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大山顕『新写真論:スマホと顔』読書会用資料

・大山顕『新写真論:スマホと顔』
ゲンロンβ 2017/4-2019/8 に「スマホの写真論」として連載
大山顕:写真家・ライター、団地研究家。

・日本写真協会賞学芸賞
著書『新写真論 スマホと顔』において、撮影された写真だけでなく、スマホ・SNS・AIなど写真の周りで起こりつつある出来事すべてを「写真」の内部で考えようとする論考は、現代における写真とは何かを考える上で示唆に富む。この労作に対して。

・p308
ぼくは「『写真とは何なのか』を言語化できるのが写真家」と答えた

目次
はじめに 写真を通じて「なぜそうするのか」を考える
・p9
それは現在のカメラとはすなわちスマートフォンであり、現在の写真はSNSを抜きにしては語れない。
・p9
SNSとスマートフォンがセットになったときこそが本当の革命だった
・p31
こういった、ぱっと見てわかりやすい絶景写真がSNSで人気を集めるのには、二つの理由がある。ひとつは、スマートフォンの画面が小さいということ。
・p32
もうひとつは、SNSの写真においては「どこにいるか」が重要だということだ。

スマホと顔
01 スクリーンショットとパノラマ写真
・p52
つまり、スマートフォンで写真を撮るとき、ぼくらは被写体を見ていない。ディスプレイに映ってる画像を見て、それを記録するためにシャッターを押している。
・p58
何が言いたいのかというと、パノラマ写真の「目」は死んでいない、ということだ。

02 自撮りの写真論
・p60
ただぼくが自撮りに惹かれる理由はこれが写真論的洞察から導き出された手法ではなく、単に「レンズとファインダーを同じ側に付ける」というハードウェア上のアイディアに端を発しているからだ。
・p61
遠近法の発明や、世界から分離された「主体」といった観念の発明に、カメラが一役買ったのと同じように、鏡もまた、人間に新たな視覚と精神の様式をもたらした。古代から金属鏡はつくられてきたが、無色透明な板ガラスに錫アマルガム法を施してつくられた美しい鏡が出現したのは十五世紀ごろである。ルイス・マンフォードは『技術と文明』のなかで、この鏡の出現が「自意識」や「内省」を発達させた、といっている。
・p64
現代の写真論とはすなわち「自撮りの写真論」になるのではないか。
・p65
人は自撮りをするとき、スマートフォンを持った腕を伸ばす。
・p65
この身振りで気づいたのは「離れないと写真は撮れない」ということだった。
・p67
なぜなら絵を描くというのは筆で「触る」ということだからだ。写真は離れなければ撮れないが。絵画は触れなければ描けない。写真と絵の違いはここにある。

03 幽霊化するカメラ

04 写真はなぜ小さいのか
・p90
結論から言うとスマートフォンの大きさは人物写真に向いている。そこでは、「小ささ」に加え「フチ」の存在が重要になる。
・p97
要するに、動かず固定された片目で見た遠近法は、フチを設定しないと「不自然」に見えてしまうのだ。
・p97
逆にいうと「画像の終わり」を写真は発明したのだ。

05 証明/写真
06 自撮りを遺影に
07 妖精の写真と影

スクリーンショットと撮影者
08 航空写真と風景
09 あらゆる写真は自撮りだった
10 写真の現実味について
11 カメラを見ながら写真を撮る
・p160
前章でぼくは、撮る人と被写体を分離するカメラの性質を、小説における語りの構造にたとえた。一人称小説にしろ、三人称小説にせよ、ある人物の視点から整合的に物語を綴る、という仕立てでは、カメラによって世界を見ることに似ている。物語の構成を「遠近法」と表現することがあるのは示唆的だ。
現在、ぼくらは「見る」という行為を個人のものだと思っているが、ほんらいそれは曖昧なものなのではないか。それを示すために物語における「四人称」という概念を紹介した。四人称とは語り手と話し相手を含む包括的一人称複数である。カメラが登場する以前の人間は、視覚を四人称のものとして扱っていたのではないか。

12 撮影行為を溶かすSNS
・p170
撮影とシェアが同時と言っていいぐらいすぐ行われるようになったことも、スマートフォンがもたらした大きな変化だ。
・p173
写真が撮影者のものではなくなり、見る側のものへと移ったことにより、写真から時間が失われて、すべてが「今」のことになった。
13 御真影はスキャンだった

写真は誰のものか
14 家族写真のゆくえ
15 「見る」から「処理」へ
・p202
この「純粋タッチパネル」を使って撮り、そして見るようになったことで、写真がどのように変わったか。結論から言うと、写真は「見る」ものから「処理」するものになった。写真が触って操作できる対象になったことは東浩紀が「西洋の哲学を支えてきた視覚的なパラダイムを、根底から揺るがしかねないもののはずである」というように、たいへんな出来事なのだ。

16 写真を変えた猫
17 ドローン兵器とSNS
・p224
おもしろいのは「SNSにアップしなければいい」とおっしゃったことだ。写真集よりもSNSで公開されることのほうを警戒しているのだ。
・p226
つまり、現在の写真が持つ「まなざしの暴力」は閲覧者数という身も蓋もないものとして現れるようになってしまった。炎上はその端的な例だ。
このような、新しくもなくたいして独創的でもない話を今さら繰り返す理由は、SNSにおいて写真の主導権は、撮り手でなく見る側にある、ということを言いたいからだ。
・p230
ところが、人に見られることが圧倒的に簡単になった今日の写真は、その意義を問われることがなくなった。「なるべく多くの人に見られること」「反応を得ること」という反論の余地がない目的が、あまりにも簡単に達成されてしまうので、それが写真の存在意義と完全に一致するものと思われるに到った。
かくして写真は「卑怯」なものになった。
18 Googleがあなたの思い出を決める
19 写真から「隔たり」がなくなり、人はネットワーク機器になる
20 写真は誰のものか

ファサード
21 2017年10月1日、ラスベガスにて
22 香港スキャニング
23 香港のデモ・顔の欲望とリスク

おわりに

初出一覧

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