庭

祖父と養子縁組して名字と山を継いだ話

四年前に母方の祖父と養子縁組をした。先祖代々の名字と土地を継ぐためである。(こう書くと”お家のために”的なニュアンスが出るが、これまで育ってきた中でも、今でも、別段自身の生き方に制限をかけられるような経験はしていない)

発端は3,4年前だったか、母から冗談めかした、しかし本心でもあることがわかる口ぶりで「祖父がどう跡を継ごうか悩んでいる」「あなたが継いだりしてくれたらいいけどね」と祖父の家から帰る車中で言ってきたことだった。
僕は「面倒がなければ別に構わないけどね」と返した気がする。

それは第一に面白いなと思ったからで、第二にその土地が好きだったからで、第三に孝行のためだ。

あとを継ぐためにわざわざ養子縁組すること、それで名字が変わること、そして祖父が義父になり母が義姉になることが冗談みたいで可笑しいなと感じた。
自分の人生に面白いことが起きるのも悪くないなと思った。

また、継ぐことになる土地の空気も好きだった。

河原

ワラビなどの山菜が採れたり、小川にサワガニがいたり、畑をイノシシに荒らされたり、池にホタルが飛んだり、庭の木にツキノワグマが爪を研いだ跡があったり、そういった自然の豊かな風景が幼い頃から好きだった。

それを守れるかは別として、その行く先について見て見ぬ振りをするよりは、いくばくかでも保つほうに身を置くほうが心穏やかだと思った。

そして、それまで言い出しはしなかったもののおそらくずっと跡継ぎ問題について懸念していた祖父や、祖父が懸念していることを懸念している母に対する孝行になるならいいかとも思った。

別に僕は孝行心が深いほうではないけれど、上述の二つの理由もあったので、そのついでに孝行が生まれるのなら儲けものだと思ったのだ。
親孝行プレイという考え方をみうらじゅんが提唱しているが、そんな感覚だ。

実際には跡を継ぐだけであれば養子縁組までする必要はないし、そもそも候補を男性だけに絞る必要もないと思うのだけど(母などに継がなかったのはおそらく女性だったり別の家に嫁いでいるという理由のためだ)、そこは祖父の感覚からの希望だったのだと思う。
その感覚は僕にはないし変な話だなとは思ったけれど。

跡を継ぐにあたっては、知っておきたいことは知っておこうと思い多少行動した。

・山のどこにどんな山菜が生えるのか
わかりやすい道があるわけではないので、耳で聞くだけではわからない。祖父が突然脇道に逸れて登り始めた急斜面の中腹がポイントだったりした。どこかにはマツタケが生えているらしいが「四十年前はよく採った」とかで参考にはならなかった。

・どこまでが継ぐ土地なのか
地図を見ても実際の山では大して役に立たないので「あの一番背の高い杉のあたり」といった説明を受けた。難しい。

・結局なにを継いでほしいのか
最も重要なものは山にある先祖の墓だった。山を少し登ったところにある墓地は苔むしていて趣がある。

墓

・継ぐものにはどういった系譜があるのか
かなり眉唾だが、当家は源頼朝の幹部の系譜らしく、僕で四十一代目とのことだった。笑い話の域だが、調べ物が趣味だった祖父なりに跡は辿ったようだ。
個人的には血筋以上に祖父が編纂した土地の歴史の話のほうが具体的で生活の臭いが濃くて興味深かった。


そうして僕は養子縁組をした。
それにあたって面倒事を積極的に受け入れる気力はなかったので、事前に権利関係など今後の整理をした。(生活の拠点は継ぐ土地とは別のところに置いたままだという合意など)

養子縁組の話を前後して僕は結婚をしたが、妻もまた名字に頓着がない人間だったのが幸いだった。

ただ養子縁組の話自体は結婚前に上がっていたものの、時期がずれ込んでしまったため、結果的にはまず結婚をして僕の旧姓に妻も揃え、その半年後にさらに二人合わせて改姓することになった。妻は短期間に二回名字を変えたかたちだ。
妻は「名字はどうでもいいが、各種手続きや説明がひたすらに面倒だった」と言っていた。申し訳ないことをした。
夫婦別姓制度が使えればこんな問題も起きなかったのかもしれない。

養子縁組を済ませ、正式に名字を継ぐと祖父は嬉しそうだった。
大げさに万歳三唱するとかではなく、よかったよかったとにこにこしていた。肩の荷が下りたようだった。
母や他の親族にもありがとうだとか立派だとか言われた。

