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『すべて内なるものは 』 エドウィージ ダンティカ (著), 佐川 愛子 (訳) ハイチという国の、幾重にも重なる困難の中で、恋人、夫婦、父と娘、母と娘、友達、いろんな人間の間の、多様な距離の、愛についての短編小説集。ぜひ。おすすめ。

『すべて内なるものは 』 2020/6/25
Edwidge Danticat (原著), エドウィージ ダンティカ (著), 佐川 愛子 (翻訳)』


◇Amazon内容紹介

全米批評家協会賞小説部門受賞作!
 異郷に暮らしながら、故国を想いつづける人びとの、愛と喪失の物語。
四半世紀にわたり、アメリカ文学の中心で、ひとりの移民女性としてリリカルで静謐な物語をつむぐ、ハイチ系作家の最新作品集、その円熟の境地。
―エドウィージ・ダンティカ「日本の読者への手紙」より「記念日というのは、この本の地震についての話「贈り物」のアニカとトマスの物語からもわかるように、ときにつらいものです。
 悲しい記念日は、かつて存在した人や物の不在を大きく膨らませます。この本に収めた短編小説の多くは不在についてのものですが、愛についてのものでもあります。ロマンティックな愛、家族の愛、国への愛、そして他のタイプの厄介で複雑な愛などです。私はその物語の筋をここで明かしたくはありません。それはぜひ、どうぞ、みなさんご自身で見つけだしてください。
ここにあるのは、八つの――願わくは読者の方々にとって魅力的な――短編小説です。
 私は今、みなさんを、いくつかの独自(ユニーク)な、愛に突き動かされた冒険(アドベンチャー)へと喜んでお迎えいたします。」


ここから僕の感想


 ハイチと言う国のことを、ほとんど何も知らなかった。冒頭の、著者から日本の読者へのメッセージで、そうか、2010年に大地震があったのか。なんとなく、ニュースで見たような記憶はあるが。例によってウィキペディアでざらっと歴史や地理や政治やなんやかや、ざっくり勉強してから読み始めた。(巻末の、翻訳者 佐川愛子さんの、「訳者 あとがき」にも、ハイチの歴史、政治などの解説、詳しくありました。それは、本編を読み終えた後に、読みました。)

ハイチという国

⑴ドミニカと、ひとつの島(イスパニョーラ島)を分け合う、カリブ海の国。島の西1/3がハイチ、東2/3がドミニカ。キューバの東隣、ジャマイカの北東にある。このあたりの国の例にもれず、黒人奴隷が連れてこられて、と言う国。旧フランスの植民地だった。このあたりが、だいたいスペインの植民地で、スペイン語の国なのに、ハイチだけ、ハイチ語フランス語の国。ハイチ語ってなんだ?というと、フランス語系のクレオール語、クレオール語ってなんだ、というと、

ウィキペディアより引用。「クレオール言語(クレオールげんご、英: creole language)とは、意思疎通ができない異なる言語圏の間で交易を行う際、商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供たちの世代で母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として使用されている国・地域もある。」


⑵のだが、このあたりの国でいちばん早く1804年に独立。しかも、白人を追い出して、世界初の黒人だけの共和国として、カリブ海で初めての独立国となった。のだが、フランスもアメリカも、黒人奴隷が独立国を作る、ということに反対で、アメリカ主導で、何度も軍事クーデターが繰り返し起こされた。ハイチの歴史は、裏で手を引くフランスやアメリカによる、妨害の歴史といってもいい。


⑶というわけで、政治はうまくいかず、経済もうまく行かずで、度重なるクーデター。ひどい独裁、ひどい貧困の連鎖に苦しむ歴史。
 近い所では、ディヴァリエ親子による独裁というのが、1957年~1986年の約30年間あって、秘密警察による拷問弾圧虐殺などの恐怖政治が続いた。
やっとこの親子二代の独裁政権が軍事クーデターで倒れた後、民主的選挙で大統領を決める国になったのだけれど、またクーデター、内戦、アメリカやフランスによる介入(実質、アメリカが植民地支配しようというような傀儡政権が何度も作られる)、国連PKOの介入、というのが繰り返されている。


⑷という政治的混乱の上に、2010年1月12日、M7だから、日本の感覚では、そんなには大きくない地震、のようでも、直下型で、首都のすぐ近くで、しかも貧しくて耐震建築なんて全然ないところでの地震だから、なんと、死者行方不明者がが32万人。人口が1000万人の国で、32万人

