K.WATANABE

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宮崎市在住です。 「みやざきラボ」 宮崎県の民俗情報を発信します。 過去の原稿をアップロードしている場合は、入稿段階のもので、校正が反映されていません。原本を御参照下さい。 千人針についても書き込みます。

マガジン

  • 柳田国男関連記事

    k.watanabeの記事から柳田国男関連をマガジンにまとめました!

  • 諸塚村

    諸塚村の民俗について情報を発信します

  • おかげ祭り

    宮崎県都城市で開催されている「おかげ祭り」について、2000年に書いた原稿を紹介しています

  • 宮崎県の海の民俗

    宮崎県沿岸部の海の民俗についての記事を紹介します。

  • 小嶋政一郎

    小嶋政一郎の年譜

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宮崎県の民俗に関する情報発信

個人的に書きためてきた民俗学関係の記事、特に宮崎県の民俗、及び戦争の民俗関係の記事を、少しずつ公開していきます。 過去の入稿データをアップしている場合には、引用などされる際に出典でご確認下さい。 宮崎県内で、看護専門学校、大学で非常勤講師(文化人類学)をしています。文化人類学、民俗学、博物館学の非常勤講師の依頼をお待ちしております。

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記事

    『日向を語る』

    『日向を語る』 出席者(順不同):中村 地平/中川 一政/尾崎 士郎/井伏 鱒二/上泉 秀信    鉄道省:吉田 団輔/水澤 澄夫/鈴木 仁一   ビューロー:佐藤 正雄 吉田  では御挨拶は抜きにして、これから始めさせて戴くことにいたします。丁度、二千六百年祭も間近に迫って参りましたので、「旅」といたしましても、読者になにか日向に就て紹介したいと思って居りましたところ、幸いに丁度皆さんがそちらへ御旅行なさった大変いい機会でございますから、色々お話をお伺いしまして、それによ

    『日向を語る』

    中村地平「日向路の秋」 

    日向路の秋                               中村地平  南方に生まれ、南方に育ってきたせいかもしれないが、僕は南方の秋が好きである。台湾には高等学校時代四年間いたが、亜熱帯というものの、やはり秋涼の気節(ママ)はあるのである。内地のその季節ほどはっきりした時候のニュアンスは見せないけれど、太陽の光りがやはり幾らか弱くなる、常緑の樹木がほんの僅かばかり黄ばんできて哀れを見せる、本島人の夜市のアセチレン瓦斯の陰に豊かなポンカンの実がならぶ。幾らかは意

    中村地平「日向路の秋」 

    中村地平の日向への旅と国策旅行ブーム

    ※『みやざき民俗』58号(2006)に掲載した草稿です。引用の際には原本をご確認下さい。 はじめに  宮崎県の観光を語る際には必ず新婚旅行ブームから始められる。その理由は、新婚旅行ブームのきっかけを作った三つの出来事による。第一は、島津貴子ご夫妻の新婚旅行。第二は、昭和三十七年五月の皇太子明仁殿下と美智子妃殿下の旅行、第三が、昭和四十年四月からはじまった、川端康成原作のNHK朝の連続テレビドラマ「たまゆら」の放映であった。これら三つの出来事が重なり、「新婚旅行は宮崎」とい

    中村地平の日向への旅と国策旅行ブーム

    和石の電燈電話架設記念碑

    宮崎県宮崎市高岡町内山の和石集落の「電燈電話架設記念碑」の裏には、和石の開拓について記されている。その文字を書き起こしておく。 電燈電話架設記念碑 和石部落ノ創肇ハ明治三年平家ノ派族去川郷ヨリノ分家入植者ニテ開発セラレ歴代祖先ノ努力ニヨリ 大正三年五月部分林ノ設定昭和六年二月トラック道路開発昭和七年五月公民館ノ建築トアラユル部門ニモ隣接部落ニオトラヌ進歩ヲトゲテイマシタガ 文明ノ進ムニシタガイ国デハ昭和十二年八月世界第二次戦争ニ突入シ十数年間ヲ戦争ノミニ重点ガオカレ若

