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全ては安らかな夜のため2022 #パルプアドベントカレンダー2022



本編

 1549年12月24日 九州・薩摩藩某所。

 当時、薩摩藩を統治する島津家は内部で対立が起きていた。
 島津本家に仕える重臣に裏切りの疑惑が上がる。その重臣は島津分家に寝返ろうとしていた。
 本家はある忍者に暗殺命令を出した。暗殺の標的は裏切りの重臣本人ではなく、彼の長男だ。幼い世継ぎを殺すことで、重臣を脅迫し、もって裏切りを止めさせようとするのが目的だった。

 忍者は難なく重臣の屋敷に忍び込み、標的の目の前までたどり着く。
 まだ幼い少年はこれから待ち受ける運命を知らずすやすやと安らかに眠っている。
 忍者は懐からクナイを取り出し、少年に振り下ろそうとする。
 だが、出来なかった。

 忍者にとって子供を殺そうとするのは今回が初めてではない。これまで何度も殺してきた。だがそのたびに、彼の心は摩耗していた。良心を氷の中に閉じ込めていたはずだが、子供を殺すたびに、その良心が悲鳴を上げる。

 結局クナイを振り下ろせなかった。限界だった。器から水があふれるように、もう耐えられない。
 忍者は屋敷から立ち去った。これからどうするべきか考える。
 いや、始めからするべき事は決まっている。

「腹を切ろう」

 切腹し、地獄へ落ちる。それが自分にとって相応の報いであると忍者は考えた。
 その場に座り込み、いざ切腹というその時、地面に邪悪な光を放つ円形の紋様が浮かび上がった。
 紋様からコウモリのような翼をはやした黒い妖怪が現れた。

「大人か」

 黒い妖怪が忍者を見て舌打ちする。

「お前は見逃してやる。用があるのは子供だからな」

 黒い妖怪が重臣の屋敷の方を見る。

「匂うぞ。子供の匂いだ。まさに食べ頃じゃないか」

 忍者は黒い妖怪に手裏剣を投げた。
 黒い妖怪は腕で防御した。手裏剣は皮膚の表面に浅く刺さるだけで、相手に何の痛手も与えていない。
 
「何のつもりだ?」
「子供は殺させない」
 
 妖怪の言葉を耳にしたとき、忍者の中にあった心が動いた。それまで使命を果たすために凍り尽かせていたものが、火のように熱を帯びる。
 忍者は妖怪に立ちはだかる。

「人間は愚かだ」

 黒い妖怪が手のひらか氷の矢を撃ち出す。
 忍者は的確に攻撃を避けて黒い妖怪に肉薄した。
 妖怪の下顎に拳を打ち込む。手応えが明らかに人間のそれとは違う。忍者はすかさず距離を取った。
 
 直後、妖怪が氷の短剣をなぎ払う。あのまま攻撃を続けていれば忍者の首は切り飛ばされていただろう。
 忍者は再び手裏剣を投げる。

「ぐ、毒か!」

 忍者が投げたのは最初のとは違う毒殺用の手裏剣だ。

「これで殺せると思ったのか? 少しばかり気持ち悪いだけだ」
 
 だが即死するほどの猛毒も、妖怪の命は奪えず、せいぜい体調不良にするのが関の山だった。
 勝てないと忍者は悟った。
 だが逃げつもりはなかった。どうせ腹を切ろうとしていたのだ。ならば子供を守るために戦って死んだ方が良い。それが全て無駄な努力だと忍者は承知していた。きっと自分は負けて、あの屋敷にいる幼子は食われるだろう。

 それでも逃げない。なぜなら、良心は逃げるなと言っている。結果の成功失敗は関係ない。
 忍者は妖怪に立ち向かった。どういうわけか戦いが長引くほど妖怪は焦るようになる。