⑸と思ったら、2016年にはハリケーンに襲われて、また大被害

国連PKOとか欧米の支援団体というと聞こえがいいが、そういう人たちが、地元の人たちに対して性的搾取を行ったり、その中でエイズをうつして、ハイチの人たちがエイズでひどく苦しんだり、エイズどころか、コレラまで持ち込んだ。コレラで1万人が死んで、80万人が罹患した。人口1000万人の国で。ということが起きた。なんてこった。(この情報は訳者あとがきから)

⑹その混乱の後、2017年に国連平和維持軍が撤退すると、国内の治安は最悪に。ギャングによる誘拐事件が日常的に起きるようになる。

⑺国内に人種差別はないが、お隣、ドミニカでは、ハイチ人差別がある。というか、カリブの国全体の中で、ちょっと浮いている。差別されている。

⑻アメリカに船で不法移民となって逃げる人も多い。最寄りの大都市、マイアミにはハイチ人の固まって住む「リトル・ハイチ」という地域があるが、観光案内を見ると「治安が悪いので、昼間でも近づかないこと」ってなっている。


 というくらいの基礎勉強をしてから読むと、つまり、こういう何重もの悲劇と関連した、多くはアメリカに移民しているハイチ人の、様々な人生が描かれている短編集なのです。

 この世界には、ときどきニュースで名前は聞くけれど、全然よく知らない国がたくさんあって、そういう国、それぞれの事情を抱えて、普通の人が、一生懸命生きているのである。


 そういうことを、普通の人の視点を通して、それぞれの人生を通して、知ることができるというのが、海外の小説を読むことの、大きな意味なのだな。そういうことを改めて深く感じる短編群。


 たとえば、親子独裁が終わった後、そこから逃げて、アメリカで人生を築いていた家族のうち、「ハイチに戻って国を再建しよう」とする人と、「アメリカに残って生活を続けたい」と思う人、で家族がバラバラになったりする。

 そういうことが、誘拐でも、地震でも、いろいろ起きるの。でも、そういう悲惨な状況そのものを描いているのではなくて、その状況下で、様々な思いをいだいて生きる主人公、その家族、友人の間の、複雑な思いを軸に、各短編は紡がれていくのです。

 ウィキペディアで作者の略歴を調べると、以下引用

ダンティカはハイチの首都ポルトープランスで生まれた。彼女が2歳の時、彼女の父アンドレはニューヨークに移住し、2年後に母のローズも後を追った。この時に残されたダンティカと弟のエリアブは叔父と叔母によって育てられた。彼女の公的な教育はハイチにてフランス語で行われたが、彼女は家庭でハイチ語を話した。
12歳の時、彼女はニューヨークのブルックリンに移住し、ハイチ系アメリカ人の隣人の囲まれていた両親と合流した。彼女は10代の時移民したため、エドウィージのアクセントとしつけは彼女を当惑させる要因となったため、彼女は慰みのために文学に向かった。2年後、彼女は英語で書いた初の、"A Haitian-American Christmas: Cremace and Creole Theatre,"を10代が書いた雑誌ニューヨークコネクションズで出版した。彼女は後にニューヨークコネクションズに移民体験についての物語を書いた。

 なるほど、そうなのか。お父さん、お母さんが先にアメリカに移住しちゃって、っていうのは、そうとう複雑な思いを抱いたんだろうな。その期間ていうのは、まだディヴァリエ親子独裁の真っただ中だしな。そして言葉が、ハイチ語とフランス語の世界で生きていて、12歳でニューヨークにっていうのは、しんどいよなあ。その年齢で新しい言語を習得するのは。という生い立ちと言語環境の複雑さが、彼女の作家としてのスタートにあるのだなあ。

 男女の間の愛について、母娘について、友情について、短編だけれで、一筋縄ではいかない、複雑な事情の中での、複雑な思いが、それぞれかたられていきます。上で述べたような、ハイチ、ハイチ人のおかれた境遇と、個人的な事情とが絡み合って、その多くは重く苦しいものですが、なのですが、なんというか、「展開、出来事として救いが必ずあるか?」というと、そうでもない話が多いのですが、各短編の読後感として、何と言うのか、ちょっとだけ光が見える。希望とか前向きな意志とか、そういうものがほの見える。なんとなく、それは作者の人格性格、そういうものの反映のような気がする。全然しらないのだけれど、ハイチ人というものの、国民的性格なのかもしれない。いや、わからんけど。だって、世界で最も貧しくて、災害にも繰り返し見舞われて、政治的にも混乱がずっと続いて、それでも希望を失わずに、生きているんだから。国民性と考えるか、この作家の特性と考えるか、それは、ハイチの作家の小説を初めて読んだのだから、判断しようがないけれど。とにかく、困難、悲惨な境遇状況を背景にした話が多いわりに、読後感が、なかなかに素敵なのです。

いろんな意味で、おすすめ。世界文学を読むことの意味を、さまざま、深く味わえます。

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