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人生の転換期の始まり

中学2年生のある日の夕方、母親は寝室の隅に正座して、カーテンをしめた薄暗い部屋で独り言をつぶやいていた。

その独り言はおそらく一晩中続いたのだろうと思う。
僕は隣近所の親類の家にその日は泊まった。
あまりの出来事にショックと混乱があった。
まるで別人格の顔で壁に向かって独り言を話す母親。
そういうのはテレビの世界かまるで他人事だったから。

次の日、母親は精神科に受診。統合失調症と診断されそのまま入院。
2年半の入院生活。

そこから、僕の人生が大きく変わりだした。
そんなことは自分でも全く予想していなかった。

母親は、高校生の時に精神的に不安定になって、後にノイローゼと診断。
精神病院に入院したという。
何年入院していたかは不明。その後も薬は飲んでいたよう。
精神薬、睡眠薬、下剤など飲み続けていた中で、僕は生まれている。

僕は4歳くらいの時から、母親は神経質で疲れやすいのか、寝ている時間が多いと感じていた。
母親の様子を伺いながら、気を使っていたと思う。
言いたいことを言えない、表現できない、我慢する、諦める、自信がない、
不安感、愛情不足感などは母親の影響を受けたと後で知った。

半年くらい過ぎてから面会の許可が出る。
会いに行った時は衝撃を受けた。

「今までイメージしていたお母さんはいなくなってしまった」
そう思った。まるで生気がなく、目がうつろ。別人のようだった。
その当時は相当ショックだったけど、そのことはあまり考えないようにしていた。
母親は病気だからまた治るのだろうと思っていた。
また、統合失調症のことが全く分からなかった。

母親が退院してくるまでは、僕と父親、そして犬、猫との生活。
中学生の記憶が一番薄く、ある意味灰色だったかもしれない。

人と距離を置いて付き合う癖が小さい頃からあり、友達はできるけど
関係が深くなることはなかった。
むしろ、自分から距離を置いて離れていく。

ただでさえ、家庭の中で勝手に寂しさを感じていたのに、学校でも不安感や寂しさ、もどかしさなどを感じて生活していた。
それでなくても、中学の時の成績は中の下。体育は得意ではなく、足も遅く体力もない。
なんの取り柄もない、自信のない子、そんな感じだった。

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