「これ以上、構っていられるか!」
 
 妖怪は忍者を倒すよりも、屋敷にいる子供を喰らうのを優先しようとした。

「逃げるのか!?」

 忍者の放った鋭い言葉は、妖怪を縫い付けるように立ち止まらせた」

「なんだと?」
「妖怪というのは思ったほど恐ろしくないな。ちっぽけな人間一人簡単に倒せない」
「だったら望み通り殺してやる!」

 妖怪が再び忍者を攻撃する。
 挑発した分、攻撃は苛烈だった。忍者はより苦しい戦いを強いられるが、それで構わなかった。
 やがて妖怪が現れてから666秒が経つ。

「しまった、時間が! 現界を維持出来なくなる!」

 妖怪はまるで霧が晴れるように消えていった。 

「驚いた。サンタでもない者が悪魔を撃退するとは」

 背後からの声に忍者が振り向くと、そこには異国の男がいた。最近になって、キリスト教なる異国の説法を広めに来た者たちがいるのを思い出す。

「なぜ悪魔と戦った?」
「悪魔? あの妖怪のことか。あいつが子供を食うと言ったら、自然と体が動いていた」

 忍者は悲しげに「俺にそんな資格なんてないのに」とつぶやく。

「どういう意味か?」
「俺は命令で何度も子供を殺したことがある」

忍者の仕事は常に非情だ。敵だけでなく、守るべき人々すら殺した。そうすることでより多くの守れると信じて。

「君、名前は?」
「名は無い。俺は生まれたときから忍者として……影に生きて忠義を果たす者として育てられた。もっとも、今は果たすべき忠義を失っているが」
「ならば、父なる神に忠を尽くし、無垢なる子供を守るために戦わないか? 君にはサンタクロースになれる才能がある」
「さっきも言っただろう。サンタクロースがなんなのか分からないが、俺にはその資格はない」

 だが異国の男は「あるとも」と力強く言った。

「資格と言うよりも義務と言うべきだろう。君は君が殺してきた以上の子供達を助けなければならない。それで罪が消え、君の魂が天国に行くことはないだろう。しかし父なる神は君がサンタになることを望まれる」

 異国の男の言葉は不思議と忍者の心を引き寄せた。

「私に付いてきてくれないか、名も無き男よ」
 
 自分はもはや地獄に落ちるしかない男だと忍者は思っている。だが、地獄に落ちる前に、一つでも正しいことをしたいという気持ちがわき上がっていた。

「分かった。あなたについて行こう。名を聞いても良いだろうか?」

 異国の男は穏やかに名乗った。

「ザビエル。フランシスコ・ザビエルだ」

 その後、名も無き忍者はザビエルから洗礼を受け、ベルナルドという名を授かった。
 ベルナルドはザビエルから多くを学んだ。
 サンタクロースは子供達に贈り物を届ける伝説上の人物とされているが、実際は密かに悪魔と戦う使命を持った戦士だという。
 
 悪魔は毎年12月25日になった瞬間に地獄から子供を喰らうためにやってくるという。悪魔は一時的にしか現世にいられないが、子供を喰らうと受肉し、ずっと現世にとどまれるという。
 サンタクロースの真の贈り物とは子供が悪魔に脅かされず安らかに眠れる夜なのだ。
 ベルナルドはザビエルの表向きの仕事を手伝いつつ、サンタクロースとしての修行も受ける。
 
ベルナルドがサンタクロースとして始めて悪魔の討伐を成功させた後、彼はローマへと渡った。時のローマ教皇パウルス4世の呼び出しを受けてのことだった。

「汝が身につけた技をサンタクロースの武術の一つとして認める」

 これがローマを訪れた最初の日本人、「鹿児島のベルナルド」の真実である。


 現代 鹿児島県・聖ベルナルド学園

 礼拝堂に女子生徒がいた。彼女はロザリオの代わりに手裏剣を使って祈りを捧げていた。
 彼女は赤木鳩美。キリスト教徒であり、忍者であり、そしてサンタクロースだ。
 礼拝堂の扉が開き、年配の修道女が現れる。学園の教員だ。

