただただ怖くて、一緒に診察を聞いてくれた友人に涙を流して「怖い」としか言えなかった。 初めて見る30代後半風の男性医師は、淡々と私の状態と病態について説明してくださった。医師が手書きで書いた大腸の絵の一部を指差しながら、「ここに癌があります。」そう言いながら、手術の話になった。 腹腔鏡下直腸切除術 これが私が受ける手術。 全身麻酔を

    • 直腸癌と診断されて ー願いも虚しくー

      近くのクリニックで大腸内視鏡検査を受ける日、いつものように車で向かった。検査が終われば保育園と児童クラブへ3人の子どもたちを迎えに行き、そのまま柔道の稽古に連れて行かないといけなかったから。 検査では、鎮静剤を使うことを勧められたが、車の運転を控えていたため、鎮静剤なしで検査してもらうことにした。 初めての検査は、痛かった。 お腹の中を自分のものではないものがグルグルと移動している。よくSF映画で見るような、宇宙人が体内で暴れる感じってこうなのかと考える余裕があったのも

      • 直腸癌と診断されて ー直感のままにー

        大腸内視鏡検査を受ける1週間前、生理周期を登録しているアプリを見てみると検査日がちょうど生理開始予定日だった。1日くらい予定がずれることはあるので検査と生理が重ならなようにと祈りながらそれから1週間を過ごした。 検査日当日、(といっても深夜3時)、下腹部が重い感じがして、生理が始まったことに気づいた。 はぁ~っとため息が出る。 このまま検査を受けようか、別日に予約し直そうか悩みながら朝を迎え、それほど出血もなかったので、8時になって下剤を飲む準備をした。そこで気づいたの

        • 直腸癌と診断されて ー受診のきっかけー

          私がクリニックで大腸検査を受けるきっかけになったのが、便をしてトイレットペーパーで拭いたときに血がついていたことだった。生理でもないのに、なぜ?といつもはそのまま流していたが、その時は気になってトイレの中を見てみた。 便に小さな血の塊がいくつか埋まっている。 お腹が痛いわけでもない。 何だろう? 健康だけが取り柄の私だっただけに、この血便はちょっとしたショックだった。 けれど、それ以外に体調が悪いわけでもない。 大したことはないんじゃないか?と勝手に思いながらも、

        直腸癌と診断されて ー恐怖には知識をー

          直腸癌と診断されて ー癌と診断された時ー

          2024年3月1日(金) 9:00 病院入院受付をしていた。 それは、近所のクリニックで大腸の内視鏡検査を受け、癌が見つかったから。 すぐに大学病院に紹介してもらい、大学病院消化管・内分泌外科を受診。癌だと改めて診断を受けた。その日のうちに採血、造影剤を使ったCT撮影、X線撮影、内科受診、歯科検査を受けて入院が決まった。 直腸癌 これが私に診断された病名だった。 近所のクリニックで「癌」だと診断された時、死を間近に感じて怖かった。涙が止まらなかった。子どもたちの成長

          直腸癌と診断されて ー癌と診断された時ー

          誰かの言葉に傷ついても

          少し前の我が家の就寝前のお布団の中、いつものように子どもたちに「大好きだよ」と伝えていると、6歳の娘が私にこう言いました。 お母さんは可愛いよね。 でもね、私はブサイクなの。私がブサイクなのは分かってるよ。 その言葉に、一瞬、何が起こったのかわからないくらいの大きなショックを感じました。 どうしてこの子はこんなことを思うのだろうか。 自分のことを「ブサイク」だと本当に思っているのだろうか。 私の可愛い娘の心が傷ついている。 こんなに可愛い娘なのに。 私の中でいろんな気

          誰かの言葉に傷ついても

          夜空の星を見て想う

          父が亡くなって1ヶ月が経ちました。 あれから、葬儀や子どもたちの運動会、子どもたちの柔道大会、フラメンコ教室の発表会が続き、まだまだ祝日や休日は柔道大会やイベントでスケジュールが埋まっています。 そのバタバタとした時間の流れの中でも、父と母を思い出すふとした瞬間は、大きな寂しさに覆われます。どれだけ両親に支えてもらっていたかを実感すると同時に、私の時間も限りがあるということがより濃く感じられるようになりました。 現在私は、地元の大学で事務員として働いています。同僚に支え

          夜空の星を見て想う

          父のこと⑦

          病院付き添いの合間に、兄と交代して自宅へ戻り、子どもたちのお迎え、お風呂、食事の準備をしてまた病院へ着くと、私のバッグの中に長男からの手紙があるのを見つけた。 私が職場で子どもたちの落書き用にもらう、会期の過ぎた学会チラシが5枚。 黒の油性ペンで元気な字が並んでいる。 おそらく、私がお風呂に入っている合間に書かれたもの。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - じいじへ いつもお野菜を育ててくれてあ

