日本の少子高齢化について考える

ここ数年、日本の少子高齢化が叫ばれて久しい。平均寿命が延びるのは喜ばしいことかもしれないが、医療の発達とともに生かされている高齢者も増えているわけで、医療費の負担増につながっている面も否定できない。そのため、最近では「健康寿命」なる言葉がはやり出したようだ。

この点、厚生労働省の指定難病を2つ抱えている筆者としては、あまりでかい口をはさめないが、誰もが苦痛に悶えながら長生きしたい訳はなく、「ピンピン、コロリ」と逝きたいものだと思う。そのためにはどうしたら良いかは、行政に任せるのではなく、自身が考え努力するしか、ないだろう。・・努力したところで結果が保障されるわけではないが。

問題は少子化だ。本当に問題かどうかは異論もあろうが、筆者としては、日本の人口が1億人を割り込むのは好ましくないと考えている。と同時に、1億人を割り込むと、日本全体に危機感も漂い、出生率も一時的にせよV字回復するのではないか、という希望的観測も持っている。

少子化の原因はいくつもの複合的な要素があると考えられる。大元は、社会・経済状況の変化だ。変容と言い直してもいい。バブル崩壊とリーマンショック後の、失われた20年+αを経て、経済の先行きは不透明、不確実さを増し、将来設計が描きづらい。こんな時代、結婚を躊躇するのもわからないではない。しかも新型コロナウイルスによる社会不安も重なっている。

自分の収入さえままならず、じり貧の生活を強いられておるのに、結婚して子供ができたらどうやって育てるのか、まさに死活問題だし、ろくな教育も受けさせてやれないことが明らかとなれば、生まれてくる子に申し訳ないという思いも先に立つだろう。生まれてくる子に自分のような不幸せな、みじめな思いを味あわせるくらいなら、はじめから子供なんてつくらない、と考えるのも無理もない話だ。

また、インターネットの登場と付随するアプリケーション・ソフトウエアの盛んな開発によって、コミュニケーション手段が激変したことによる影響も大きい。余暇の過ごし方も多様化し、2次元の仮想恋愛で十分満足できる若者も増え、いわゆる「草食系」は、もはや奥手を通り越している。

女性も然り。今や女性だって一人で生計を立てて生きていける時代だ。仕事も充実しているし、他にもやりたいことだったってある。結婚して、余計な家事や育児に追われる生活なんて、まっぴらごめんだ。いくら子供に投資したところで、老後の面倒を見てもらえないだろうし、それなら蓄えを使って老人ホームに入居した方が気も楽だ、云々。結婚しない理由などいくらでもある。

男女に限らず、結婚したくとも相手があることだから、なかなか上手くいかずに適齢期を逃すこともあるだろうし、結婚して望んでも子供ができない夫婦も沢山いるのは周知の事実だ。(不妊の原因の一つには、晩婚もあるようだ。)つまり、生活環境とライフス・タイルの変化が少子高齢化をもたらしたと言える。

では、日本の少子高齢化に、どう立ち向かっていくべきか? あるいは、このまま流される・・なるようになれば良い、という向きもあろう。繰り返しになるが、筆者は日本の人口は1億人程度で推移すればよいと考えている。人口ピラミッドのグラフが、富士山形でも菱形でもなく、長方形になることが理想だ。

読者諸氏が筆者のこの考えに同意いただけるものとして話を進めよう。

筆者の思う少子(・高齢)化対策は、高度経済成長時代を思い出すこと、だ。とはいえ、一度手にしてしまった文明の利器を手放すことはできないから、インターネットを捨てて手紙の時代に逆戻りせよ、ということではない。

先ずは、終身雇用・年功序列制の復活だ。考えてもみてほしい。いつ頃から人口増加に歯止めがかかり、減少に転じて行ったのかを。やれ効率性だの成果主義だのと欧米の誤った経営方法を取りいれた結果がどうなったのか? 企業は衰弱しながらも生き残れたかもしれないが、その一方で日本社会全体の活力は失われてしまった。人々は疲弊し、明日の夢を見られなくなってしまったではないか。

将来像が見えないから不安になり、転職も増え、収入もままならない。終身雇用・年功序列が保証されれば、昇給はなだらかにはなるが、ある程度は将来展望も開け、収入も安定し、結婚の意欲も高まるだろう。法律で定年は70歳以上と定め、年金の受給年齢も65歳以上は自由選択にすれば、老後の不安も軽減する。(但し、当然のことながら、早目に退職するのも転職も本人の自由だ。)企業側にしてみても、しっかり人事・人材育成計画が立てられるから決して損はあるまい。

もちろん倒産の場合はやむを得ないが、法律で雇用先の世話をするか退職金の大幅上乗せを義務づける。また、合併の際は従業員の雇用の確保を条件とする。

これには企業の抵抗はあるだろうが、巡り巡って結局は自社の利益にもなることを理解すべきだ。

次に、専業主婦(もしくは主夫)制の復権だ。子供が幼稚園・保育園に入園する4歳になるまでは妻もしくは夫は家庭内での子育てに専念する。これにより、待機児童の絶対数は抑えられるし、親子の情も一層深まる。ただし、片親の場合は無論のこと、親兄弟等肉親が同居していて預けられる場合は、この限りとしない。(これには、親との同居を促進する狙いもる。)

それから、教育費の抑制だ。高校まで公立学校の授業料は無償化する(給食費や修学旅行等の経費は実費)。入学制度を抜本的に見直し、塾や予備校に通わずとも行きたい学校に入学できるチャンスを増やす。私立校への補助は無くし、その分で教員の数・質を向上させる。当然、公立学校の数も確保しなければならない。その上で、各学校の自主性を尊重し、独自性を発揮できるようにする。

最後に、これが最も難題だが、若者の結婚への意欲そのものを取り戻すことだ。スマホゲームやアニメその他に明け暮れて、異性に関心をもてない、関心があっても歪んだ方向にしか行動できない連中(失礼)をどうしたものだろう。

「セクハラ」防止法ができてから、同僚に迂闊に声もかけられないし、かくなるうえは、職場で少なくとも月に1回、出会いの場を作ることを制度化(自治体は法制化)し、企業には奨励金の支給(税の軽減)も検討してはどうか。めでたく結婚に至れば、祝い金も支給する。子供が産まれた際も給料の丸々1月分の支給することとし、不妊治療の保険にも補助を出す。

では、これらの経費(税金)をどうやって捻出するか? やはり、企業法人税と消費税のアップ、安全確保のために必要なものを除く公共事業のストップしかないだろう。このうち消費税については、生活必需品の税率は抑え、逆に贅沢品の税率を上げる、累進課税性の導入が不可欠だ。


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