「鳩美さん、今年のクリスマスであなたが戦う場所が決まったわ」

 鳩美は立ち上がり、修道女と向き合う。

「どこですか?」
「ここよ」

 修道女は足元を指差す。

「聖ベルナルド学園はサンタクロース忍法の開祖が初めて悪魔と戦った場所に建てられた。そこに再び悪魔が現れようとしているわ」

 ここは表向きはミッション系の全寮制学校だが、その正体は才能ある者達にサンタクロース忍法を教えるキリスト教忍者の里だ。
 この修道女もかつてはサンタクロースの忍者として悪魔と死闘を繰り広げた女傑である。

「あなたは私の教え子の中で一番の才能があるわ。おそらく開祖を超えるかもしれない」
「先生でも冗談を言う時があるのですね」

 鳩美は師匠からの絶賛を受けても奥ゆかしく振る舞った。

「すぐにクリスマスの準備をします」

 サンタクロースは悪魔を倒す戦士だ。その戦いは常に命懸けとなる。ありとあらゆる準備が必要だ。人々を守る戦いは、悪魔との直接的な戦いだけではない。

「まだ伝えることがあるわ。今回は悪魔が同じ場所に二人現れる」
「過去に例の無い事態ですね」

 毎年悪魔は多数が出現するが、全員別々の場所だ。おそらく狩り場の取り合いをさけるためだと思われている。
 
「でも観測の結果に間違いないわ。ここ数年、悪魔は全て討伐ないし撃退されているから、向こうもやり方を変えてきてるというのが上の考えよ」
「悪魔一人につきサンタ一人が原則です。なら、私以外のサンタも戦いに参加すると言うことですか?」
「そうよ」

 修道女が「入ってきなさい」と言うと、鳩美にとって見知った少年が礼拝堂に現れた。

「増援は黒井さんだったのですね。お久しぶりです」
「半年前のサンタ認定試験以来だな」

 その少年は黒井鋼治。サンタクロース槍殺法の使い手であり、鳩美と同じ試験に参加して合格した者の一人だ。
 それほど面識があるわけではないが、全く見ず知らずの他人よりは共に戦えそうだと鳩美は感じた。

 キリスト教の行事にアドベント期間というというものがある。これはイエス・キリストの降誕を待ち望む期間であり、11月30日の聖アンデレの日に最も近い日曜日からクリスマスイブまでの4週間を指す。
 サンタクロースにとって、このアドベント期間は悪魔と戦うための準備期間である。戦場となる地形の把握、悪魔を逃がさないためのクリスマス用トラップの敷設、作戦の立案などと行う。
 
 鳩美は時間があるときは鋼治と模擬戦をしていた。彼は油断ならぬ槍使いであり、ほんのわずかでも隙を見せれば、針の穴に糸を通すかのような正確さで突いてくる。
 鳩美にとって鋼治と手合わせしたのはとても有意義だった。わずかな期間であるにもかかわらず成長を実感できた。

 一日、一日とクリスマスが近づく中、鳩美は毎日祈りを捧げた。これまで彼女が祈りを欠かさなかった日など無い。体調不良で寝込んだときも、ベッドの上で祈っていたほどだ。
 そのような鳩美の姿勢に、鋼治は少なからず関心を持ったようだった。

「なあ、赤木にとってお祈りって何だ?」

 鋼治が質問をしてきたのはクリスマスイブの早朝、できる限りの準備は済ませており、あとは悪魔が現れるまで待機している時だった。
 キリスト教徒をやっていると、時折心ない現実主義者から意地の悪い言葉を投げつけられるものだが、鋼治の問いには相手を侮辱してやろうという浅ましい気持ちはかけらもなかった。

