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東京MERの不条理の描写で考えたこと

プライムビデオで東京MERを一気見した。

どんどん引き込まれていった。
多分、鈴木亮平さん扮する北見の、医療に対する真剣さ、真摯さに
自分の子育てに対する真剣さ、真摯さを重ね合わせてみていたんだと思う。

北見はただ自分の信念に忠実に生きてきたが、北見の信念に執着した人間によって、大切なものを失うことになる。

この、ただ誠実に一生懸命生きてきた人が、その人が放つ光に引き付けられた他者から執着され大切なものを失い、絶望し、自分の信念を責め、動けなくなる様子がリアルで、目が離せなかった。


この不条理に立ちすくんでいる様子に、今の自分を重ねた。


私は相手の強固な執着により妊娠した。

子どもをもつ気はなかったが、子どもができたら産み育てたいと思った。
毒親育ちで自分が親になると考えたこともなく、即鬱になり、鬱を乗り越え、大学に戻った。

子どもを育てるために、法律婚をし、私が自分らしくいられるように離婚をし、経済的精神的な支配を試みる元夫とずっとたたかってきた。

自尊心のない親でも、子どもには自尊心をもたせたいと必死に学んできた。

子どもが選択肢をもてるようにと、金に糸目をつけずに済むように、大切な自分の価値観を殺して教育の仕事をしてきた。

HSPの自分には全く合っていない職場、中世の人権意識の同僚上司一部の保護者によって、私はフルボッコにされていて、公立高校で働いている時は、精神的に死んでいるのがデフォルトだった。

子どもが難関大学に行きたいと言うので、塾を勧めたが子どもは乗り気でなかった。

不登校になった時は、通信等の選択肢を調べ、ワーホリなどで一年考える時間をもつことも提案した。

私は子どもに対して、真摯に誠実にやってきたが、子どもは高3である日突然家を出て、祖父母宅から学校に通うと決めた。

子どもは自分の目的に合った場所に移動できる力をもっていると言うこともできるが、私は子どもと離れたくなかった。

私は毒親育ちで、無価値観が強かったので、子どもに対して役に立たなきゃと過度に思い込んできた。

「私が解決してあげなきゃ」と
子どもの課題を横取りしてしまい、子どもの思考力、行動力を育めないタイプの毒親と化していた。


私は、子どもを育てると決めたとき、
「私にはないけど、この子には自己肯定感をもたせたい」と強く願った。

子育ては、私の生育家庭に対するリベンジだった。

リベンジに利用している時点で、負の連鎖に巻き込んでいた。渦中にいる時は気が付けなかった。


「こんなに自己犠牲したのに」「こんなに頑張ったのに」
という気持ちがどうしてもぬぐえない。


私の親業は、突然発生して、突然終わった。
私の意思や予定なんかまったく及ばないものだった。

期間限定で幸福を感じさせてもらえるもの。
そして、与えるだけで、返してもらうことはないものなんだろうな。

そこが、私はまだ納得できていなくて、立ち止まったまま動けないんだろうな。

ドラマでは間もなく北見は動き出していたけれど、
私が動き出せるときはいつなんだろう。


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