          父のこと⑥

          夜中に病院の看護師さんから連絡がありました。 父の息苦しさが増すごとに増やしている酸素がついに100%になったとのことでした。 それから兄妹に連絡をして、私は病院へ向かいました。 私が今の父の症状を和らげるためにできることはないけれど、そばにいることしかできないけれど、でも父を独りにはしておけませんでした。 急性大動脈解離で急逝した母とは違い、まだ意識のある父のそばにいたかったんです。 父の病室に着くと、父は「病院から連絡があったのか?」と聞いてきました。私は「心配だか

          父のこと⑤

          先日、兄と父の面会に行ってきました。 前日に看護師さんから必要なものの連絡があったので、私は部屋に入ってすぐに持ってきたものを置いたり、持って帰る着替えを整えたりしていると、目を覚ました父が兄に「美智子は?」ときいてきました。 私は、「ここにいるよ。」とマスクを外して父の顔の前に移動しました。 それまで、両親は私よりも兄や妹のことを気にかけたり心配しているのだと思っていました。 兄や妹は私と比べて不器用で、放っておけないところがあるので、いつも両親の気持ちは兄や妹にあるのだ

          父のこと④

          父はよくふざける人だった。 兄がカマキリを大嫌いになったのも、父が兄の服の中にカマキリを入れたから。 孫たちが大好きなカボチャコロッケを夕食で食べている時、父があっちの方向を指差しながら「あっ」と言って孫たちの視線を逸らし、一方でお皿のコロッケをさらっていくということもよくしていた。 窓にくっついたカエルのおへそをガラス越しに描いた。 じじがお薬を飲む姿をじっと見つめる孫たちの視線を「テレビでウルトラマンが始まるな~」と言って逸らし、孫たちがテレビを向いた瞬間にパッと薬を飲ん

          父のこと③

          父は泣かない人だった。 仕事で怪我をしたときも、私と妹の結婚式で一緒にバージンロードを歩いたときも、両親が亡くなったときも、父が涙を見せることはなかった。 「悲しみ」を感じない人なのかな?と思ってしまうほどだった。 昨年5月のある雨の日、母が急逝。急性大動脈解離だった。 実家から車で1時間ほど離れたところに住んでいる私が、母が倒れたとの連絡が入り病院に到着してから、私が何度も「お母さん」と叫んでいる隣で、父は母の名前を、苦しそうに、呼んでいた。 そして、その時が訪れ

          父のこと②

          父は、高校を卒業して米農家である家業は継がず、養豚業を営んでいた。その後、世間でいうバブル時代中頃から土木建設業に携わり、ガンや間質性肺炎で体調が悪くなってリタイアするまで、仕事が好きでよく働く人だった。 父は、若い頃からよ活動的な人だった。20代の頃は、北海道で1ヶ月半ほど地元農家さんのお仕事を手伝っていたり、消防団の楽団でラッパを吹いて全国を演奏して回ったり、最近知った話ではエレキギターも独学で学びバンドも組んでいたらしい。 旅行もよく行っていた。 社員旅行で、国内は

          父のこと①

          先日、74歳の父が余命1ヶ月と医師に告げられた。 父は3年半ほど前から難病と肺がんと戦っている。 父は弱音を吐かない人だった。いつも冗談でごまかして、周りに心配をかけないように、というより、自分が痛がったり苦しんだりする姿を見せるのが恥ずかしいと思っていたように思う。 私はなんだかんだ思うところはあるけれど、父が好きだった。 小学生の頃、地域のスポーツ少年団に所属して、毎日バレーボールの厳しい練習を耐えてきた。あの頃は、罵られたり、叩かれたりすることはよくあって、でも

          小さな、ちいさな、私の心地いい一瞬

          あの人の「元気?」って言葉だけで、心がほころぶ。 元気じゃなかったけど、「元気です」と言いたい、けど、素直に元気じゃないとも言いたい、けど「元気」だと言わないと変に思われるかな。 なんて考えてる時間もゆっくり流れてる。 素直に自分の気持ちに向き合える心地いい時間を感じながら、電話を繋いだ。 今日もいい日だ。 #心地いい時間 #電話口 #今日もいい日

          小さな、ちいさな、私の心地いい一瞬

          微分・積分を解く意味

          私が進学先の高校を決めたのは、中学の同級生が誰も行かないから、という理由だった。 中学の頃のいい思い出はなかったから。 そんな想いで選んだ進学した先で、当然学ぶ目的も理由もなく過ごしていた私を、担任の先生はいつも心配そうに接していてくれていた。高校も休みがちになっていた私を下宿先まで様子を見に来てくれたり、私がそんな担任を疎ましく思っていたのに気づいていたのか、自分ではない他の先生と話をする機会を何度も作ってくれたりして、私が高校にいる時間を少しでも多く創ろうとしてくれて

          微分・積分を解く意味