「俺はサンタだが、今まで神様について深く考えたことはなかった」

 意外なことだが、現代のサンタクロースの多くはキリスト教を信奉していない。むしろ鳩美のほうが少数派だ。
 サンタクロースは悪魔を倒す超人の戦士であるため、しばしばキリスト教は彼らの戦闘力を人間同士の戦いで利用しようと目論むことがあった。そのため現在のサンタクロース組織はキリスト教本体からは一定の距離を置いている。
 鳩美がキリスト教徒なのは別にサンタだからではなく、単に信仰の自由によるものだ。

「あんたは現実的な考えを持ってる。それでも真剣に神へ祈ってる。信仰心を持ったことがない俺では見えない、なにか大きな理由でもあるのか?」
「私自身、そう敬虔な信徒ではありませんよ」

 そう前置きをして鳩美は言葉を続ける。

「私の祈りは、神が見守ってくださるのだから頑張ろうという気持ちを、再確認するためのものです」
「努力するための心の支えって訳か」
「ええ。黒井さんもそういうのをお持ちでしょう? でなければサンタクロースになるための厳しい修行に耐えられるわけがありません」
「まあな」

 その時、鋼治の目がかすかに揺れた。思い浮かんだ言葉を口にするべきか悩んでいるようだ。
 鋼治は言葉を出す方を選んだ。

「俺も似たようなもんだ。神様じゃなくて、死んだ妹だがな。10年前に悪魔に襲われて食い殺された」
「では敵討ちのためサンタに?」

 鋼治は自嘲気味な笑みを浮かべる。

「最初はな。でも3年前にその悪魔が発見されて討伐された。仇討ちの必要がなくなって、当時の俺は後の人生をどうしようか悩んでいた。そして悩んだ末、妹に恥ずかしくない男でいようと思った」
「私も黒井さんも、自分以外の誰かに対して誠実であろうとしているのですね」
「そうだな」

 これまでの鳩美と鋼治は、互いに仲間という意識が薄かった。単に、一人では無理だから仕事を分担する。その程度の認識だった。
 だが今は、二人は少なからず心の繋がりを感じていた。
 
 鳩美は鋼治に共感した。父なる神だけでなく鋼治が見守っているのなら、今夜の戦いは必ず勝つと決意した。

 鋼治は鳩美に共感した。妹だけでなく、鳩美に対しても恥ずかしくない男として必ず悪魔を倒すと決心した。

 そして二人のサンタクロースは悪魔との戦いに臨む。

 12月25日0時。
 聖ベルナルド学園の中心部にある中庭に鋼治と鳩美がいた。ここがサンタクロース忍法の開祖ベルナルドが悪魔と遭遇した場所だ。
 二人は共にそれぞれの流派に合わせた戦闘用のサンタ服を身につけている。
 数百年前と同様、再び魔方陣が現れる。

「ホーホーホー」
「ホーホーホー」

 サンタクロースの超人化呼吸法を鳩美と鋼治は使う。
 やがて魔方陣から悪魔が現れる。予測通り二人だ。一人は女悪魔で大鎌を持ち、もう一人は男悪魔で素手のままだ。

「大鎌は俺がやる。赤木はもう一人を。全ては安らかな夜のために」
「分かりました。全ては安らかな夜のため」

 大鎌の女悪魔が鋼治に向かって手招きする。

「いらっしゃい坊や。ここじゃなんだから場所をかえてやりましょう」

 鋼治は言葉ではなく槍を突き出して返答した。
 女悪魔はあっさり避けた。鋼治としても真正面からの単調な攻撃で当てられるとは思ってない。
 女悪魔はある方角へ向かった。その先は、聖ベルナルド学園に併設されている孤児院がある。戦う場所を変えると言いつつ、獲物の近くへと向かう悪魔らしい狡猾さだ。

 幸いにも女悪魔は翼を持っていない種族だった。女悪魔はおそらく子供の匂いをたどって孤児院へと向かっているのだろう。だが方角は分かっても土地勘はない。
 鋼治はアドベント期間中にベルナルド学園の敷地を完璧に把握している。先回りして、孤児院の門で待ち構えた。