    和石の電燈電話架設記念碑

    植物民俗の縁

    2024年3月29日のgoogleカレンダーに「和石おねっこ祭り」とのメモがあった。当日予定がなくなったのとちょうど都城へ書籍を買いに行く用事があったので、前日、黒田奈々さんにメッセージして何時からか問い合わせた。そのときまで私の頭の中では「おねっこ」=鬼火焚きのイメージになっていた。黒田さんからの説明で、翁草であることを思い出し、それを目的に集まった人たちで、三味線など音楽を楽しむイベントが催されることを理解した。 朝9時30分に到着。約1年ぶりの和石である。和石は宮崎県

    植物民俗の縁

    大島神社神楽口上

     令和6年(2024)3月24日(日)に大島神社で神楽が行われているという情報があったが、問い合わせ先が分からないまま、当日、神社に行ってみることにした。当時はあいにくの雨であったため、朝8時過ぎに遠くに車を止めて、神社に行ってみると既に氏子が数名歓談していた。聞いてみると9時から神事があって、神楽があるとのことで、機材を取りに向かい、再度、神社に来ることにした。  神社に来てみると神官や氏子がそろっていた。しかし、今日は、事情があり神楽は一番も舞わないと申し訳なく告げられた

    大島神社神楽口上

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    村角高屋神楽の準備風景(宮崎県宮崎市村角)

    村角高屋神楽の準備風景(宮崎県宮崎市村角)

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    『宮崎新聞』にみる千人針風景

     当時の新聞には、千人針風景が見事に描写されており、戦争への市民の高揚感が伝わってくる。ここでは、とりあえず昭和十二年七月から十月までの時期に、千人針の記述の見られる『宮崎新聞』の記事を眺めることで、当時の時代の雰囲気を理解したいと思う。 新聞①『宮崎新聞(夕刊)』昭和十二年七月二十日付 「 “千人針”の作成に 都高女生が街道進出 道行く人に呼びかく」「尽忠奉公を誓って北支に活躍しつつある吾が皇軍へ贈る銃後大和撫子の真心は澎湃(ほうはい)として燃え涙ぐましい迄に皇軍後援の誠

    『宮崎新聞』にみる千人針風景

    的祈念祭

    的祈念 宮崎県日向市細島 令和6年2月23日~24日 23日 ・22時~日蓮宗妙国寺住職が御開山にて法要 御鉾神社脇の通りを右に上がると御開山がある。 日要上人が本要寺を開山した場で、日要の自筆「南無妙法蓮華経」が記された墓がある。その墓前に棚が作られ、左から焼いた鯛2尾、米、塩、生の鯛2尾が供えられている。下段の左に的射の弓矢が置かれている。 この法要は未見であるが、住職によると22時にも住職のみで行ったという。 ・24時~妙国寺住職が御開山において法要 本厄、前厄

    宮崎八幡宮の水神

    宮崎県宮崎市の県庁近くにある宮崎八幡宮の境内裏に多くの水神様が祀られているという情報をいただき、確認してきた。

    宮崎八幡宮の水神

    原田喜一郎『大宮崎建設論』

    原田喜一郎『大宮崎建設論』草明舎、昭和16年 一般図書館に所蔵が無いようなので、ここにアップします。 後日、原田喜一郎については紹介しますが、民謡研究者、原田解先生の父親です。毎日新聞の記者として活動後、宮崎市会議員となります。

    原田喜一郎『大宮崎建設論』

    田代泰蔵 著『難治県日向の解剖』

    田代泰蔵著『難治県日向の解剖』伊牟田鉄磁、昭和8年 目次 難治県日向の解剖 標題 目次 新縣廳舍の竣工/1 果して難治縣か/2 地方長官の異動/5 知事の選擧違反/7 不運の大迫元繁氏/11 違反摘發の端緖/14 西臼杵郡の違反/16 大公判開廷の日/18 鈴木檢事の大論告/20 其夜の縣民大會/30 違反告發の動機/34 民政支部の大勝/37 去り行く古宇田氏/41 極秘がもれて/48 暴力團の橫行/51 山岡知事の挑戰/56 女帥移轉案の上程/57 消防隊の暴動/82

    田代泰蔵 著『難治県日向の解剖』