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『世界と僕のあいだに』タナハシ・コーツ (著), 池田年穂 (翻訳)  アメリカの国の根幹にある病理を、息子への手紙という形で、強く訴えかけた本。同じ著者の小説を読みあぐねて、手に取った。こちらのほうが分かりやすかった。

『世界と僕のあいだに』
 
タナハシ・コーツ (著), Ta-Nehisi Coates (著), 池田 年穂 (翻訳)

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▼これがお前の国なんだよ。
「これがお前の世界なんだよ。これがお前の肉体なんだよ。
だからお前は、その状況のなかで
生きていく方法を見つけなければならない」
アメリカにあって黒人であるということ、
この国の歴史を、この肉体とこの運命を生き抜くことを説く、
父から息子への長い長い手紙。
2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー
解説=都甲幸治

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ここから僕の感想

 直前、感想文を書いた、同じ著者の小説『ウォーター・ダンサー』が、あまりに読み進まなかったために、ちょっと目先を変えようと、前に買って、ちょっとだけ読んで積読状態にあった本書を手に取り直してみた。というのが読んだ経緯。

 そうしたらば、今回は、こちらはすいすい読めた。『ウォーター・ダンサー』の読みにくさは、おそらくは著者の激しい怒りとか頑なさとか闘争心とか、そういう気負いが小説、文章のあいだからにじみ出て来て、それが僕には抵抗になっていたのだと思うのだが、そういう怒りや闘争心であれば、それは小説という形ではなく、本書の「息子への手紙」として、直接、語りかけられた方が、それはすんなり腑に落ちたわけである。

 とはいえ、腑に落ちた、というのと共感したり賛同したりした、というのは違う。なぜ『ウォーター・ダンサー』が読みにくかったかと言うと、あの小説を書かせている原動力としてのその怒りというものが、明らかにアメリカの奴隷制により形成された、「アメリカの黒人」として生きるということに根差すものである。個別アメリカの黒人固有の構造、そして問題なのである。

 本書『世界の僕のあいだに』で、著者がどういう構造としてアメリカの社会と歴史を捉え、そしてそこで黒人が具体的に生きていく中で、どういう暴力が襲い掛かってくるのかについて、それは息子に語りかけているわけなので、とてもよく分かるように書いている。

 それはアメリカという国の根本、成立からある原理のようなものだということがわかる。それはアメリカの病み方として、ここ最近も噴出しつづけている。改善などしていない。

 この構造について、本書とは全く関係ないのだが、保立道久氏がnoteで書いている。

(イ)資本主義と人種主義
 人種主義イデオロギーは資本の本源的蓄積、世界資本主義の形成を先導したイデオロギーであった。アメリカの特殊性はこのなかでアメリカ大陸植民と奴隷制を統合して展開したところにある。
(中略)
(ハ)ソースティン・ヴェブレンの資本主義批判
 ヴェブレン『有閑階級の理論』は「長頭ブロンド」(いわゆる北方人種ゲルマンなど)タイプのヨーロッパの男は西洋文化の他の民族要素に比較して略奪文化に先祖返り(退行)する才能をもっており、アメリカ植民地における彼らの行動はその大規模な事例であるとする。ヴェブレンの議論は該博な人類学的知識にもつづく体系であって、その論理はいわば「人種」論的な経済学というべきものである。
(中略)
伊東光晴は、日本を代表するケインズ経済学者であるが、その著『ガルブレイス』は、アメリカは「人種が階級をつくった多民族国家」であるという断定から始まっている。伊東は、それを強制連行された奴隷や貧困な移民が、言語・教育・技能などの諸条件による職種選択条件におうじて順次に社会階層を作り、下層が低賃金の単純労働の職種に押し込められ、その最下層に「かって奴隷であった黒人」が位置する構造と説明している。右に述べた意味での、人種主義的な暴力や身分システムがどのように形成されるかは、伊藤がいう社会階層の基本をなす職種や労働実態に論ずる必要があるだろう。