「ここから先は一歩も行かせない」
「可愛いわね。いっぱしのサンタを気取っちゃって」

 蹴った足下のアスファルトがひび割れるほどの強さで女悪魔が突進する。
 首を狙った一撃。鋼治は足を深く曲げて、大鎌をくぐり抜ける。そして心臓めがけて槍を突き上げた。
 女悪魔は社交ダンスのように体を回転させながら鋼治の槍を躱しつつ、遠心力を乗せた二撃目を繰り出す。

 鋼治はバク転して大鎌を飛び越えた。空中で体をひねりつつ、上下逆さまのまま槍で突く。だが大道芸のような攻撃では正確さに欠け、心臓ではなく肩に刺さった。しかも浅い。
 着地した鋼治はいったん距離を取る。
 
「やるじゃない」

 女悪魔は肩から流れる自分の血を指ですくって舐める。

「まさかと思うけど、攻撃を当てただけで勝てるなんて思ってないでしょうね?」
「当然だ。お前はまだ魔術を使っていない」

 にやりと笑った女悪魔は大鎌を振るった。どうみても刃が届く間合いではない。
 だが、届いた。
 大鎌の柄が伸びて鋼治に襲いかかったのだ。
 予想外の攻撃だ。だが、鋼治は始めから予想外の攻撃自体を警戒したのでさけられた。
 悪魔は魔術と武術を使う。サンタにとって相手が未知の戦法を使ってくるのは当たり前なのだ。

「それがお前の魔術か」
「ええそうよ。魔力物質化の魔術で作ったこの武器は、私の望み通りの形になる」

 女悪魔が武器を槍に変形させた。鋼治に対する侮辱の意味も込められているのだろう。 先ほどの大鎌と同じく、槍が伸びて襲いかかる。単調な攻撃だ。ここで鋼治が相手の武器を弾けば、槍が伸びている分、遠心力が働いて女悪魔は体勢を崩すだろう。
 その考えが脳裏をよぎると同時に鋼治は嫌な予感がした。
 鋼治は横に回避するのを選ぶ。

 先ほどの予感は的中した。攻撃が命中する直前、女悪魔の槍の穂先が手のひらの形になって、鋼治の槍をつかもうとしたのだ。もし、鋼治が自分の槍で攻撃を弾こうとしたら、逆に武器を奪われていただろう。

「さすがにそこまでマヌケじゃないようね」

 女悪魔が武器を槍から双剣に変形させる。
 槍を使う鋼治にとって双剣を使う相手に間合いを詰められては不味い。彼は決して大きく振りかぶったりせず、刺突やコンパクトな斬り払いで相手を近づかせないよう牽制する。
 女悪魔は何度も武器を変えて攻撃してきた。大剣、弓、ハンマー、トンファー。中には鋼治が名前を知らない珍しい武器もあった。どの武器も女悪魔は一人前以上に使いこなしていた。

「人間が習得できる武術はせいぜい一つか二つ。でも私は悪魔だから何百年もかけてたくさんの武術を身につけられる。悔しいでしょう?」
「別に」

 鋼治は真顔で答えた。

「お前のは自己顕示欲を満たすだけの素人芸に過ぎない」

 女悪魔の頬に朱が入った。いくら悪魔でも自分の努力を馬鹿にされれば腹が立つようだ。 悪魔が武器を最初に使っていた大鎌に変えた。もしかすると一番得意な武器かもしれない。

「死ね、クソガキ!」

 女悪魔が攻撃する。怒りと殺意がこもった苛烈な攻撃。この戦いで彼女が放った唯一で最後の本気の攻撃だ。
 鋼治の槍の穂先が月光を受ける。
 女悪魔が見たのは夜闇に走る閃光だ。
 彼女の眉間に鋼治の槍が刺さっている。

