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29歳になって、1年を振り返って。

6月24日、29歳になりました。(ここで知った方は是非「クリスマスの裏」と覚えてください!笑)
私にとっては激動の1年でした。ここでは時系列に、どんなことがあったかをまとめてみたいと思います。

2021年6月

何もなかった月。本当にゼロになった月だった。
#リセット

・体調を崩し、休職中の誕生日
・自分で無印のレトルト食べられたのに喜んでいました
・カレンダーの予定は空っぽ。Facebookの投稿ゼロ。つまり何もしていない。

2021年7月

少しずつ復調しようと試行錯誤を始めた月。
#この時期に連れ出してくれた友人には感謝しかない

・少しずつ親しい友人と軽い食事に行きだす
・リハビリと称してちょっと旅行にも。立山黒部アルペンルートや伊勢神宮行きました。雷鳥に出会えたのはいい思い出。自然の中に一人になると、自分の存在の小ささに思いを馳せることができ、逆に「今生きてるよね、それでいいんじゃないかな」という気持ちに。
(同時に凄まじく体調が落ちていることを自覚した)
・とはいえお財布と相談し、さすがに無職でいられる期限があることも悟り始める(一応奨学金返済義務もある)
・後半から色々なウェビナーに参加するようになる。
・Antaa Academia始まる

2021年8月

今思い返せば、この3ヶ月は本当に長かった気がする。再起動の兆しが見えた月。
#8月27日に誕生日&「白衣を脱ぎます」投稿/勉強会系に多く出会う

・職場の上司と医局に退職の意向をお伝えする。この時に親に相談して胃に穴が空きかけて後悔。
・その際に「医療の理」と「社会の正義」についてお話頂き、胸に刻む
・就活を始める。これが大苦戦する。
・色々な人とお話する機会をいただき、自分が今後何をしていきたいのかを考える日々
・毎日川崎のホテルのコワーキングスペースで、自分と向き合う。この光景は忘れられない。
・27日に決意をまとめる(こちら・友人限定
→「女性をHealthyに」を軸に、「物書きやシステムにアプローチ」する。それを「臨床」や「研究」以外でアプローチしたいと考えていた

月末にこの宣言をして、年末くらいまでのんびり考えようと思っていたのですが・・・

2021年9月

激動の月。色々な出会いがあり、動き出した月。「再始動」の月。
#「始動2021」採択/SUNDREDと「インタープレナー」との出会い/山本雄士ゼミ初参加

・知人の紹介で今働いているベンチャーと出会う①(Plusbase)
 →エントリー期限5日前に「始動 next innovator2021」を知り、勢いでエントリー
 →その後壁打ちを行う
・初めて事業計画書というものを作る
 →Mさんにサポート頂き、なんとか仕上げる。こんな人いるんだと驚く。
・知人の紹介で今働いているベンチャーと出会う②(Whitehealthcare)
 →こちらはジョインするのはだいぶ後
・SUNDREDのindustrial-weekに参加。悪目立ちする。
 →まさかの代表の留目さんとMTGすることに
 →これが今参画している団体(後述サミット)の出会いに繋がる
・山本雄士ゼミにも初参加。ここも大変革のきっかけになる。
 →今年の誕生日に大きく繋がる話
・2社ジョインを相談される所があるも、ここは実らず
・引越しを決意。ちなみにワクチン接種で食い繋いでいたので敷礼0物件。

2021年10月

常勤になることを諦めた月。自分の軸を定めつつ、引き続き色々な出会いがあった月。
#転居/お祈り連続/固定バイト開始/plusbase参画/虫歯発覚/私のテーマは「男性×産婦人科」

・専属産業医の面接は相次いで落とされる
・他の企業勤めのお話も条件が合わず
 →始動の方針も定まり、フリーランスで生きることを決意。
・諦めてバイトで生計を立てることに。なんとか最低限を確保。
 →これで死ななくなったのはありがたかった。
・「男性育休」「父親」を軸に、「産婦人科×男性」という軸を定める
 →ヒアリングを開始、医療から出た世界の可能性に気づく
・100人カイギに出会う。サミットに参加
 →今では運営&司会に。
・転居する。歯医者いく。虫歯見つかる。治す。
・ベンチャー①(plusbase)に正式参画。スピード感がおかしい。これがスタートアップか。
・経営者にも多数出会う。今に繋がるSさんとの出会いも。

2021年11月

始動が本格化。メンタリングでボコられつつ、本気で「スタートアップマインド」を身につけた月。
#産業医開始/始動狂いの1月/スタートアップ/「伝え手」の学びも始める

