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狂戦士忌譚


 あら、いらっしゃいまし。お話はお伺いしてます。
 ようこそ。長旅でお疲れでしょう。そう気負わずにお掛けになって。今、薬草茶を淹れてます。疲労回復の効果がありますよ。何しろエルヴィン直伝の配合ですから。たちどころに元気になれます。
 ふふ。いいんですよ。
 あなたにとって私が客であるように、私にとってもあなたはお客様ですから。
 そんなに畏まらないで。かつては賢者と崇められる事もあったけれど、そうねえ、こうして隠遁生活を送るようになった今は、もうただの老婆ですよ。
 それで今日は、何のお話をすればいいのかしら?
 勇者アルベルの話? 盗賊王ヴァイスベルグ? それとも、エルヴィンの魔法騎士キーラかしら。でもキーラの話なら、こんなお婆ちゃんに訊くよりも、本人に訊いた方がいいわよ。あの娘はまだ若くて綺麗なままだから。大昔の思い出話も、昨日の出来事みたいに話してくれるわ。
 ええ。かまわないわ。
 魔王と呼ばれたクグロの事かしら? 最大の強敵となった邪龍イノークの事でもーーー、
 ダロス、、、
 狂戦士ダロス、、、
 いつ以来かしら。その名前を人の口から聞いたのは。
 仲間内でも、彼の話はしなくなってたわ。キーラでさえ、その話は避けるんじゃないかしら。
 いいえ。構いませんよ。
 別に話してはいけない約束をした訳でもないわ。自然と、誰も彼の話を口にしなくなっただけ。禁忌でもなんでもないのよ。
 そうね。ダロスの前に、ビアジェについてはご存知?
 そう。よく勉強なさってるのね。
 クグロの側近であり、魔族六将の1人。大魔導士であり、記憶と幻覚の魔法に長けた男だったわ。キオの国境線付近を治めていた。そう。かつてカリスと呼ばれた土地よ。
 ダロスはそのカリスの村の出身で、国境警備の任に就いていたらしいわ。
 カリスは小競り合いのやまない国境で、途轍もなく強い戦士として知られていたそうよ。魔族も屋を焼くほどにね。
 実際、ビアジェも度々苦渋を舐めさせられていたらしくってね。本格的な魔族の侵攻が始まった時、陽動作戦を仕掛けてきたのよ。
 ええ。ダロスを脅威だとみなしたビアジェは、二つ隣の村から焼いたの。ダロスを誘き寄せる為に。そう。
 そして見事に正義感の強いダロスは、仲間とともに隣村を助けに行った。罠だったのよ。もちろん、ダロスを待ち伏せしていたけれど、それも陽動よ。
 ビアジェの目的はカリスの村。ダロスの心を折る為に、奥さんと子供を人質にしようとしたのね。
 ダロスは罠だと気付いて急いで村へ戻ったけれど、もう遅かった。
 村は焼かれて、多くの人は殺された後だったそうよ。
 それでも、奥さんと子供は生きていたわ。生かされていたと言うべきかしら。
 ビアジェの傀儡としてね。
 この先は目撃者もいないから、話は憶測の域を出ないわ。
 魔法で操られた妻子は、ダロスの前で自決させられたとか、
 目の前で、ビアジェに嬲り殺されたとか、
 操られて襲い掛かって来たところを、ダロス自身が殺めたとか、
 色々と噂されてるわ。ただひとつ確かな事があって、ダロスは奥さんと子供を失った。
 そして、どの噂にも共通してる事がひとつだけあって、それは、

