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辞めたからこそ

お疲れ様です。股関節は(多分)折れていますが僕の心は折れておりません。そろそろ前川さん行きたいです。

今日で大牟田合宿と終わり今はフェリーで大阪に向かっているとの事です。今聞いた限りだと1年が結構ボロボロみたいですが、大牟田に行ってない1年はピンピンしてるので少し追い込みが足りて無いなぁとも思ったり。

大牟田といえば正月を沸かせた太田さんと荒巻さんの出身校です。去年の都大路でも1区で谷本さんが好走しててマッチョなのに凄いと思った記憶があります。
今回の大牟田合宿で40km走をしたとの事で、考えがコロコロ変わるうちの監督がこれからどう出るか、僕は心配です。



今日は、太田さんの青学繋がりで最近僕が読んでみて印象に残った記事を紹介させて頂きます。


青山学院の主務

2015年の青山学院が総合優勝を果たした時の、主務を努めた高木聖也さんについての記事です。

高木さんは元々サッカーをしていて、九州学院から青山学院へと進み箱根駅伝に出るため毎日ひたすら練習をしていました。

高校時代は文字通り陸上漬けでした。1年間で練習がないのは5日程度。朝練のために毎朝5時に起きて、片道10km以上の道のりを自転車で登校、という日々を繰り返していました。いま振り返ると、高校3年間はこれまでの私の人生で最もハードな日々だったかもしれません。卒業して10年近く経った現在でも、多少のことがあっても「高校のころよりはマシ」と思えているので、この3年間が精神的な支えになっているのは間違いありません。

ですが、高校の怪我を大学に持ち越してしまい痛みを我慢しながら走っていると監督や先輩から「走りのバランスが悪い」と言われ一旦練習を中断する事に。

そこからは度重なる怪我に苦しみ、大学2年生の5月下旬、原監督にマネージャー転向を打診されます。

あのときの自分にはよくも悪くも当時の九州学院の教えがすべてで、「365日休まないこと」が正しいと思ってましたし、「痛くても我慢して走る」のも当たり前でした。みんな足が痛くても我慢するので、病院に診察に行ってみると8割の選手は疲労骨折の診断を受ける、という状態でした。

そこで1回は断り、条件の下にひとまずは競技を続ける事になります。

しかし、その年の12月の駅伝メンバー外タイムトライアルで左足の中足骨が折れてしまい、病院で診察し松葉杖が必要になった翌日、松葉杖姿で青山学院の寮に。

「マネージャーとして頑張りなさい」

原監督にそう言われ、その時にもう高木さんに迷いは無くマネージャーに転向する事になりました。家族や地元の友達にも応援され、マネージャーとしての業務をこなしていきます。

そして大学4年生、チームの皆も後押しもあり主務になり、最終学年にして青山学院は箱根駅伝初優勝を果たします。



結構長い記事なのでだいぶ簡潔になってます。

こういった高木さんのように目標を叶えられなくても別の形で叶えるというのは本当に凄いと思います。選手である事をやめ、マネージャーになったからこそ見えた物も沢山ある筈です。

大学陸上において怪我や何か事情があって退部かマネージャーになるかの決断を迫られるという人は少なくないと思いますがその時に、「チームに恩返しをしよう」と考える事が出来る人がどれだけいるのでしょうか。

僕が高木さんの立場で、退部かマネージャー転向だと言われたら正直退部してると思います。

高木さんのようにサポートをしている人や駅伝メンバーでは無い人達が、自分の事だけでなくチームの事も本気で考えているから青山学院はこれだけ強いのかなぁとこの記事を読んで思いました。



僕が書いた事以外にも、かなり勉強になる事が多く思う所もあると思うので是非読んでみて下さい。

そういえば前アマノに、「俺がワコやったら辞めてる。」と言われました。流石に高1では辞めません。高校3年間ぐらいは全力でもがいてやろうと思ってます。その先は神のみぞ知る、、、という感じです。

それでは今日も1日お疲れ様でした。

明日は新人駅伝です。全力でサポートします。
イチバン取りましょう!

やっぱリ4yearsとNumberが面白いです。
読みやすさでいえば4years、内容の面白さで言えばNumberですかね?

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