・初めての嘱託産業医案件を獲得
 →今では10社以上・統括産業医まで拝命
・とにかく始動。ヒアリング。メンタリング。
・フランス人とMTGまでしちゃう。お互い英語は通じなかった。
・逆に色々なスタートアップのヒアリングにも対応するようになる。
・とりあえずスタートアップの知識をひたすら身につける。
 →toBモデルを断念し、toCモデルでの価値提供に事業計画を一新
・そして迫る最終ピッチに向け、自分のビジネスマインドの甘さに泣く。
・10月末にメディカルジャーナリズム勉強会の「伝え手育成プログラム」第一期に選抜
 →これも人生を変え、「医療ライター」になる道を得た
・色々変わった自分に驚きつつ、一回振り返ってみた(こちら・友人限定

2021年12月

想定外にやることが多過ぎて回らなかった月。月でプレゼン4件はさすがにおかしかった。
#「始動」final/自分の生き方・価値提供が見えてきた/退職半年の「再始動」
#チャンスは弛まず準備を し続けた者に微笑むから 出来ない理由 探すのはもうやめにしよう
(I Believe/Little Glee Monster)

・豊島区100人カイギに登壇。人前で自分の夢を話す。
 →以降ちょいちょい語らせてもらえてる。素直に嬉しい。
・初めての父親教室開催。反省が多すぎた。
 →広げ方を変えることを考える
・始動最終ピッチ。選抜はされなかったものの、自分の中ではやり切って満足。
 →やはり事業としてはかなり難しいことを再認識
・逆に協力していた人が複数選抜
 →自分で進めるのも大事だが、人に自分の現場感や専門性を提供し、またビジネスサイドとしては学ばせて頂くことの重要性・価値提供を認識。しばらくこの道で生きようと考える。
・「スタートアップ」という縛りを外し、自分が何をできるのかを再考
 →社会活動として、「自分ができることをやる」と決めてみる
・本の編集の手伝いをさせて頂く。大変面白い
 →後々結構話題の著作になる
・忘年会などで少しリアル会が復活。ここでも色々な出会いを得る。

2022年1月

始動を終え、何をしようか迷っていた月。反動でおやすみ期間だったかもしれない。
#燃え尽き症候群/産業医激増/キャリアについて改めて考えだす/自己内省期間

・割と年が明けても燃え尽き気味。
 →始動を終え、自分がどの道で生きていくかの迷い。まだまだ定まらないキャリアへの不安。
 (今も全然定まっていないのだが)
・産業医案件が激増しだす
・取材をする側ではなく受ける側にもなる
 →こっそり雑誌に載りました
・起業家のゼミに参加して自分をみつめ直す機会も得る
・友人の主催する高校生向けプログラムで講演、社会人5年目にしてキャリアを語る。
・時間がなくなり出しているので、予定の組み方を見直す。

2022年2月

面白い話を頂いたことを機に、自分のキャリアの選択肢が広がった月。
#「医療ライター」を名乗る覚悟/医学部進学決定から10年/光陰矢のごとし

・思わぬキャリアチェンジのお話を頂き、盛大に迷う
・先輩医師に色々な話を聞く時期に
 →起業家・産業医・臨床医など色々な方にアタック
・産婦人科診療の現場に戻る機会を得る
 →望んでいた下っ端としてのトレーニング機会
・産婦人科関連のメディアに携わる機会も頂く
 →専門的なメディアで学ぶ機会
・メディカルジャーナリズム勉強会「伝え手育成プログラム」最優秀賞
 →自分の記事が遂に商業メディアに載ることに
・記事を出すにあたり「医療ライター」と名乗ることを決意
・一緒にオウンドメディアなどの話も複数頂く
 →本当にライターが仕事になる
・ふと医学部進学が決まった日から10年が経った事に気付く。
・大きな別れも経験する。
・やたらと電子機器が壊れる。

2022年3月

様々なところへの露出・登壇が激増。人前で夢を語らせて頂いた月。
#登壇や取材多数/病院マーケティングサミットJAPAN/April Dream=「ピンクの人」

・U-29などメディアのインタビューを何件か受ける
・PRtimesの「April Dream」企画に選ばれる
 →月末に新宿駅に超BIGな顔写真が貼られることに
・病院マーケティングサミットJAPANとの出会い
 →色々な接点はあったものの、最後繋いでくれたのは小学校の同級生という不思議
・引き出して頂き、イベント登壇の機会を得る
 →初登壇の起業イベントをはじめ、複数のお誘いが今後につながり始める
・商業メディアで単発ではなく連載の話も頂く
 →企画書で抉るものの、自分のオピニオンを出す機会を得る
・医師100人カイギの企画にも携わることに
 →これもある意味では人前で話す機会に。
・山本雄士ゼミ合宿に誘って頂き参加
 →素晴らしい医学生多数との出会い。これも後に凄く繋がる