 2人の死に顔が、笑顔のままだったと言うことよ。

 ビアジェにどんな幻覚を見せられていたのか、その表情は死んでもなお、笑顔だった。
 ダロスは絶望し、ビアジェに復讐することだけを生き甲斐に再起した。
 私たち一行がダロスと出会ったのは、その頃よ。
 狂戦士ダロス。返り血のダロス。狂犬ダロス。そんな風に呼ばれていた。
 「ビアジェを俺に殺させろ」
 彼が私たちに出した条件はそれだけよ。それさえ約束するなら、魔王にも魔族にも興味はない。ダロスはそう言って仲間になってくれたわ。
 出会う前の彼の事は知らない。勇猛な戦士だったとは聞くけれど。私たちの知る彼は、寡黙で、命知らずで、残虐で、そして、強かった。
 魔法を使わず、剣だけで、一対一なら、勇者よりも強かったでしょうね。
 たぶん、よく勇者と比肩される伝説の戦士キュークよりも。
 ええ。巨人殺しのキュークよりも強かったと思うわ。私は剣こそ素人だけれど、幾多の戦いをこの目で見てきた。だから、感じるのよ。
 キュークは強かったけれど、それは勝つため、生きるための強さだった。
 ダロスは違うわ。殺すため、いつ死んでもいい絶望と、ビアジェを殺すまで死ねない執念が彼を支えていたのよ。
 彼の戦いぶりは、見ていて怖かったもの。とても。
 負傷はもちろん、相手を殺すことに何の躊躇もない。それが例え、止むに止まれぬ事情で魔族に寝返った人間だとしても、ね。
 勇者の英雄譚に彼の名前が挙げられないのは、そのあたりの事情もあるのかしらね。
 それに、巨人殺しのキュークよりも強かったなんて、キュークの門下生が許さないわ。
 ええ。そうね。そうよ。だから、という訳ではないわ。
 彼の名前を口にしなくなったのは、ビアジェとの対決以降ね。ええ。
 季節を考えると、ウルグの実がなる頃合いだったと思うわ。ダロスと出会って、ちょうど1年ぐらいになるかしらね。
 キオの国境を奪い返し、ビアジェの根城であるオルクの砦を攻め落とす必要があったわ。
 そして、とうとう私たちは、隠し通路から逃げようとするビアジェを追い詰めたのよ。
 話は前後するけれど、決戦前の野営時に、口数の少ないダロスは、私にお願い事をしに来たの。
 「約束通り、俺とビアジェに一騎打ちさせろ。もし、俺が負けそうになっても絶対に手を出すな。特にアルベルには絶対に手を出させないでくれ。だから、半刻でいい。ビアジェに逃げられるのも困る。だから、俺とビアジェを結界で隔離してくれ。約束できぬなら、この場でお前を斬る。アルベルもだ」
 あんなに沢山ダロスの言葉を聞いたのは1年で初めてだったと思うわ。脅されていたんでしょうけど、不思議と怖くなかった。
 彼の決意と勝利を信じていたもの。
 そして、ダロスは宿敵と対峙したわ。
 お前らは絶対に手を出すな、と釘を刺して、私に目配せした。
 私はダロスとビアジェの2人を光の結界で閉ざしたわ。アルベルは驚いたようだけど、すぐに事情を察したみたい。ヴァイスは最初から「わかってた」みたいね。キーラは呆れた顔をしてた。長生きする彼女らにとって、人間の執念は理解できないらしいわ。
 私は、ダロスの勝利を信じていた。負けるはずがないと。
 「この時をずっと待ってた」
 ダロスが唇の端を吊り上げて、狂気を孕ませてそう言ったの。
 だから、彼が最初に兜を脱ぎ捨てた時、何が起こってるのか理解できなかった。
 何をしてる!って勇者が叫んでた。私もそう思ったわ。
 ビアジェの魔力は圧倒的で、その幻覚魔法は他の追随を許さないほど。だから、対策が必要だった。
 それが幻覚破りの魔法抵抗石。ダロスの場合は兜に装着されていたわ。これがある限り、ビアジェの幻覚はダロスに通じない。
 なのに、ダロスは兜を脱ぎ捨てた。ビアジェも、自分の劣勢を悟っていたから驚いたみたい。でも、すぐに理解した。
 そして、ビアジェは、ダロスを幻覚に堕としたわ。

 「逢いたかった」

 背中を向けていたから、ダロスの表情は見えなかった。でも、たった一言、その声を聞いただけで、それが何物にも替えられない、無上の喜びに満ちている事が理解できた。
 その喜びに震える声だけで、ダロスの身に何が起きているのか、理解してしまえたのよ。
 ダロスはそのまま、ビアジェに殺されたわ。
 あのダロスの曲が崩折れて倒れた。その表情が私達にも見えたのよ。
 その死に顔が、この上なく満ち足りた笑顔だったの。
 赤ん坊って無邪気に笑うでしょう? 汚れを知らないと言うと陳腐だけれど。本当に無邪気にね。ええ。大人ってそんな風には笑えない。そんな笑顔よ。
 そのうちようやく結界が解けて、その瞬間、勇者は問答無用でビアジェを斬り伏せた。
 怖かったのよ。アルベルは。
 あんな幸せな顔をしているダロスを見てしまったから。
 そして、私たちはようやく知ったの。
 ダロスの目的は最初から復讐なんかじゃなかったって。
 あの人は最初から、ただ家族と同じ場所に行きたかったんだって。
 だから、オルクの砦を落とした後、自然と誰もがダロスの話をしなくなったわ。みんな、怖くなったのよ。ええ。そうね。それもあるわ。
 さあね。他の仲間がどう思ったかは知らないわ。怖くて誰とも話してないもの。
 でもね、少なくとも私は思ったのよ。
 死んでもいいと思えるほどに、もう一度逢いたい人はいるのか。
 誰かに、死んでもいいから、もう一度逢いたいと思われているのか。
 あの喜びに満ちた笑顔で死ぬためにはどうすればいいのか。
 それが嘘でも幻でも、どうすればそんな喜びを感じられるのか。
 幻覚でそこに堕ちられるなら、現実の幸福なんて要らないんじゃないか、ってね。そこで、なぜ幻覚魔法が禁忌とされているのか。ようやく真に理解した気がしたわ。
 少なくとも私にとっては、魔王よりも邪龍よりも、ダロスの死に顔は今でも忘れられない記憶として焦げ付いてるわ。
 私は老いぼれた今もまだ、あの時の笑顔の誘惑に負けそうになってる。まして、アルベルもヴァイスもキュークもいなくなって、私一人隠遁してるとね。ええ。
 感じるわ。自分なりに生きた何十年、それがあの一瞬の幻覚に劣るんじゃないかって恐怖。
 ええ。アルベルの死を看取ったわ。結局、彼は何も語らなかったけれど、彼も私と同じ恐怖に怯えて生きていたのだと思えて仕方ないのよ。
 幸いだった事と言えば、「幻覚魔法は自分にかける事が出来ない」
 そして、不幸だったのも「幻覚魔法は自分にかける事が出来ない」
 鏡に映る自分にかける事は出来ないのよ。
 ふふ。幻覚魔法は、最上位魔術師に履修が許される?
 ええ、そうよ。使用は禁じられているけれどね。学ぶ事は禁じられていない。記憶魔法もね。
 私が幻覚魔法を会得したか、ですって?
 どうかしら。それは王立アカデミーに行けばわかる事よ。
 さあ、お疲れでしょう。お茶を飲んでおやすみなさい。この薬草茶には強い効能があるのよ。

 ※ この短編小説はすべて無料で読めますが、お気に召した方は投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には後書きのようなものが書かれているかも知れない。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。