「何百年も費やせるなら、一つの武芸を極めるべきだったな」

 遊び半分でただ手数を増やした者と、人生を費やしてでも一つの道を究めようとした者。それが鋼治と女悪魔の差だった。

 鋼治が女悪魔と戦う一方、鳩美の方も男悪魔との戦いを始めていた。
 男悪魔の戦い方は特定の武術を感じさせなかった。空手のようでもあり、中国武術のようにもボクシングのようにも見える。単純に拳と蹴りを使った基本中の基本ともいえる打撃を繰り返すのみだ。
 魔術すらも使っていない。大抵の悪魔は殺傷力の高い炎か雷の魔術を使う、この相手の魔術は攻撃に向かないのかと鳩美は考えたが、すぐにそれもおかしいと否定する。

 悪魔にとって魔術は誇りだ。戦う時は必ず使う。使わないまま戦いを終わらせるのは恥じと思うのが悪魔の価値観だ。
 鳩美は悪魔が何かを探っているかのように思えた。
 
「やっぱりだ。お前は前にここで戦ったやつの技を受け継いでいるな」
「まさか、開祖が始めて戦った悪魔?」

 鳩美は即座に距離を取る。記録に寄れば開祖が戦った悪魔は魔術で氷の矢を放つはずだ。

「そうだ。忍者は俺の名誉にケチをつけた!」

 悪魔が魔術をつかった。だがそれは氷の矢ではない。
 それは《《氷の手裏剣》》であった。
 サンタである以上、鳩美は予想外の攻撃はあって当たり前の心構えでいたので、その攻撃は難なく回避した。しかし悪魔が手裏剣を投げた事実に少なからず驚きを感じたのは事実だ。

「悪魔の、忍者……」

 それが鳩美の目の前にいる敵だ。

「何百年もかけて俺は自分の忍法を生み出した。それを使ってこの世全ての忍者を殺し、俺だけが唯一の忍者になる。そうやって忍法を征服しなければ、俺の汚名はそそがれない!」

 悪魔忍者が両腕を振るうと多数の氷手裏剣が襲いかかる。
 鳩美は素早く自らも手裏剣を投げ、自分に直撃するものだけを打ち落とした。
 悪魔忍者は氷手裏剣を投げる。何度も。何度も。手裏剣が氷の魔術で際限なく生み出される鳩美の手裏剣は有限だ。正面切っての撃ち合いは必ず負ける。
 鳩美は走った。それを手裏剣重機関銃の斉射が追いかける。流れ弾に当たった中庭の樹があっという間に削り倒された。

「あっはっはっは!」

 樹が倒れる音と悪魔忍者の哄笑が重なる。まるでネズミをいたぶる猫のようだ。
 直後、まるで増長に釘を刺すかのごとく、悪魔忍者の肩に手裏剣が刺さった。
 最初、悪魔忍者は鳩美が自分の手裏剣を投げ、それが命中したと思った。だが、刺さったのは氷の手裏剣。悪魔忍者が氷の魔術で生み出したもだ。
 もし、この場にサンタクロース忍法の開祖ベルナルドがいたのなら鳩美に「お見事!」と喝采を送っただろう。
 そう! 鳩美は手裏剣の連射を躱しつつ、その一部を受け止めて投げ返していたのだ。

「人間ごときが!」
 
 自分の投げた手裏剣を利用された悪魔忍者は頭に血が上る。手裏剣一枚が刺さったところでたいした傷にならない。だがそれ以上に彼は自尊心を傷つけられた。
 悪魔忍者は手裏剣の生成を止め、手のひらから霧のような雪を噴出しはじめた。
 霧雪はあっという間に鳩美の周囲を取り囲み、視界を奪う。
 白い闇の中に影が浮かび上がる。
 
 かすかに空気を切り裂く音。悪魔忍者が氷手裏剣を投げたのだ。
 鳩美は氷手裏剣を受け止め、影に投げ返す。
 不可解なことに影は……悪魔忍者は避ける素振りを全く見せなかった。
 投げ返した氷手裏剣が影を貫く。すると影はまるでガラスのように砕け散った。
 近づいてみるとそれは氷で造られた像だ。

