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『はやひと 第3号第1巻~第3巻』(鹿児島民俗研究会)発見の驚き

 これまで鹿児島民俗研究会は、昭和12年4月15日に『はやと』第1号を創刊し、昭和13年 8月の『はやひと』第2巻第3号で終刊したと思い込んでいた。
『はやひと』第2巻第3号を確認できなかったために、竹田旦編『民俗学関係雑誌文献総覧』(国書刊行会)に掲載されていた『はやひと』第2巻第3号までで終刊したと思い込んでいた。そのため目録などで確認していた成城大学民俗学研究所に所蔵されている第3巻第1号~第3号は、第2巻の誤表記だと勝手に思い込んでいたのである。

 ところが成城大学に電話で問い合わせたところ、明らかに第3巻と記載されており、多々良魚吉が原稿を書いているという情報を得て、丁度、K氏より、多々良魚吉が野間吉夫のペンネームだとご教示頂いていたばかりだったので、野間が昭和14年までは鹿児島民俗研究会を継続していたことが判明した次第である。K氏経由で入手した第3巻について基本的な情報を整理しておく。
 『はやひと』の出版状況は下記の通りである。
昭和13年 4月20日、『はやひと』第2巻第1号
昭和13年 6月、『はやひと』第2巻第2号
昭和13年 8月、『はやひと』第2巻第3号
これに続き、下記のとおり刊行されている
昭和14年9月9日、『はやひと』第3巻第1号
 多々良魚吉「残す民俗」
 編輯部「「食物語彙」採集要項」
昭和14年10月か?、『はやひと』第3巻第2号
 多々良魚吉「ムラの話」
 不明「雀と案山子」
昭和14年11月18日、『はやひと』第3巻第3号
 多々良魚吉「庭のヒトツバ」
 飲水庵「ハ、ハ、ハ、ハ」
 星輝「神様のお通り」

『はやひと』第3巻第1号の「後記」には、

なりふりも捨てた御覧の通りの戦時体制版ですが、ないよりはいゝと思って、今月から復活させることにしました(Q)

とあり、13年8月以来約一年ぶりの再開されたということのようである。
会員の状況はどうであろうか。
 第3巻第1号の「報知板」には「野間生」として野間吉夫の屋久島調査を報告し、もう一人「三四郎」という人物が指宿町田良で聞いた船霊様の報告をしている。
 第3巻第2号の「報知板」には、九月十七日の日曜に赤星、井手籠、野間、栗川の四人で曽於郡通山に調査を行っていることから、他にも会員がいて活動が続いていたようである。
 第3巻第3号の「後記」には、11月18日に三周年記念の例会を山形屋で開催されたことが記されている。また、「柿と民俗」を今月刊行の予定とあるが、これは『農家と柿』であろうか?

 一般注記には「復活第4回例会座談記録 謄写版」とある。

 野間吉夫は、翌年、昭和15年に福岡へ転居するので、この第3巻第3号で野間の関与は最後となったと思われる。
 野間吉夫の年譜も作成する必要があることを再認識した。


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