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糧にするアート鑑賞 #001 『ピーター・ドイグ展』観覧の切り口

国立近代美術館で2020年2月26日〜10月11日まで開催のピーター・ドイグ展。現代絵画を語る上で欠かせない存在とされているが、日本での個展は今回が初という事もあり、馴染みの無い方も多いかもしれない。

アートとは観覧者と作品の間にこそ生じるもの。1人1人が作品を前にして感じた事こそに意味がある…とはいえ、せっかく貴重な時間を割いて享受するこの体験、少しでも身になるものにしたいじゃない。

そんな訳で、鑑賞前や後に読むと鑑賞の切り口が増えてほんの僅かにプラスになる様なひとひらをお届けしようと思う。ただし、実際に展示されている作品を画像を使って紹介していくつもりなので、「ネタばれ」を嫌う方はここから下へスクロールされませんようお願い申し上げたい。

色彩の傾向

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とにかく彩度が高い。基本的にどの作品も鮮やかで目を引く。上の画像はこちらの作品⬇︎の画面左下を切り取ったもの。

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《ロードハウス》1991年

明度こそ控えめなものの、暗い箇所も含めて画面全体に彩度の高い色を使用している。この作品は色相、明度共にコントラストが強いのもあいまって、構図は直線的でおとなしいながらも強く印象に残る作品となっている。そのほかの作品も見ていこう。

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《カヌー=湖》1997〜98年

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《ピンポン》2006〜2008年

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作品名忘れちゃった…

どの作品も画面の中央付近に彩度の高い印象的なモチーフが配されており、目を引く。彩度もそうだが、色相や明度のコントラストもかなり意図的かつ明確に設計されている。次項で触れる「直線による画面の分断」も合間って、わかりやすい形で視線誘導を行なっているのが見えてくる。

直線による画面の分断

鮮やかな色彩ももちろんの事、特に強烈に印象に残るのは多くの作品に見られる、厳格なまでの画面の平行分割、明確な層の描き分けであろう。

上に紹介した《ロードハウス》、《カヌー=湖》にも見られるが、特に3層に階層分けをしている構図が多い。3という数字はデザインや絵/写真の構成においてよく用いられる(整理されて見やすい画面の構成のためには意識したい要素なのだ)ので違和感は無いが、ここまで明確に分割を行なっているあたり、画面のデフォルメとしての明確な意思があると思われる。

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《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》 2000-02年

本展覧会の顔にもなっている作品だが、こちらも前述の作品ほど明確では無いとは言え、石の欄干と湖畔の水平線とで画面が分断されている。

分断のために湖や河を描いているのか、あるいは湖や河といったモチーフを好むが故に意図せず分断された構図を生んでいるのか。どちらもあり得ない話では無い。そのくらい、大きな水源を舞台とした作品が多かった。

逆に平行的な画面分割を行なっていない作品もひとつ挙げておく。

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《コンクリート・キャビンⅡ》1992年


とにかく油絵の具

芸術表現の手段において、今や油彩は選択肢のひとつに過ぎない。油画を作成する現代芸術家の中でも、油画のみならず木彫やアクリル、版画や3Dプリント等様々な媒体を併用する者も多い。(同時期に開催の東京都立現代美術館のオラファー・エリアソン展でもかなり多様な媒体で表現を行なっている)その中にあって、油彩にフォーカスしている会ならともかく、個展において、展示作品の全てが油画であるのは中々珍しく感じる。

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上記ポスターは画用紙に油絵の具で描かれている。その筆致は油彩を生かしたものには見えず、アクリル絵の具やガッシュでも同じような効果を得られた様に思えるが、彼は敢えて油絵の具を使用している。

油絵の具は乾くのが遅く、他の画材と比べて高価なので、長期保存を目的とせず画用紙にガシガシっと描かれているのを見ると少しもったいなさを覚えてしまうのは…間違いなく筆者が学生時代の感覚を引きずっているだけだとは思うが。

手早く描いたものに見えるこれらのポスターの類は、簡便さというベクトルで見ても油絵の具を洗濯するメリットはさほど無い訳で。「馴染みのある道具を使えばいいや」という比較的軽い心理だったのでは無いか、と想像を巡らせてしまう。

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公式サイト、チケットの予約は以下より。

チケットの購入はこちら https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b1949763

それではよい美術ライフを。