杉山鎮

協生農法、自然農が好き。介護の仕事をしながら、生きる道を模索。 食べれば元気になる、木…

杉山鎮

協生農法、自然農が好き。介護の仕事をしながら、生きる道を模索。 食べれば元気になる、木の実、野菜、山菜などを育てるべく、今は小さな面積で実験中。 食、医療、整体などに関心が強い。父の脳梗塞、母親の統合失調症の介護経験があり、介護には縁がある。

マガジン

  • 介護業界を語る

    介護業界で20年仕事をしてきた経験から介護を包み隠さず裏側まで語ります

  • 母親は統合失調症

    母親は18歳でノイローゼの診断。49歳~83歳まで統合失調症でした。子供の立場からみた親の統合失調症の記録。

  • カンブリア農園シリーズ

    農薬や肥料を使わず、草や他の動植物が共に育つ菜園。 まだまだ学び中ですが、今後は広い土地に移転予定。 日常の菜園の様子や気付きをレポートします。

最近の記事

自分の生きる道

インターネットのおかげで様々な情報が入ってくる。 そのおかげで自分のやりたいこと、行動の指針が揺さぶられることが多発。 人の言葉や思いを知って感化されるのはいいが、影響を受けて自分の軸を 崩してしまっては元も子もない。 なのでこのあたりで自分のことを整理しておきたいと思う。 日本を見渡してみれば、コロナとワクチン接種の状態化、人口減少による過疎化、外国人の増加、日本の資源や物件の外資による買収、食や農に関する法改正、外国の進出による戦争の可能性、物理的戦争による侵略

    • 何がしたい?

      2024年2月。節分が終わり本格的に新年開ける。 そうして、1週間経過。 あらためて、自分は何がしたい? 人生をかけて。生涯を通して。 そんな問いが浮かぶ。 それで考えてみた。 1,何がしたい? その問いは生涯をかけて自分がしたいと思うテーマ。 それははっきりとしている。 自然農。野生と同じような環境で育った農産物。 自然の循環。自然界の仕組みを知る。探求。 レベルの高い食材をできるだけ多くの人に届け、今ある体調不良や病気の改善に貢献すること。 あらゆ

      • 介護施設の選び方④職員の言葉遣い

        介護職員の言葉遣いは非常に重要だと思っています。 お客様を呼び捨てにするホテルがあるでしょうか? 〇〇さん~今はだめ。ちょっと待って。そこに行って。今からお風呂だよ。 ごはん!歯磨いて。トイレ行くの?おやつ食べて。はい、お茶! 9割以上の介護施設が該当すると思いますが、職員の言葉遣いが甘いということ。 介護はサービス業という認識が乏しく、利用される方にタメ口で話す、あだ名やちゃん付けで呼ぶ。 こういう事業所は本当に多い。 だからこそ、職員が敬語や丁寧な言葉、親しみ

        • 介護施設の選び方③施設の設備や備品を確認

          介護施設入所する際に、簡単にチェックできる項目があります。 それはズバリ、壊れたままで修理していないところがないかどうか。 施設入所のために見学をされると思いますが、例えばこういうところはないでしょうか? トイレが壊れたままになっている 壁紙や居室内に目立った傷がある 実際には洗濯用の乾燥機が故障していたり、浴室の機械、ドアや扉など、 施設見学では分かりづらいところもあるのですが。 故障したまま放置されているのは、 直す気がない 修理にかけるお金が無いか、渋っ

        自分の生きる道

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        • 介護業界を語る
          3本
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          0本
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          2本

        記事

          介護施設の選び方②飲食物は施設管理が常識ですが・・・

          介護施設生活において、家族からの差し入れや本人持参の食べ物や飲み物を、職員事務所で預かる施設はかなり多い。 認知症、糖尿病、脳梗塞後遺症、統合失調症、高血圧、難聴、視力障害、関節痛、腰痛など実に様々な心身の不調がある方が介護施設には入所しているわけですが、その方々の体調管理のために飲食を管理しているところが多いわけです。 とういうのは医者や看護の言い分なことが多い。それに従う介護業界。 現実は自分の食べるもの、飲むものすら管理されて不満がたまる方がほとんど。 それはそ

          介護施設の選び方②飲食物は施設管理が常識ですが・・・

          キングダムで涙

          ようやく観ることができた映画「キングダム3運命の炎」 前半ですでに涙。 秦王嬴政(えいせい)の過酷なる幼少時代。 その精神的ダメージを引きずり抜け出せない秦王であるが、人との出会いにより、過去を克服。 自分を取り戻す。 忌まわしき過去が経験、思い出となり、自分の生き方を定めてくれて、エネルギーまでくれる。 おまけに自分らしさを取り戻し王様てしての風格を身につける。 現代でもよく話ではありませんか! 過去のトラウマやつらい経験から今もなお苦しめられている。 そんな人は多くい

          キングダムで涙

          【介護施設の選び方①通気口を見よ!】

          親が急に介護状態になってしまった。 自宅では面倒みれないから、預かってくれる介護施設を探さないと。 でも、介護施設を選ぶ基準が分からない!!! そんな方は多くないですか? 気がつけば介護施設で20年以上働いているすーさんが、施設選びのコツを 余すところなくお伝えしていきます! 本日は第1回目ですが、なかなか気付くことのできないチェック項目を教えます。 それはズバリ、「換気口をチェックする」です。 介護施設には換気口がトイレや食堂、浴室などを含め多く配置されてい

