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「どうせ私は」の前提

2年前までは


仕事で失敗をしたら
その度に注意されて

「どうせ私はダメなんだ」
と思ってきた。


自分を責めてしまって
溜まりに溜まった仕事に
どれから手をつけたらいいかパニックになって
ついにはパソコンの文字も読めなくなった。


結局精神を病んで
いっときは寝たきりなった。
仕事もクビになった。



どん底の寝たきり生活のとき
(体は動かないのに脳だけ目まぐるしく
ずっと動いてて、
不眠の寝たきりだった)


自分を治そうと色々な自己啓発本にも手を出した。
きっかけは覚えてないけど
賢者テラさんの本に出会って


急に


「この世の全ては2つでできてる。
光と闇、陰と陽、右と左、北半球と南半球、
双方が補い合って存在している。」ことに気づいた。


その瞬間、

(今まで私は、善とか光とか、
「良いとされるもの」だけを目指して、
そうあろうと必死に努力し続けてきた。
だけど、「いい自分」と「ダメな自分」
どっちもが補い合って「私」ができている。)


そう思えた。


ダメな自分、
仕事ができない自分、
病気になった自分、
記憶力が弱くてすぐ忘れる自分、
忙しくなるとすぐにパニックになる自分、


紛れもない私の一部で、
それらも私を形作っている。


なんならそれらこそが
私がどういう人間なのかを教えてくれている。


この仕事は向いてないとか
カラダのここが弱ってるとか。


前職は向いてなかったなぁ〜(しみじみ)笑


それに気づいたときから
みるみる病気が寛解して、



そのあとに不思議な流れで申し込んだ
心屋仁之助さんメソッドのカウンセリングで、



「どうせ自分はダメなやつ」なら、
「どうせ自分は最高なやつ」
もアリ。と教えてもらった。


たしかに、前述での
[この世のすべてが2つで構成されている]が
合っているのなら、
いま見ている世界の逆も必ず存在する。


北半球があるなら、
かならず南半球があるように。



ということは
「どうせ」に続く言葉は
「自分は最高」でもいいんだ。



偶然にも
自分で知り得た賢者テラさんからの前情報と


心屋カウンセリングで
教えてもらったことが同じだった。


嬉しかったし、
この考えが自分の中で揺るぎないものになった。



「助けさせてあげるのも人助け」


という言葉を知った。
最初は、なんてずうずうしい考えだと思った。笑


でもその通りだと思う。


私は、
助けを求めることは
人に迷惑がかかることだとばかり思っていた。


助けるのが得意な人がいる。
私が不得意なことが得意な人がいる。



その代わり、私も誰かの不得意は得意かもしれない。
そのときは私の得意が誰かを助けられる。


なんなら得意なことがなくても
誰の役にも立たなくても
自分は息をしているだけで
誰かの役に立ってる最高なやつだと思う。
(2年前に比べたら図太くなったもんだ(^^))


いまもことあるごとに心で唱える。
「すべてのことは補い合って存在している。」


失敗しても
怒られも
人に頼っても
「どうせ私は素晴らしい」マインドでいこう(^^)


「ほらね、やっぱり私は素晴らしい」と、
答え合わせをしていく人生が、今とても楽しい。



あ〜生きてて良かった!

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