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頑張れよ、八方美人くんと言われ....

現場仕事でぶっ倒れ、徐々に社会復帰を目指しながら、今後しばらくはテレワークがメインとなります。

そこで今、実家への引越し&実家に自分の部屋がないので部屋づくり(テレワークの環境づくりの検討)をしています。

段ボールたちの片付けをしているわけですけど....片付けってめちゃめちゃつまんない



つまらないことをしていると考え事(現実逃避)をしてしまうのが人間だと思うんですが、

僕も例に及ばず....

今までの仕事のことを振り返っていたら、先輩に

頑張れよ、八方美人くん

と言われたのを思い出しました。

今までの人生で出会った人の中で、ダイレクトに八方美人と揶揄してきた人はその人1人なんですよね。

ただ、その八方美人の揶揄と似たようなモノに"ただのいい人"というものがあって、これは昔かなり言われてました。(この揶揄されているという感覚はわからない人は永遠にわからないと思います)

それで、たまに自分って八方美人なんかなーーと考えたことはあります。

そこでなぜ”八方美人”と揶揄されるのか考えてみました。

考え事が重い笑

八方美人と揶揄している側の目線はどうなっているのか。

八方美人をすることで、①その人(ここでは僕)が有利な立場になっている、もしくは、②自分の意見を持っていなくて周囲の意見に流されてしかいないことにイラっと来ている、のどちらかだと思います。

①から考えます。

これについては、基本的に人に親切にしていれば嫌われることはなく、結果的にポジティブな影響を得られやすいので、揶揄してくる人は永遠に揶揄してくると思います。

正しい行為をして、正しい評価を得ているのだから、そもそも不利な立場になる方が難しい。だから、八方美人と揶揄している側が2億パーよくないというのが僕の結論です。

たまにこの悩みで死にそうになってる人いるんですけど、正しいことを絶対に正しいと受け入れる心の線引きは大事です。

はい、②。
基本スタンスが、正しいことをしてなにが悪いの????え!!!!!!!なので、テキパキ行きます。

うーーーーん、
社会人になって、
偉い人に楯突いて説教されたのはいい思い出です笑

自分でも驚いたことでもあります。自身のことを流されやすいと思っていたので。

なんですかね、
明らかに職場の意向に沿っていない意見というか、正しいのだけれどそこにしっかり向き合うと自分たちが不利益を被ることに対しても、僕は1度ははっきりと言い放ちます。労災が大きく関わってくる建設業ではよくある話しです。(現場監督をやっていました)

まあ、上の人たちには勝てないんですけどね。
でも、言います。言って、そのゴミみたいな仕事は自分がやります。

だから、絶対に譲れない芯のようなものはあるんです。
これだけは絶対に譲れない。
過去noteでの僕とか、"譲れない"の塊ですからね笑

八方という言葉が全方向という意味であれば、自分は七方美人だなって。
いや、五方くらいかな笑

ただ物事の良い悪いを様々な方面から見られるように成長したいと思っています。この話しの大前提が自分の意見が間違っていないというものですから。ただ間違っていても、好きなら主張するんですけど。

ん?この考えは面白いかもしれない。

それは正しいからそうすることを選んでいるのか?社会的に間違っていたら変わるのか?社会的に人を助けることが間違っていたら僕は助けないのか?

そんなことを考えながら、片付けに戻ります。

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