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成人

この年齢になってから言うのも変な話だが、なんか成人になった気がする。成人といっても、成人式や成人の日みたいな形式的で人為的(作為的ともいえる)な意味ではなく、なんとなく一人の人間になったという意味。人間になるタイミングは、おそらくは人によってかなり違っていて、十代のうちになる人もいるはず。自分は50年以上もかかったことになる。もっと遅い人もいるだろう。

でも、早い遅いは決して優劣を意味しなくて、その人に固有の何かとその人が辿った道すじなどによるもので、要するに、早かったり遅かったりするのは「そういうもの」だと思っている。言い換えると、早い遅いには何も意味はないというか。


ちょうどこのnoteを始めたあたりから、いろいろなことが起きて、それがたまたまいい方向に働いて、なんとか軟着陸したような気がする。たくさんのベクトルが同じ方向を向いたというか。


自分自身のベクトルとしては、メンタルとフィジカルなものがある。

メンタルなものについては、だいたいはこれまでここに書いてきたとおり。小さい頃からずっとノンバイナリーだったことに気付いて、あることがあってカウンセリングを受けたら解離性障害が飛び出てきて自分の中にたくさんのパーツたちがいることに気付き、今の自分に必要だと思われる本を何冊か読んで理解して、パーツたちと対話して、はじめて穏やかな気持ちを持つことができた。

フィジカルなものについては、楽器を習い始め、そして、これは解離性障害への対処法から来たのだけれど、朝と夜にはヨガをすることにし、音楽とフィジカル(身体)とをくっつけるためにダンスを始めた(ネットがあるので、ヨガもダンスも簡単にできる)。これで、はじめて自分の身体の中に入る(身体の感覚を取り戻す)ことができた。


今でも、朝の夢の中で、これまで想像もしなかったパーツたちと会うことがある。彼らは苦しみを肩代わりしてくれていたわけで、感謝と愛おしさを感じる。

その気持ちも、なんだかこれまでは持っていなかったような気がして、どことなく嬉しい。

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たどり着いた場所は、内海の見える小高い緑の丘

私は、朝の内海の静かな水面に反射する光と、ゆっくりとそこを行き来する船の波紋を眺めている