2022年4月

「医師キャリア」「越境×医師」というテーマに一気に踏み入った月。
#旧友との再会/100人カイギ/休みも大事

・4月1日に健康診断受ける。意識が高い。嘘ではない。
・4月2日に個人事業主向けに健診について話す。
 →まさかのこれが他のベンチャーの仕事につながる
・自分の商業メディア処女作が公開される
 →これもこの後の様々なライティングにつながる
・青年会議所ではダイバーシティについて話す。
 →一貫性がないようでちゃんとあります。
・医師のキャリアイベント2つで司会を務める(100人カイギなど)
 →「越境専門医」「医ンタープレナー」としての活動が本格化
・医療発信やヘルスケアベンチャー業界の大物たちと食事会
 →ハイレベルな議論に頭が溶けそうになる。一部ではお酒で溶けそうになる。
・大学時代にお世話になった産婦人科の先生に取材にいくことになる
 →再会を喜んでくれる心の広さに感動する
・高校時代の親友たちと10年ぶりの食事会
 →改めて自分を振り返る良い機会に(そして変わってないと言われる)
・勤務先では色々な問題に直面し、マルチタスクの強みにも気付く
・この頃から「仕事が詰まり過ぎてスイッチが切れる」という事象に悩まされる
 →意図して休みを確保するようになる

2022年5月

色々な人との出会いが広がり、自分の注力するべきことを考える月。逆に一部の仕事は断ることに。
#休みは大事②/世界が広がることを実感/自分の提供価値や立ち位置も考える

・GWは久々に休む。仕事はたまっていたがのんびりした。
 →やはり休みは大事だということに気付き
・統括産業医のコンペに参加できることになる
 →選んで頂き、産業医開始半年で統括に。責任が重大すぎる。
・ベンチャー②に参画を決意
 →9月の出会いから8ヶ月、越境具合が本格化
・友人が東京でクリニック再生に携わる。一緒にお手伝い。
・想像だにしない大物の方々に色々なお誘いを頂く
 →引き上げて・引き込んで頂けるのに感謝する
・逆に多くの学生とMTGをし、協働する機会を創る
 →与えられる(受動)だけでなく、与える(能動)人にならねばと実感
 →大阪にも繰り出して意気投合した人も
・数人に定期のメンタリングを依頼、快諾頂く
 →自分のマイルストーン設定を見失わず、かつ色々学べる機会の重要性
・逆に明らかにオーバータスクが発覚
 →これまでちょこちょこお世話になっていたバイト紹介業者を全部退会
 →一部の仕事をお断りし、「自分がやる仕事」に絞ることを決意

2022年6月

遂に病院勤務を離れて1年。改めて自分の1年を振り返り、激動
#計画性大事/幸せな誕生日/インタープレナーとして

・予定の見直しを進めるものの、すでに決めた予定でパンパンで死にそうになる
 →夜空いているのが2日しかない状況に
・しかも健康経営エキスパートアドバイザーと診療情報管理士の試験が重なる
 →勉強か仕事しかしない日々に
・病院マーケティングサミットJAPANに参画。「医ンタープレナー」を堂々と名乗る
 →これも9月のindustrial-up weekがきっかけ。
・書籍関連や講演の依頼がちょこちょこくるようになる
 →嬉しい反面、キャパシティとの戦いが続く
・誕生日に、人生最大級の祝い方をしてもらう
 →自分に興味を持ってくれる方々がいる嬉しさを噛み締める

こうして1年を箇条書きで振り返っても5000文字を超えました。
そして改めて思うことがいくつかあります。

まず結局全ては「人」であること。
・どん底に落ちた自分に仕事をくれる、ありがたい仲間達の存在
・自分を引き上げてくれる、優しい先輩方の存在
・自分に興味を持って(?)くれる、嬉しい後輩たちの存在
全てが今の自分を作ってくれています。だからこそ、利害などを超えて、人を大切にしたいと思います。

そして「名前」の大事さ。
・医療ライターと名乗って記事を書いたこと
・「越境専門医」「医ンタープレナー」と名乗って活動したこと
おこがましいとは思いつつも、それが次の仕事を持ってきてくれたのは大きいです。堂々と自分の立ち位置を明示し、そこで生きていく覚悟をする。批判も含めてこれを受け止めるのは「覚悟」だと思います。

もう一つは「自分のやるべきこと」の整理。
今度書こうと思っていますが、今の自分にできること、自分がやるべきことなのか、そうでないのかは意識するようになりました。チャレンジは大事ですが、実力や専門性が十分なのか、逆に自分がやるメリットがあるのかはきちんと考えることが大事だと痛感しています。

大きく世界が変わったこの1年。1年後には30歳。
そこまでに自分が何をできるのか、自分との勝負を楽しんでいきたいと思います。

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