恥ずかしながら襲名争いなどをわずかに心配していたが、想像以上にあっさりしていて安心した。まあ、継ぎたがる人がいたらそもそもこんなことにはなっていないのだから当然なのだが。
ともかく、それなりにいい気分だった。

そして養子縁組をしてから四年が経った今年の夏、祖父は亡くなった。
寂しさはもちろんあったが、もし彼の死ぬ前の心残りを減らせたのなら、それはよかったかなと思いながら、初めて喪主をつとめる葬儀を終わらせた。

祖父が亡くなって、相続が行われた。
大きなところでは継いだ土地の分だけ固定資産税が増えることになった。
固定資産税はその土地を有効活用してようが有効活用が難しかろうが関係なく評価額に応じてかかってくるので、辛い。

事前におおむね計算はしていたとはいえ気が滅入ったが、当家の場合偶然それを相殺する分くらいは土地由来で収入が生まれているので引き継ぎ損とまではいっていない。今のところ……。

呑気な話で言えば、せっかくの山だからスギばかりじゃなくてクヌギやケヤキなどの広葉樹を増やしたいなと考えたりしている。
専門家が自律的な持続可能性を追求して生み出された明治神宮の人工の森に憧れている。

自然、というか生態系が好きなので、現状より豊かな山にできたらな、という漠然とした想いがある。

いちおう水も湧いているし、さらに掘ったら温泉が出て万歳!みたいな妄想もまったくないわけではない。
様々な山の活用法は、真面目に考えれば険しい道であることはすぐにわかるのだが、「もしかしたら」に多少の現実味をもたせて考えられるのはすこし愉快だ。

継いだものとしては田舎の家・畑・山ということになるので、なんとなく「隠居」の二文字が頭に浮かぶような取り合わせだ。
実際に隠居ができるかは別として、できるものならぜひしたいので皮算用をしてみたりする。

隠居について考えた時、土地や家があることは単純に有利に働く。家賃がかからないからだ。

しかし継いだ土地が田舎なので、電車もバスも使えず移動するには車が必要だ。車には各種維持費がかかる。
しかも老後の運転には恐怖がある。自動運転時代が早く到来してほしいものだ。

また生活するには食料が必要だ。
畑を使えばある程度の野菜を採れるが、野菜を育てるのにも様々な苦労があるので悠々自適とはだいぶ遠い。単純に育てるのが好きならいいだろう。祖父も晩年は巨大カボチャなど、実用性がなくても好きな野菜づくりにいそしんでいた。

当家の場合、食料品を手に入れるのにスーパーも車を20分も走らせればある。病院も。
水道ガス電気は引かれている。ネット回線も(今は引いてないが)引ける。

悩みの種としてよく聞く田舎の人間関係については、当家も相応に近隣住民との繋がりは濃い。
現在幸いにしてトラブルはないが、これまでの付き合い方によって平穏が保てているところもあるのだろう。

(物理的にも精神的にも)人口密度に比例して人間関係の濃度が変化するのは避けがたいものなのかな、と思う。

ともあれ、田舎であっても日本国内でそこまで物価が変わるわけでもないので、総じて生活費は田舎でも都会でもそう変わらない気がする。
となると最終的にはやはりどう生活資金を手に入れるかということになる。

つまるところ、田舎で隠居ができる人は都会でも隠居できる人なのだろう。
結局、自分にとっての理想の隠居とは何をすることなのか、あるいは何をしないことなのかを見つめるべきという結論に至ってしまう。
隠居について考えるときは様々な憂さから逃れたいときなので、正論はお呼びでないのだが。

山を継いでみてわかったのは、世の中には山を手放したいと思っている人は多いということだ。
売買も譲渡も放棄も困難なため、想像以上に安価に売り出されている。
もし本気で山を持ちたいなら調べてみるといいと思う。

僕は田舎を悪く言いたいわけではないし、豊かさについて考えたときに山や畑などの風景が思い浮かぶことは変なことではないと感じる。

僕は祖父と養子縁組をして名字や土地を継いだことを後悔していない。
今後のことはよくわからないが、面白い選択をしたなと振り返りつづけられたらいいと思う。

僕の次の代についてはまだ考えていない。
それは後世に残したい人がやることだろうし、現在のところ強い気持ちがないからだ。

一方で、子ども含め興味のない人を不本意に巻き込みたくないという気持ちはあるが、積極的に手放そうとも思っていない。
できる範囲で祖父の”継いでほしい”という意志を尊重していければと思う。

とりあえず、次の春には祖父に教わった採取地でワラビとウドを摘み、墓地の周りの竹やぶでタケノコを掘るつもりだ。

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