報・連・相(ほうれんそう)に悩まないために整理してフローチャートをつくった
この文章はなにか
将来の自分が報・連・相(ほうれんそう)について悩んだ時に取るべき行動をかんたんに選べるようにする文章。
自分のほうれんそうに関する思考が詰め込まれているのに加え、その時の自分の取るべき行動がわかるフローチャートがある。
できたフローチャートはこれ。以下の文章はここに至るまでの整理。
※自分向けに特化しているので、自分以外の人はそのままでは適用できないかもしれない(とくに行動の判断基準)
なぜ書いたのか
ちょくちょく「どうほうれんそうしようか」と悩むが、辿る思考や判断基準はだいたい似通っているので、毎回イチから悩むのは時間の無駄であると感じたため。
現時点の自分の思考や判断が将来に渡ってもある程度信頼できるという前提で、思考の記述や判断テンプレート的なものがあると役立つのではないかと考えた。
ほうれんそうとはなにか
報・連・相 - Wikipediaによるとほうれんそうの定義は以下の通り。
・報告
部下が上司の指示に取り組みつつ、途中経過を報告すること。
・連絡
自分の意見や憶測を含めない関係者への状況報告。
・相談
自分だけで業務上の判断が困難なとき、上司に意見をきくこと。
要するに組織内の情報伝達だが、パッと見でもいろいろと問題があってそのままは使えそうにない。(部下→上司の一方通行だけじゃないはず、とか)
自分なりにほうれんそうのパターンをわけると以下の3通りになる。
・自分の意見や憶測を含めずに伝える
例:Aキャンペーンの途中経過は100万円です。
・自分の意見や憶測を含めて伝える
例:Aキャンペーンの途中経過は100万円です。期間を延長すべきだと考えます。
・自分の意見や憶測での判断に自信がないので他者に意見を求める
例:Aキャンペーンの途中経過は100万円です。期間を延長していい気もしますが、他にやるべき案件があればそちらを優先してもよさそうです。どうしましょうか?
報告・連絡・相談のそれぞれの言葉の定義についてはどうでもいいし、その3つの単語にこだわる必要はないのでもはや捨てている。
ほうれんそうの目的
ほうれんそうの目的は組織としての意思決定の最適化であり、その意思決定のための情報整理の手段としてほうれんそうがあると考える。
最善はほうれんそう自体がそもそも必要ないくらいに情報と意思と行動が組織全体で一貫していることなのだろう。
ただ実際には無理なので、
・あまり時間はかけず
・ある程度精度は出て
・あとから双方にとって「早く言ってよ〜」という事態を起こさないようにする
ために求められるものと理解している。
目的は組織の意思決定の最適化なので、自分だけで情報を抱え込むことにメリットは基本的にない。
他者に情報を伝えることで他者の行動を最適化出来たり、他者から適切な情報を得られたりというメリットが優勢になるので、ほうれんそうは当然「ちゃんとやろう」という方向に偏っていくはずだ。
ただ、最適化という言葉はかなりあいまいで行動指標としては使いにくい。
計測可能な指標を置き、その「最大化」もしくは「最小化」を目指さないと継続的な改善は難しい。
個人的には、「組織内での"言ってほしかった/聞いておけばよかった"数の最小化」 を目指すのが望ましいと思う。
※参考
ほうれんそうすべきタイミングはどんなときか
ここまでほうれんそうの目的は組織としての意思決定の最適化であり、「組織内での"言ってほしかった/聞いておけばよかった"数の最小化」 を目指すのが望ましいと書いてきた。
そこから考えるとほうれんそうすべきタイミングとは、
■言ってほしそうな情報(=相手が主体)があるとき
・相手からの指示に基づく結果が出たとき
・相手が気にしていそうな分野の情報を得たとき
・伝えると感謝されそうな情報を得たとき
等々……
■聞いておきたいこと(=自分が主体)があるとき
・自分の判断が適切かの確認をしたいとき
・自分の持っていない情報を得たいとき
・相手の意向を確認したいとき
等々…
であると言える。
なぜほうれんそうは難しいのか
ただ、目的やほうれんそうすべきタイミングがわかっていても、ほうれんそうは以下のような思考によって難しくなる。
■ 相手にとって時間の無駄では?
- いま忙しそうだから後にしたほうがいいかもしれない
- もうちょっと調べてから話しかけようかな
- 「そんなこといちいち言ってくるなよ」とか嫌がられないかなという怖がり
■ 伝えるのがたいへん
- 単純に文字に起こしてソースをつけて、とする工数
- 相手に伝わるような表現に翻訳する作業
- 翻訳した時点で解釈が多分に含まれてしまう
- いいと思う、悪いと思う、ならある程度簡単
- なぜいいと思う、その根拠は、それを理解できる形で、とブレークダウンしていくとどんどん表現が複雑に、長くなっていく
- 膨れ上がる解説を初手どこまで出すか
- どこまで補足するか
- 簡素・抽象化しすぎてどんどん質疑の往復が続くとロスも大きい
- 部署をまたぐなどコンテキストが違うとより気を使う
■ 決裁者に相談が最適解とは限らない
- 決定の権限を持っている人と最適な選択をできる人は違う場合がある
- 伝える情報が不足していたり前提が違っていると食い違いが発生する
- その問題にもっとも注力して考えてきた人に相談すべき
- エンジニアリングの問題ならエンジニアに聞こうというような話
- そこで得た情報を整理してから決裁権を持つ人に向かったほうがいい場合もある
- でもそれってだれ?
■ コミュニケーションハードル
- 唐突に話しかけるの気合がいるな
- でも他に話すタイミングないしな→無限ループ
- メンバー数巨大なチャンネルだと多くの人に見られるの腰が引けるな
- ちゃんと自分は文脈踏まえたふるまいができているのかな
- 逆に「仲の良い人にまず聞こう」→「適切な情報が得られない」というミスも
ほうれんそうフローチャート
上記の懸念をふまえてつくったフローチャートがこちら。(最初に出したものと同じ)
見ての通り、「いいからやれ」って感じだったりする。
でも、そもそも将来の自分を「どうしようかな」と無駄に立ち止まらせないためのものだから別にいいんだ……。
あまり自分の中に抱え込みすぎず、それがひとのためになるとか、チームのためになるとかに目を向けてエイッと気合を出し、逆に他の人がほうれんそうしやすい環境をつくったりするほうにも気を配れるといいですね。 > 未来の自分
娯楽のために使います