 背後に殺気。振り返ると氷像が手刀を振り下ろそうとしていた。
 鳩美はナイフのように鋭く研がれた手刀を躱す。
 視界を奪っていた雪の霧が晴れる。鳩美はいくつもの氷像に取り囲まれていた。

「これが俺の編み出した技! 〈忍法・氷像分身の術〉だ!」
 
魔術が使えない人間の忍者には逆立ちしたって出来ないだろう。そのような嘲りがこもった声だ。
 鳩美は即座に懐から忍具を取り出して投擲する。特殊な燃料を使ったクリスマス用の焼夷弾だ。
 だが氷像達に変化はない。表面すら溶けていなかった。

「人間の浅知恵で作った炎で魔術の氷が溶けるわけないだろう!」

 氷像達が鳩美に襲いかかる。一体一体の練度は悪魔忍者本人よりも大きく劣るので、さほど苦労せず倒せる。だが何度砕いてもすぐに新しい氷像が作られてしまう。
 記録に寄れば悪魔の魔術は射程距離がある。必ず近くにいるはずだ。
 鳩美は氷像を砕きながら悪魔忍者を探す。だが敵は巧妙に姿を隠していた。

「あなたは戦わないのですか?」

 鳩美はどこかにいる悪魔忍者に問う。
 
「人間ごとき氷像分身で十分だ」
「嘘ですね」
「何だと?」

 悪魔忍者の声にかすかな怒気がこもる。

「あなたは私が怖いのです。あなたの弱点を知っている私が」
「でたらめを。俺に弱点などない」
「開祖はあなたの弱点を見抜いていましたよ。だから当時はまだサンタでなくともあなたと互角に戦えたのです」
「……」
「返事がありませんね。ですがもう勝負は決まっています」

鳩美は確信を込めて言った。
 
「すでに私は忍法を使い、あなたの弱点を突いています。二度も人間ごときに負けた愚か者として、地獄で盛大に笑われなさい」

 真上から殺気が豪雨のように降り注ぐ。
 鳩美が飛び退ると、憤怒の表情を浮かべた悪魔忍者が落下攻撃をしてきた。まるで手榴弾が炸裂したかのような着地音と共に小さなクレーターが生まれる。

「気が変わった。直接殺してやる」
「良い判断です。あんな粗末な氷像で遊んでたらあっという間に時間切れですからね。まだ直接戦って負けた方が言い訳もできるでしょう」

 悪魔忍者が氷像と共に襲いかかってくる。
 鳩美は忍者としての技量を最大限発揮し、包囲網をすり抜ける。
 その結果、鳩美の背後から襲いかかってきた氷像の拳が生み出した本人である悪魔忍者の顔面に突き刺さった。

「お粗末ですね。もっと氷像の操作を鍛錬してから現世に来た方が良かったのでは?」

 ぴしりと音が鳴った。怒りのあまり悪魔忍者が歯にヒビが入るほど食いしばったのだ。
 悪魔忍者が獣のような雄叫びを上げながら再び攻撃を繰り出す。だが怒り任せの攻撃は大ぶりで、あっさり鳩美からカウンターを受けてしまう。

「な、何が忍法だ。ただ殴ってくるだけじゃないか」
「あなた本当に忍法を学んだのですか?」
 
 悪魔忍者の言葉に、鳩美はあきれた顔をしながら嘆息する。

「忍者の技をそう簡単に見抜けるわけがありません。そんなことも分からずに、新しい忍法を編み出したと有頂天になっていたのですね」
「殺してやる!」

 悪魔忍者は必死に攻撃を繰り出すがどれも命中しなかった。
 すでに冷静さを完全に失っており、悪魔忍者は先ほど自分が得意げに披露していた氷魔術の分身を使うのを忘れているほどだ。
 打撃戦は完全に鳩美有利となった。
 
