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楢木範行年譜8 旅の覚書 昭和10年

楢木家に遺された資料の中に年代不詳の新聞記事があったので、特定作業を行っていく。

「旅の覚書 郷土研究者のために」と題された記事は、上下二編にわたって掲載されており、前半は東京での活動報告、後半は鹿児島県内の調査報告である。柳田国男の還暦を機に全国から研究者が集まったのは、昭和10年で、8月13日に甑島に渡っていることからこの記事は、昭和10年8月末から9月上旬頃のものと予想される。

「旅の覚書 郷土研究者のために(上)」
一、東京に於て
(イ)日本民俗学講習会
「日本民俗学の生みの親であり、育ての親である柳田先生の、還暦を有意義に記念するために、先生の誕生日である七月三十一日から八月六日まで、日本民俗学講習会が、神宮外苑の日本青年館で開催ゐた。
此の講習会は、そこらあたりのお座なりのものとは趣を異にしてゐたことは嬉しかつた。講師も皆■員と一緒に終始独講された。先生の奥さんや、お嬢さんもずつと出会された。毎日午後は座談会で最後には講義の批評までゆるされた事等々であつた。」
(ロ)全国的座談会
「午後の座談会は最も有意義であつた。」
「此の一週間に亘る座談会に於いて、最も愉快に感じたことは、外国からは、お互に異国人視位までしてゐる大都会の心臓に住む人々の生活様式と、田舎ツペと呼ばれる地方人の生活様式とは少しも変らない事をはつきつり把握した。むしろ、或方面に於ては、新しがりの地方人より、より以上に二歩的である。」
(ハ)民謡の夕
「最近ピアノ音楽論で有名な兼常博士が、レコードに採録した、大島民謡を聞く夕が催された。」
(ニ)アチツク、ミウゼアム
「八月四日午後五時から、三田の渋沢子邸内の、アチツク、ミウゼアムを見学した。」
(ホ)民間伝承の会生る
「御賛成の御方は小生まで、御通知ありたし。」と民間伝承の会の鹿児島県の窓口となるが、『民間伝承』に投稿することはかなわなかった。
二、甑島に於て
(イ)予定変更
「東京からの帰途は、五家荘調査の予定で上京したのであつた。此の調査は私自身思ひ立つたのではなく、九大の吉町講師から申込まれたのであつた。吉町氏は、初めは共同調査をすると手紙であつたが、次には、自分は壱岐の方の調査(方言)が忙しいから君一人で行つてくれの手紙であつたので、私も有り難く快諾したのであつた。」
※九大の吉町氏とは、九州帝国大学法文学部の吉町義雄のことで、楢木家に昭和11年1月21日の書簡が遺されている。
「しかし、東京に行つて見ると、五家荘は、此の七月初旬に、先輩早川孝太郎氏が調査したことを知つて、自分が行くことは殆んど無意味に近いことを知つて、急に予定を変更して、甑島の調査を思ひ立つたのであつた。このち調査には準備をする暇がないので、思ふ様な調査は難かしからうと思つたが、不思議に或期待を持ち得た。十日に東京を発つたが、西に下るに従つて嵐であるので、十二日まで大阪に避難し二時間おくれた急行を拾つて、下関まで、九時間四十分と云ふ特急以上のスピードで走つてくれたので、門司発の最終にやつと間に合つて、串木野から船で、十三日の午後五時に、下甑の藺牟田に第一歩を印した(未完)」

「旅の覚書 郷土研究者のために(下)」
(ロ)藺牟田雑記
(ハ)手打名義
(ニ)八朔と稚児衆
(ホ)手打雑記
(ヘ)瀬々浦古事記
(ト)黒宗異聞
(チ)その他


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