「『人種問題』と公共―トマス・ペインとヴェブレンにもふれて」保立道久氏note

同様のことをタナハシ・コーツは本書でこんな風に書く。

南北戦争が始まった時点で、僕らの盗まれた肉体には総額40億ドルというアメリカの産業すべてを、鉄道、作業場、恒常の総計を上回る価値があって、そして僕らの盗まれた肉体を使って作り出される主要産品、すなわち綿花はアメリカ最大の輸出品だった。アメリカの最富裕層はミシシッピ川の流域に住んでいて、そして連中は僕ら黒人から盗んだ肉体を使って財を成していた。(中略)ミシシッピ州は、連邦を脱するときにこう宣言した。「我々の立場は、奴隷制という、世界最大の物質的利益と完全に重なり合う」ってね。

本書p116

 ここはお前に分かってほしい。アメリカでは、黒人の肉体の破壊は伝統だ。それは「世襲財産」なんだよ。単に労働力を無菌状態のなかで借りることじゃない。一人の人間の肉体を本人の基本的権利に反する活動に従事させるのは、そんなに簡単なことじゃないからね。
 肉体はこまごまと証券化され、奴隷保険をかけられた。黒人の肉体はも野望の対象であり、インディアンの土地のような金の成る木であり、ベランダであり、美人の妻であり、山中に建てた夏の別荘だった。自分を白人と信じる必要のある男たちにとって、黒人の肉体は社交クラブの扉を開ける鍵であり、肉体を破壊する権利は文明の基準だった。サウスカロライナ選出の偉大な上院議員、ジョン・C・カルフーンはこう述べているんだよ。「社会は富める者と貧しき者に大別されるのではない。白人と黒人に大別されるのだ。そしてすべての白人は、貧者であろうと、富者とともに上流階級に所属し、平等な者として敬意を払われ、処遇を受ける」とね。残念ながら、そういったわけだ。彼らの聖なる平等を意味するものとして黒人の肉体を破壊する権利があるのだ。

本書p119~120


 そういうアメリカという社会の中で、黒人の肉体の中で生きていくことになる息子に対して、タナハシ・コーツの思いのたけをダイレクトに書いたのが、本書である。

 『ウォーター・ダンサー』の方の感想文の最後に書いたが、先に読むならこちらがいい。こちらが読みにくかったら、あちらを手に取ってみればいい。あちらがつっかかったら、こちらに戻ればいい。タナハシ・コーツとその一族家族がどのように生きてきたか、彼のボルティモアのストリートでの生い立ち、ハワード大学での体験、ニューヨークでの生活、妻に誘われてのパリの旅行、それを読んでから、小説のほうに立ち戻ると、なるほど、いろいろなことが腑に落ちるのである。あちらの小説はおそらく1840から50年代くらい、南北戦争直前くらいのヴァージニアを舞台にしているが、主人公の行動する範囲は、タナハシ・コーツが生まれ育ったエリアとほぼ重なる。時代が150年くらい昔ののことだが。

 本書を読んで、その直接的主張に触れたうえで、『ウォーター・ダンサー』という小説で、主人公ハイラムの少年から青年にかけての体験と成長を読むと、そこには著者タナハシ・コーツ自身、その父母祖父母の歴史と、息子への願いを、小説という形で、たんなる激しい言葉だけではない、美しいイメージ、多くの登場人物の人生や行動や言葉の中に込めようという意志が伝わってくる。

 なぜ小説のほう単体からそのことを読み取れなかったのか、というのは、これは書き手タナハシ・コーツの問題ではなく、読み手、僕の問題なのだと思う。それは、小説の方の感想文noteを読んでもらえればと思う。

 こちらの本は、薄いくて短いし、その上、2015年の全米図書賞を受賞していて、つまり分かりやすいとおもうので、まず読むならこちらから、という順序でお勧めします。



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