 悪魔忍者が拳を繰り出す。力を叩きつけるだけの余りに単調な打撃で、鳩美にあっさり避けられた上に、伸びきった腕をさらしてしまう。
 それを鳩美は見逃さない。関節を極めて腕をへし折る。

 人間よりはるかに強い生命力を持つ悪魔でも腕が折れれば痛みに苦しむ。
 一度の隙がさらなる隙を生む。
 鳩美は悪魔忍者の膝を蹴り砕いた。
 二度の激痛に、悪魔忍者は涙目になりながら崩れ落ちる。

「俺は、俺は悪魔で忍者だぞ! どうして人間ごときに」

 鳩美は答えを与えず、手刀で悪魔の首をはねた。

「あなた達悪魔の最大の弱点。それは私たち人間を侮っていることです」

 信じられないという表情のまま転がる悪魔忍者の首に鳩美は語りかける。

「だから私が挑発すると簡単に引っかかったのです。相手を怒らせて理性を奪う。これが 真の忍者の技、〈忍法・怒車の術〉です」

 本来、忍法とは魔法や超能力の類いではない。諜報活動のための心理術だ。
 それを鹿児島のベルナルドは悪魔を倒すために戦闘に特化させたのがサンタクロース忍法である。
 鳩美は背後に気配を感じた。足音から鋼治と分かる。

「そちらも終わったようですね」
「お互い無事に悪魔を倒せたな」

 後の始末はサンタクロースの支援部隊が受け持ってくれる。悪魔の死体を処分し、戦いの痕跡を跡形もなく消し去る。

「黒井さん、一緒に孤児院の方へ行きませんか?」
「構わないが、なにか用事でも?」
「ええ。サンタとしてもう一仕事しようかと」

 鳩美と鋼治が孤児院へと行くと、ちょうど職員達が孤児達へのクリスマスプレゼントを準備しているところだった。
 職員達はサンタの真実を知っているので。みな子供を守った鳩美と鋼治に感謝の言葉を伝える。
 二人は職員達を手伝い、一つ一つプレゼントを枕元にそっと置く。

「みんな。ぐっすり眠っていましたね」
「ああ。あの寝顔を見ると。サンタになって良かったと思うよ」

 悪魔を相手に命がけの戦いをする価値はあった鳩美は思った。きっと鋼治も同じだろう。

「実は私もあの孤児院の出身でした。赤ん坊の頃、誰かが私を孤児院の前に置き去ったそうです」

 鋼治は何か言おうとしたが、しかし正しい言葉が見つからなかったのか、ただじっと鳩美を見つめた。

「家族がいないのを寂しいと思った事はありますが、しかし孤児院で過ごした日々は間違いなく幸せでした。だから守れて本当に良かったと思っています」
「俺も良かったと思う」
「え?」
「仲間の幸福の象徴を守れたのは、サンタの使命を果たせたのと同じくらい良かった」

終わり  

あとがき


 パルプアドベントカレンダーの参加もこれで3回目となります。
 1回目、2回目に引き続き悪魔と戦うサンタクロースの物語ですが、世界観を共有しているだけで物語としては独立しているので過去作を読まなくても大丈夫です。
 パルプアドベントカレンダーの参加者はニンジャヘッズが多いからと、今回のサンタに忍者をだしました。それにあたり、サンタに忍者がいる理由を考えたとき、ザビエルと忍者が出会ったのがその始まりという構想を思いつきました。
 それで軽くザビエルについて調べてみたら、なんとザビエルから「ベルナルド」という洗礼名を受けた日本人の一人がローマへ行ったことがあると分かったのです。

 これを知ったとき私は「使える!」と思いました。こうして鹿児島のベルナルドが実は忍者であり、ザビエルの導きによってサンタクロースになったという設定が生まれたのです。
 こうして思いも寄らぬ発見によって、私にとって初めて史実とリンクする作品が生まれました。
 明日はRTGさんの「あか、しろ、みどり」です。お楽しみに!

過去の参加作


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