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【時々、キョクチョー日記④】

朝の街宣活動をしていると、だんだん挨拶を交わす特定の人というのが現れてきた。
グレーのスエード生地のコートがベージュの軽やかなものに変わったあの人も、目が合ったら先に挨拶をしてくれるから嬉しい。
誰も知らない中で始めたけれど、未だに名前もわからないけれど、得体の知れない安心感がそこにはあります。

「おはようございます」の挨拶をしていると、小学生の頃の通学路を思い出す。
大阪から美咲町へ転校した時、行き帰りで必ず地域の人が「行ってらっしゃい」と「おかえり」の声をかけられてびっくりしたこと。”ノーヘル”で自転車に乗っていたら必ず怒られていたこと。

高校生の頃や大人になってから、面倒くさいと感じることもあったけど、なんだかんだで今でも顔を合わせたら挨拶したり、facebookしてる人なんかは、勝手に両親へ私の近況報告をしてくれている。母親は他人から聞く私の話が嬉しいらしい。(笑)

大人になって実家で過ごしていた私は、地縁が煩わしくて「NEO集落」なんて言葉を使って友達を地元に引っ張り込んで遊んでいたけど、振り返ってみれば地域の人も自分が思っているより寛容だった。それは日頃から両親が地域のことを熱心にやっていたからだと思うけど。私にそれが出来ていたかというと、少し誠実さに欠けていたのではと反省する部分もある。まあ、それでも実家へ帰ったら何だかんだで出迎えてくれる人たちなのでありがたい。

岡山のマチナカは、自分の知らない顔で溢れているけど、見知った顔を見つけるとやっぱり嬉しい。それが名前を知らない関係性だとしても。アウェイな場所でもホームになる瞬間が必ずあるもんなんですね。

こないだのマチナカギカイで「ツケのきくことが福祉だ」と森山さんは呟いていたけど、最後はマチの誰かが救ってくれるって、それはなかなか最強の福祉だなあと思いました。学校でも家庭でも会社でもない、自分の存在を許容してくれる場所。信用担保。

森山さんは最近の街宣で、子供の虐待や自殺のニュース、岡山市の小学生の不登校が激増してることをよく取り上げています。どこかに居場所があれば変わってくるんですかね、その事実。でも今って子供が一人でいることも許されないような時代ですよね。だから地域の大人の目、見守りが必要なんだろうなあ。子供が自由に過ごせるマチづくり。

とはいえ、私は大したこともできないので、このマチでおおらかに、自分らしさを表して、楽しく暮らす挑戦を続けていこうと思うのでした。

朝の街宣活動、平日は毎日続けています。柳川の交差点やクレド前、7:45〜8:30くらいまで。
もしよければ一度は聴きに来てみてくださいね!

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。