          【介護施設の選び方①通気口を見よ!】

          親とのお別れで後悔しないために

          自分の親や親族が介護の状態になり、次第に弱っていく。 そのような姿を見て、諦めてしまう方も多いのではないでしょうか。 また、介護の状態になった方ももう終わりと諦めてしまうかもしれません。 しかし、終末期に移行してからの身体の変化の過程を知ることでこれからすることが見えてきます。 そのようなことを現場で見てきたことを元にして書いてみたいと思います。 今日の記事で介護の状態にある人の残りの人生の時間がなんとなく見えてくると思います。 また、家族や周囲の人たちも、だいたいの残

          親とのお別れで後悔しないために

          これから本当に必要になると思う農産物

          和菓子や果物などの甘いものは大好物。だから、つぶあん、こしあんは絶対必要! 特に好んでいたのはみかん、柿、びわ、いちじく、いちごなど。梨、ぶどう、りんごなどもよく食べました。 しかし、今はスーパーで買って食べようと思う果物が少なくなりました。 甘すぎたり、甘みがなかったり、酸味やエグミが強かったり。 今は夏ですが、みかんやビワ、レモン、ぶどうなんかも並んでいます。 この時期だと、スモモ、桃、いちじく、ブルーベリー、ブラックベリー、スイカ、ウリ、メロンくらいかなと思っ

          これから本当に必要になると思う農産物

          樹木に絡みつくいんげん豆

          5月の後半か6月に入ってから蒔いたいんげん豆ボルロット。 いんげん豆に赤い斑点が入る珍しい外国産のもの。 豆だけでなく若いサヤも食べることができる。 乾燥して保存することもできる。 とても万能で、葉や姿が大きく勢いのあるいんげん豆。 今はユスラウメの枝に絡みつきながら上を目指している。 一般的には支柱を立てていんげん豆をからませる。このほうが収穫は楽で 草管理がしやすく収穫量が多いとされているから。 しかし、7月になるともう真夏の気温。直射日光を浴び続けるのは

          樹木に絡みつくいんげん豆

          父親の脳梗塞から始まった菜園生活

          介護の仕事をする前から、実は農業には関心があった。しかし、行動するエネルギーがなく保留となっていた。 父親の脳梗塞をきっかけに、親戚から借りていた2aほどの畑を父親から引き継ぐ形で借りることにした。 農的暮らしをしたいと思っていたので、なんの考えなしにすぐに借りることを交渉。 自宅の周囲や部落は全部慣行農法だったので、それは避けたいと思っていた。 モンシロチョウしかいないキャベツ畑。ネギに何度もかける農薬。農薬や肥料の臭いが窓を貫通して家の中に入ってくることがしばしば

          父親の脳梗塞から始まった菜園生活

          思ってもみなかった介護の始まり

          自分がやりたくはないと思っていた介護を父親にすることになった。 父親はなんとか話すことはできるが以前のようにスムーズではない。視力も低下した。 左手、左足が特に思うように動かず、家の中の廊下はなんとか歩くことができるが、段差を降りることは厳しい。 外は杖があっても1人では歩けなくなった。ベッドをレンタルで借りて、トイレは簡易トイレを使用した。 まだ、自分で出来ることが多かったので、誰かに教わらくてもなんとか面倒をみることができた。 特に問題なく日々が過ぎて、半年ほどして母親

          思ってもみなかった介護の始まり

          灰色の人生の足音

          会社を退職する直前、農業をしてみたいとふと思った。 海外農業研修のような情報を見つけて行ってみたいと希望だけ胸ふくらませて。 その後も、島根県の1年間の体験に応募しようと何度かしたが結局連絡せず。 新しいことを始めるのがよほど怖かったのか。悶々として悩んでばかりだった。 やりたいことは見つからず、アルバイトとして働きはじめた佐川急便の夜勤は2週間後に肺炎になりかけ辞める。 それでぶらぶらと過ごすようになった。 それは単純に甘えているだけで、自分で切り開く力、やる気、気持ちが無

          灰色の人生の足音

          母親との別れは新たな始まり

          【母親との別れは新たな始まり】 母親が入院先の精神科の部屋にて心肺停止で発見されたと突然の連絡。 もともと蘇生措置は希望していないためそのまま、 死亡確認となった。 精神科へ再入院して7年ほど経過。 今の精神科すでに4回目の入院。 忘れもしない。僕が13歳の時、学校から帰宅後。 寝室のカーテンを閉めて、暗い部屋で壁に向かって正座をして独り言を続ける母親。 ここから始まった統合失調症。 正確には、母親は高校生の時から精神不安定で、結婚するまでの間にノイローゼの診断で入院

          母親との別れは新たな始まり

          家族としての安定期

          僕が高校2年生の時。 母親が退院してきた。その姿、以前とは違っていた。 目に力がなく表情は冴えない。言葉に力がなく身体の動きがゆったり している。 ショックだった。もう普通の人ではないんだなと感じていたと思う。 いずれ、元に戻るだろうと思っていたけど、そうはならなかった。 精神薬のせいか、寝る時間が増えていた。午前、午後、夕食後など寝てしまうこともしばしば。 お風呂に入っていて寝てしまうこともあって、30分、1時間してから起こしに行ったこともある。 普通の人のように動くこと

          家族としての安定期

          人生の転換期の始まり

          中学2年生のある日の夕方、母親は寝室の隅に正座して、カーテンをしめた薄暗い部屋で独り言をつぶやいていた。 その独り言はおそらく一晩中続いたのだろうと思う。 僕は隣近所の親類の家にその日は泊まった。 あまりの出来事にショックと混乱があった。 まるで別人格の顔で壁に向かって独り言を話す母親。 そういうのはテレビの世界かまるで他人事だったから。 次の日、母親は精神科に受診。統合失調症と診断されそのまま入院。 2年半の入院生活。 そこから、僕の人生が大きく変わりだした。 そんな

          人生の転換期の始まり