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国道駅:鶴見川FW落ち穂拾い

まだ日焼けがヒリヒリします。
これはむけるかもです。

鶴見川河口干潟から鶴見線に乗った駅が、みんな大好き「国道駅」だった。

国道駅入り口

ニュータウンのような環境よりも、国道駅のような環境の方が、潜在的コモンズを感じさせるのはなぜなんだろう?
どちらも、JRが入念な撹乱排除しているはずなのに。
確かに、商業的には国道駅は死んでいる。
港北ニュータウンのセンター南駅や多摩ニュータウンの南大沢駅は商業的成功している。
資本主義の問題か?
それならば多大な税金で成功している鶴見川に感じた「anthropogenic=人為的」とは何なのか?

アナーキズム?
アクター同士の権力関係の単純さか?
コモンズの問題か?
それとも保坂の廃墟ロマン主義?

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