見出し画像

立ち登る湯気はどうしてこんなにきれいなんだろう

体調を崩した。
お腹を崩すことは多々ある方ではあるが、熱が出たのは久方ぶりだった。
喉が痛いなあ、と思った翌日に体温を測ると37.5℃。水分多くとって、体あっためてよく寝れば治るかあ(家の訓え)と思ったその翌日、体温を測ると38.5℃。
ああ、これはそんな簡単じゃないやつだと思い落ち込む。
さらにこのご時世である。病院に連絡しPCR検査の予約をして、所属コミュニティの事務局(といえど同じシェアハウスの隣室の友だち)に連絡し、いそいそと1人、今は誰も使っていない元シェアハウスの空き家へ隔離。
コロナだったら色んな人に迷惑かけちゃうな、不安だな、という思いが積もり積もって、泣く。(何歳だよ笑)

画像1

今頼ったら、(感染とかで)迷惑がかかるなあと思う自分。
仮に頼みを断らざるを得なかった仲間に、申し訳なく思って欲しくないなあと思う自分。
そして頼って断られて、「ああ、自分でやっておけばよかったな」って後悔したり、仲間にちょっと残念な気持ちを持ったりしてしまうだろう自分。

結局のところ"不安"で、それを誰かに話したかったという、それだけだったことにも、夜電話をかけてくれたパートナーと話をして気がついた。
PCR検査をして、蓋を開けてみればコロナではなかったので一安心だったのだけど、なんだかそういう自分の弱いところを見た数日だった。

仕事が苦手だ。
マネジメントとか、期限とか、成果とか、そういった類のものがすべて苦手だ。だから、田舎に移住するのは都会で生きられなかった不適合だろ、とネットで揶揄されるあれは、少なくとも自分にとってはあながち間違いではない。
だから必死だ。
マネジメントを経験されていた外部の方にお願いしてみたり。
弟に頼んで仕事の管理システムをNotionで組んでもらったり。
一個一個の作業にかかる時間をToggleで測ったり。
東京にいる大学生の友達に寿命が切れそうな7年もののMac(👴)を送ってデザインのアシスタントを頼んでみたり。

個人事業主だから、なってしまったからには、どうにか足掻き切らなければ、という焦燥感がある。
東京で、決められた枠の中で、一会社員としてやっていける自信はないから、そんな自分でも働いていける環境をつくり出さなきゃ、と必死である。
でも、仕事ばかりしていたら、せっかくの移住生活、そのコミュニティが安心できる場所から、仕事をもらう場所、稼ぐ場所になってしまって苦しくなってしまった。
そうか、自分はもっとこのコミュニティのためになりたいんだ、と思って、その役割に手を挙げたら上記諸々の上に降り積り、余裕がなくなり、免疫が落ちて、たぶん、子どもたちの流行り風邪をもらったのだと思う。笑

唐突だけれども今、こうしてnoteを書こうと思ったのは、汗をかいて4:30に起きて、お湯を沸かしていたら、その立ち登る湯気がきれいでぼーっとしたからだった。

画像2

画像3

画像4

きれいなものが好きだ。人の手によるものであれ、自然によるものであれ、目に見えるものであれ、目に見えないものであれ。
きれいだな、と思うものを見ながら白湯を飲んだら気持ちがとっても和らいで、文章が書きたくなった。だから書いている。
自分は、自分で思っているより文章を書くことが好きなんだと思った。

画像5

心からやりたいことがある。
今大きく思い描いているのは2つで、「こんな自分のための絵本」を描くことと、「広田(自分が住むこの町)に住むばあちゃん、仲間達の日常を描いた漫画」をを描くこと。
やりたい気持ちはぐぐぐぐ、とずっとあるのに、なかなか手を出せずにいた。
でも湯気を見て、こうして文章を書いて、思った。やっぱりこうしてきれいなものを見て「きれいだな」と思えて、心落ち着く時間がないと、やりたいと思ってることに手を出せないんだなあ、ということ。
自分で働ける環境を作るために必死な側面と、でも心身ともに健全であるためにこうやって湯気を見ながら文章を書くような、そんな時間も大切なんだなあ、と思った、そんな日の朝の日記でした。

健康には、みんな気をつけようね。(8割方の自戒を込めて)

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?