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広原の池干し

平成20年の記事

今日行った池は宮崎市大字広原字極楽寺という集落にある大迫池という場所であった。故日高重孝氏が歴史調査でよく来られていたという歴史的にも古い土地らしかった。その点は後日確認する。広原のなかでも神楽を伝承するこの地極楽寺には広原神社も鎮座する。年2回の社日様の神楽と秋の大祭に神楽を舞う。今年は11月2日(日)である。以前は11月15日であったという。
この極楽寺の大迫池は実は以前松村氏と調査に訪れたところであった。恥ずかしながら、池の場所をすっかり忘れていて、現地に行って気づいた次第である。平成4年だったと思う。松村氏のビデオで加藤敦氏のウギ作りを撮影させていただいたのである。その数日後、松村氏は参加せず、私だけが県史編さん室のVHSのビデオを担いで撮影に行ったのである。
 大字広原は、麓・中島・極楽寺・畑(はた)・神向(かんむき)の5集落からなり、姿池・山王(さんおう)池・下大迫池・上大迫池・南迫池・舞山(もやま)池・新(しん)池・切通(きりとおし)池・寺迫(てらんさこ)池・千鳥が迫(ちどりがさこ)池(上・下)・小池の12の溜め池がある。
 広原及び隣接の島之内の一部では、広原水利組合があった。現在は、住吉土地改良区という形で大きな組織となっている。広原水利組合の範囲には、140町歩の田がある。その半分を前述した12の溜め池の水でまかなうのである。
 広原水利組合は、組合長+副組合長+会計がおり、広原(極楽寺・神向・中島・麓・)と島之内(下の園・宿森)の6集落には、それぞれシタブレ(下触れ)・ミズヒキ(水引き)・セキモリ(堰守)が毎年の総会で選ばれていた。シタブレは、会を開いたりする理事役である。ミズヒキは、水が均等に行き渡っているかを監視する役目で、田を一つ一つ見て回らなければならない大役である。現在は、ミモリヤクといい、その役割は縮小している。セキモリは、多くの場合ミズヒキが兼任することが多かったという。セキモリの役目は、溜め池の水の調整である。雨が降り、水位が高くなりそうなときには、夜中でも出ていって、池の水を抜かなければならない。今では、機械的で簡単に操作できるが、以前は、木の栓を抜き取らなければならず、水圧がかかるととれなくなるのである。これらには現役を引退した人が主に当たり、本人が辞退しない限り続けて当たった。
 こうした溜め池の維持管理の一つに、池干しがある。宮崎では主に池干しといい、高鍋あたりでは池ガカリとも言うそうである。秋の時期に、溜め池にたまった泥を吐き出させ溜め池の保水量を保つための工夫である。集落や近隣の人々が多く集まり、鐘の合図とともに池に入る。様々な道具で、コイやエビ、昔はフナ・ウナギ・ナマズなどを採るために歩き回ることで、泥が撹拌されて、ここで水を落とすと多くの泥が吐き出されるのである。道具には、ウギ(ウグイ)でコイを、エビはフルイ、ザル、網などを使ってとる。
 ウギには、円柱形に近い形のもので上部からコイを取り出す方式と、円錐形に近い形で側面から取り出す方式がある。広原では、前者が古く、後者は比較的新しいという。ウギは、水を落として浅くなった池の海面に被せては上げ被せては上げを繰り返し、コイがその円の中に入っているか反応を見ながら歩き回る。コイが入っていると強い反応があり、その瞬間強く被せて脇から逃げないようにしておく。ウギの円のなかに囲まれたコイを上部の取り出し口から逃げないように要領よくコイをつかんで取り出すのである。


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